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【就活体験記】毒親育ちの早大生が、就活で100社以上落ちた、という話。(3)

【前回までのあらすじ】
遡ること18年前、2006年度就活戦線。大学5年(サボりすぎて留年)5月、内定なし、コネなし、資格なし。学歴だけはあるものの、「やりたい仕事」は特になし。「数うちゃ当たる」を座右の銘に、手当たり次第にエントリーシートを送っては砕け散ること既に80社越え。いよいよ「受けたい企業」が見つからなくなった私は、当時人手不足と言われていたIT業界に活路を見出そうとする。

IT業界を受けようと思ったはいいものの、IT業=プログラマーのイメージしかなかった私は、流石に尻込みしていた。自分のHPを作るためにHTMLをちょっと齧ったことがある程度で、プログラミングなんて一度も勉強したことがない、どちらかというと機械音痴寄りでさえある100%文系人間としては、「もし採用されたとして、実際に働き始まった時、何一つ覚えられなかったらどうしよう」という不安を無視することはできなかったのである。

そこで私はIT系企業の一般職や営業職、「”文系も歓迎”と書いてある」総合職の募集を探して応募していった。そして伏せずに書いてしまうが、ある日立グループの子会社で、初めて最終面接まで進んだ。
お祈りされること100社近く、初めての、最終面接である。

これは、いけるかもしれない。

その会社には残念ながらお祈りされてしまったが、私の胸には希望が灯っていた。ここまできてようやく「手応えと呼べそうな何か」を感じることが出来ていたのだ。
私に刷り込まれていた前時代的価値観でも、日立グループ30万人というのは非常に魅力的だった。元々日立は私の地元で巨大な幅を利かせる企業体で、私の父も日立系列企業の末端に所属していた。「日立グループの社風を幼い頃から知っています!」と、ちゃんと嘘なく言えたのである。
それに大事な事として、実際に試験や面接で足を運んだ時に感じた、会社の雰囲気がとても「合って」感じた。独特のイモ臭さとでも言おうか、実業家より学者、陽キャより陰キャ、パリピよりチー牛、「やる気がある人」より「真面目で良い人」、そんな雰囲気が、老若男女問わず社員さんたち全員から漂っていたのだ。いやこれは悪口ではなくて、誉めている。誉めているのだ。好きだよ日立。

これまで受けてきた他の企業にはなかった、この「朴訥な感じ」は、東京砂漠で乾ききった私の心に、この上なく優しく染み渡った。母校の高校の職員室に来たかのような、そんな懐かしささえあった。試験でも面接でも、謙虚に丁寧に応対してもらえたのも助かった。そしてたまたまかもしれないが、私の苦手な高圧的な雰囲気の人や、イキった意識高い系の人は、一度も見かけなかったのである。

よし、これだ。日立の系列会社を受けよう。

やっと見えた一筋の光明に縋りつくように、私はまだ日程の残っている日立系のIT関連会社を見つけ、急いでエントリーシートを書き上げた。

あらゆる意味で、限界が近かった。

体もメンタルもボロボロで、雨が降る度にコンポタを飲み、非常用として取っておいた貯金も使い果たしていた。各企業の採用活動も最終盤に差し掛かっていて、採用情報も、駅で見かける他の就活生の姿も、日ごとに減っていくのが分かった。
その時点での「持ち駒」はその日立系企業を入れて5社。面接の通過率が1割あるかないかだった私には、全く希望が持てる数字ではなかったが、正直これ以上増やしたくなかった。交通費を捻出できないし、バイトもこれ以上減らしたら来月の家賃が払えない。それに、疲れ切っていた。

面接を受けた企業から、中二日で結果が来た。不採用。――持ち駒4。
書類選考の結果メール。お祈り。――持ち駒3。
何の会社かも忘れた企業から面接の結果が届く。お祈り。――持ち駒2。

流石に持ち駒を何とかして増やさねばマズい。そう思っていたところに、二次面接まで進めたwebサービス系の企業から、「正社員としての内定は出せないが、アルバイトの形で秋から半年間働くなら、その後正社員登用を考えてもいい」という電話が来た。
即答できず、待ってもらうことにして、考えた。

その会社は割と大きめの所だったが、アルバイト待遇で、というのは引っかかった。
「正社員への登用を考えても良い」ということは、一生アルバイトのままの可能性もある。つまりこの話を受けるなら、来年春以降も完全にフリーターになる覚悟がいる、ということだ。

もうこれで良いんじゃない?フリーターでも食べていければ。
本当に?フリーターでも食べて行ける?時給も聞いてないよね?
どうせフリーターで生きていくなら、知らない企業より今のバイト先の方が良くない?

当時のバイト先は小さな編集プロダクションで、社員は社長さんを入れて3人だけだったが、とても良くしてくれていた。就活中の私が急に休むと言い出しても快く送り出してくれたし、仕事の指示も丁寧で、ミスも分かりやすく注意してくれて、何より私の仕事を高く評価してくれていた。時給が高いとは言えなかったし、大げさな誉め言葉の7割以上はお世辞のはずだと分かってはいたが、私はそのバイト先をとても気に入っていた。

どうせ、同じ「フリーターになる」のなら。
正社員の採用募集に対する応募者に、踏み絵のように「アルバイトからの正社員登用」を持ちかけるような、イマイチ信頼しきれない企業より、今のバイト先の人たちの役に立てた方が良いんじゃないか。
でも、今のバイト先は零細と言っていい規模だ。私という人員を抱え続けるのは、彼らにとって負担になる可能性もある。
学生バイトは本来なら卒業したらいなくなる、期限付きの労働力だ。フリーターとして私がぶら下がったとして、すぐには大丈夫だとしても、3年後、5年後にアルバイトが要らなくなった時、私の存在が迷惑になったとしたら。

――どうしよう。

私は悩んだ。答えが出るはずもなかった。
悩む前に相談してみろ、と今の私が説教できれば言いたい所である。
バイト先の人たちが「来年以降の私」を欲しいか欲しくないかなんて、聞かずに分かるわけがない。「だったらウチにいなよ」であれ、「んー、先の予定は立たないから、そっちの会社に行った方が良いと思う。悪いけど」であれ、あのサバサバした社長なら、聞けばスパッと答えてくれただろう。
だが、当時の私は聞けなかった。多分、怖かったのだ。
この1年で100社以上、2年間で合計すれば120社近くに及ぶ企業たちに、繰り返し繰り返し言われ続けた「お前は要らない」を、あの優しいバイト先の人たちにまで言われるかもしれない、ということが。

とにかく、あの会社の選考が終わってから考えよう。

ひとまず問題を棚上げし、私は最後の持ち駒――日立系IT企業の、書類選考の結果を待った。

数日後。書類選考を通過した、という連絡が来た。

<(4)へつづく>



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