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小さな幸せは特に探していない


「一粒も無くさないぞ」と大切にしていたカラフルなビーズ。
特別な時に食べようと思ってとっておいた、義母から頂いたちょっと高いデザート。
高いからと、ちびちび飲んでいたとっておきのお酒。
会社でのキープしたい営業成績。

全部今はない。

カラフルなビーズは一つずつどこかへ行ってしまって、
ちょっと高いデザートは「特別な時」を見定められずに賞味期限が切れてしまい、
ちびちび飲んでいたお酒は時間とともに飲めるものではなくなり、
営業成績は、会社を辞めたら誰に褒められるものでも自慢できるものでもなくなった。
(そもそも、成績をキープするぞ!と思った時から、新たな営業方法に挑戦することはなくなったように思う)

私が大事に守ってきたものは、些細なものから大きなものまで、減ることはあっても増えたためしはない。

必死に守れば守るほど、失った時にその存在がとても大きく思えて、その存在を補うことにまた必死になる。
補おうと考えている限り、補えたとしても、ビーズの数でいえば最初にあった数より増えることはない。
(しかしビーズってどうしてあんなに無くなるんだろう。そしてどこに行くんだろう。同じように、節分の時に撒いた豆も一体どこに行くんだろう。たまにシワシワの固い豆がソファーのクッションの隅から出てきたりして不快感を覚えることも多々あるが。)

ということで、ここで一度、毎月家に入れている固定収入をゼロにしたいと考えた。
5万であれ、15万であれ、30万であれ、その固定収入がなければ生きていけないのであれば、いつかは生きていけなくなってしまう。

それならば、固定収入ゼロを実践してみたい。
もとから存在していなければ、減る恐怖や補填しようという考えもなくなるだろう。
必要な分は、都度稼ぐ。
そんなことが、果たして自分にできるだろうか。
わからないけどやってみる。

ということで、
我が家の主夫兼私の敏腕秘書である夫に「毎月家に入れている固定収入をゼロにしたいと考えている。毎月ゼロから必要分を稼いでいきたい」と伝えたところ
「いいね、慎ましく暮らし、小さな幸せを見つけていこう」
と返ってきた。

・・・。

息子に指示し、思いっきりカンチョーをかましていただいた。
(息子には本当に申し訳ないと思っているが、私はこういうことに関しては自分の手は汚さない主義だ。)


私「無欲を装った強欲者よ」
夫「えっ」
私「本当に小さな幸せを探したいかね?慎ましく生きていきたいかね?パンでも箱でもたとえドングリであっても必ず大きい方を選ぶあなたが小さな幸せを探すなんて、申し訳ないが信じられないのだよ」
夫「そうだね、ハッとしたよ・・・」


夫が自白したので、私も自白する。

強欲者の私たちは、慎ましく生きる予定も、小さな幸せを探す予定もないのだ。
慎ましく生き、小さな幸せを探すために毎月の固定収入をゼロにするわけじゃない。
稼げなかった時に自分を納得させる理由として「慎ましく暮らしていきたい。小さな幸せを見つけていきたい」と自分たちの本音を歪ませたくない。

もちろんそういう考え方の方が実在するのは知っているが、恥ずかしながら我々は強欲者なのだ。
そこを隠してしまった瞬間、自分たちの本音も見失ってしまう。
心と行動がちぐはぐになり、本音と建前に苦しめられてしまう。

そもそも慎ましいとは、

"遠慮深い態度である。控えめで、しとやかであること。また、ぜいたくでないさま。質素なさま。"

である。

私も夫も見た目は遠慮深そうな外見をしているが、決して遠慮深い方でも控えめでしとやかな方でもない。もともと質素なので質素に暮らすことは苦じゃないが、隙あらば贅沢だってしたいとは願っている。

「安定した生活を手放す=収入を諦めて、慎ましく暮らす」と決意したわけではないのだ。

ただ、会社員時代に、様々なことをお金を理由に簡単に諦めてきた私たちだからこそ、この機会に私たちが望むことは本当にお金がないとできないことなのかを疑ってみたい。

お金がないと十分な教育が受けられないのなら、
お金がなくても十分な教育が受けられる学校をつくったらどうだろう。
お金がないと食べていけないのなら、
自分で一から農作物を育ててみてはどうだろう。
お金がないとすぐにサイズアウトする子どもの服が買えないのなら、
最近オシャレに目覚めて服を自分で作ってみたいと言っている娘に、私の着なくなった服で本当に服を作らせてみたらどうだろう。

など、すぐにできそうなものから「オイオイ、壮大だな・・・笑」と思えるものまで、今まで考えたこともなかったことを考えては子どもみたいにちょっとウキウキしている自分がいる。

そのためにどんな準備が必要なのだろうとか、やはりそこでもお金が必要じゃないかとか、いや、本当にそうなのか?とか、夫とそんなことを話しているだけでも午前中が終わったり、今日こそはあのラーメン屋に行ってみようと思っていたけれど、夫特製の塩焼きそばに昼メニューは変わる。

かなり現実的な「できない理由」も加わるし、子どもをげんなりさせるようなケンカに発展することも多々あるが、小学生の時に友人と話した、こんなものがあったらいいよね、こんなことができたらいいよね、の続きを今しているような、そんな感じだ。

出来ないかもしれないことや自分の知識が浅い分野に関しては、アイディアを出すこと自体がおこがましいと思っていたちょっと前の自分(と今も少しドキドキしている自分)に勇気を出して言いたい。

アイディアも、考えることも自由だ。
アイディアや考えていることに裏付けはいらない。
ゲームをしていても漫画を読んでいてもいいから、考えることはやめないように。

できないかもしれないけど、できるかもしれない。

できなかったときのリスクは、何だろう。
修正不可なことは、時間の経過以外はないように思う。

慎ましくもないが、決してアグレッシブでもイケイケでも自信満々でもない我々が、自分の心に沿って、手放して、残るものや、得るものとは。

長い(か分からないが)人生の中の、暇つぶしくらいの気持ちで、楽しんでみたい。
道を誤ったら修正し、怒られたら謝って、褒められたら調子に乗り、止まったり進んだりたまに振り返ったりするのみ。


・・・・・・・・・・・・

主夫生活4カ月目。
朝食に、野菜いっぱいの味噌汁がでてくるようになった。
最初の頃は厚揚げとバナナの2品のみだったのに。

<現在のレパートリー>
・ネギの乗った厚揚げ
・チーズの乗った厚揚げ
・カレーがかかった厚揚げ
・お好み焼き
・ホットケーキ
・カレー
・シチュー
・鍋全般
・味噌汁
・卵焼き
・焼き鮭
・親子丼
・麻婆豆腐
・ガパオ
・豚丼
・コーヒー
・蜂蜜レモンドリンク(ポッカレモン使用)

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子どもが描いた「料理するお父さんと、仕事してるんだよと言いながらソファーで携帯漫画を読んでいるお母さん」というタイトルの絵。

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