安楽死と尊厳、遺されるものについて/『すべてうまくいきますように』
相手を想うが故の相反する感情、まさしくタイトルのような祈りと願いの概念に弱いので、ラストで目頭が熱くなった。
心の奥底(どうしても態度には出てしまうが)では父が安楽死を考え直すことを願いながら、 それでも死を望むのならすべてうまくいきますようにと父のために動く家族の心情がどこまでも丁寧に描かれていたように思う。
ラスト、姉が「(父の最期は)万事順調にいった」と電話を受けるシーンで、タイトルの意味に泣いてしまった。
複雑な家庭事情、周囲との関係性が断片的に描かれており、決して順風満帆だったわけではないこの家族が、
時に苛立ち、悩み、理解できず、苦しみ、涙をこぼしながらも、それでもたしかにある家族としての情を滲ませながら父と接する姿に涙腺が緩んだ。
生きることと延命は違うという父親のセリフが分かるだけに、 いざそれを言われる立場になったら自分はいったいどうするんだろうなと考える映画でもあったと思う。
この映画はあくまでもエマニュエルの家族の場合であり、どう最期を過ごし、迎えるのかは私たちそれぞれの問題なので。
あと、「PLAN75」のことを思い出した。題材的に似ているからかな。
「すべてうまくいきますように」は裕福なものが選べる安楽死(それでも法的なプロセスを踏まなければならず、エマニュエルたちも人目を忍びながら行動に移す)についてだけど、 PLAN75は生活に困窮し社会と繋がりがなくなってしまったものへの救済措置にもなっていて、それはつまりそういった者を切り捨てざるを得なくなってしまった、PLAN75を選ばざるを得ない(ものがいる)社会なので、似て非なる映画ではあるけれども。
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