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「蜂蜜って、蜂のゲロなんだよ!」。

今朝、パンにカッテージチーズと蜂蜜を塗ったくって、これから僕の口の中、舌の上に訪れるであろう甘美にワクワクしていると、隣で上の子が

蜂蜜って、蜂のゲロなんだよ!」と。

*参照。

「お、おぅ。」以外に気の利いた言葉が出ずに、幕開け一髪でKOされた気分です。初戦敗退もいいところ。

寿司を「炊いた米に魚介の死骸を刻んで載せたやつ」だと表現する人もいるものね。過程や状態にフォーカスするとこういった言い回しになりますね。

調べてみれば花蜜の主成分であるショ糖は、蜂の体内でブドウ糖と果糖に分解される。その後巣房で水分が蒸発して濃縮するそうですから、僕らは蜂の体内を経由したこと、ゲロであることの恩恵を全力で預かっているわけです。

それにしても”戻したもの”とか”嘔吐物”とか言いようがないものかな。

ないか。

この話を聞いて不意に、虫食いの葉っぱから昆虫のDNAが採取された、なんてニュースを思い出しました。これをヒントに昆虫の生態系が詳しく分析できるのではないかと期待されていると記事はまとめられており(と思って検索し直すと、ちょっとニュアンスが違う)、対する僕はチェリーボーイよろしくあらま、見知らぬ昆虫と間接キッスだな、なんて思って若干、自分の思考に引いたのでした。

そして「蜂蜜は蜂のゲロ」だといった傍から、「ここに頂戴」とせがむその姿に、ゲロとは一体なんぞ、と暫し思い巡らせるわけです。

あたかもスマホの画面やドアノブ、PCのキーパッドにまな板、洗濯スポンジその他、およそ生活に密接に関わるものが汚れている比較対象として、「便座のうん倍の細菌やウィルスに溢れている」と表現されるようなもので。

これだけ日常的に触れているものの方が汚染されている事実だけを受け入れるのであれば、もはや便座ってきれいに格上げしてあげても良いのでは? なんてことも思ってしまうわけです。携帯触って手洗い、ドアノブ触って手洗い、洗濯スポンジ触って手洗い。新しい生活様式がやってきたとあっても、これを徹底している人はそういないでしょう。

もちろん、生理的に便座が不潔だという受け付けないというか自己防衛というか、刷り込みは強く残っていますから、決して便座はきれいに格上げはされません。

生理的に、と使ってみたものの、実際のところ細菌、ウィルスのみにフォーカスしてみれば拒否反応を示しているのは本能というより理性の様にも思え、いやいやかつて細菌やウィルスに苦しめられた人類はDNAレヴェルでそういったことへの拒否反応を示すのだ、などということもでるのか。人の感覚はこうして自己都合によって知らぬ間に歪んでいくのだな、と知れます。

さて今日も、どうでもいい話をさせていただきました(お終い)。

ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。