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読書が好きだった母に唯一あげた本と、母に読んで欲しかった一冊。

コロナ禍が本格化する前に帰省すると、自宅療養中の母がベッドの上でいつものように読書をしていた。いつからか、暇をみつけると読書をしている母の姿がお馴染みの姿となっていました。傍らには小説をはじめとして雑多なジャンルの本が積まれている。とにかく、母は読書が好きなのだ。そんな印象でした。

僕の住う鎌倉がよくよく小説の舞台に出てくると聞かせてくれました。病が改善したら徹ちゃんのお家にも遊びに行かせてね、なんて話していて。不意に僕は

「お母さんほんと本読むの好きよね」と。

すると母の答えは思いもよらぬものでした。

「徹が高校生の頃にね、『そんなにモノを知らない親とは話せることがない』って言われたことがあってね。母さん悔しかったから、それからもうたくさん本を読むようになったのよ」。

え…、覚えていない。…いや、母の言葉でわらわらと記憶の蓋が開きました。言った、確実に言っている。何に苛立っていたのか、なぜに自分を特別視していたのか。今思えば我ながらうんざりする子でした。ずいぶんと横柄に、言葉を選ばず、人の心を知らず考えず知ったつもりで考えたつもりで平気でえぐる幼さです。

母は元から本を読むのが大好きだったんだと今なら想像に難くありません。でもその頃もそれまでも、日々の家事、家族の世話に追われていつしか大好きな本を読む時間すら取れないくらいに、自らの時間を犠牲にしてくれていただけなのだと。

毎日の家事、なんて言葉にすると簡単ですが、祖父母小姑含めた8人家族の食事と洗濯だけでも骨が折れるのに、綺麗好きで汚いのが落ち着かない人でしたから、暇さえあれば家中、隅から隅まで綺麗に拭き上げているのが常でした。もしかしたら若くして嫁いだ母の、姑や小姑への意地もあったのかもしれません。母の若い頃の写真を見るに、負けん気の強そうな顔をしていましたから。

そして合間合間に来客対応をして、ご近所付き合いもして。夜になってようやく休める頃になると子供らの友達が遊びに来るような日々にあって、どうやって自分を保っていたのだろう。この頃の母の年齢が、僕と変わらないのだと思うと、なおのこと頭が下がります。そして今も当時とさして変わらぬ自らの幼さを省みては、言いようのない恥ずかしさと、母への感謝と涙が意識の外からやってきます。

実はこの日、母に一冊の本を用意して帰っていたのです。敬愛する写真家、アートディレクター、ワタナベアニさんの著書

『ロバート・ツルッパゲとの対話』(センジュ出版 刊)

正直なところ、この会話の流れから「面白いよ」とおすすめするのを躊躇うタイトルと表紙のインパクトです。しかしそれでもアニさんが綴る言葉の数々が、病床の母を力付けてくれるような気がして意を決して差し出しました。

「表紙のままに面白いよ」なんて言って。

次に帰省した折に感想を聞かせてくれたのだけれど、思った以上に病状が進んでいたことに気を取られていたあまりに、母が聞かせてくれた内容をほとんど覚えていません。「頭の良い方ね」と聞かせてくれたことに同意したのだけ覚えています。

母に本をプレゼントしたのは、後にも先にもこの一冊になってしまった。

9月16日に僕の著書が出ます。

いけばなのこと、それをかたちづくる僕自身のこと、もちろん母のことも。当然手にして読んでもらえるものだと思っていたけれども、叶いませんでした。

アニさんは著書をしつこいぐらいに宣伝することの大切を進行形で教えてくださっていますから、僕もそれに習いたいと思います。

病床の母が僕に言ってくれたこと。

「徹には花の才能がある。でも人付き合いが苦手で社交性がない。そこはお母さんが見守って補ってあげるから、目一杯花をいけなさい」

なんて愛されているのか、と今更に実感します。


ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。