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【日記】3.11に対する、確実にマイノリティな感情の話。

※東日本大震災に関連した話ではありますが、不適切・不謹慎と思われる方もいるであろう内容です。大切な人を亡くされた方など、震災で深く傷つかれた方は、ご自身の心の平穏のために、避けて頂ければ幸いです。


「3.11」が日本人全体にとって特別な日付――悲劇の代名詞となって、13年が経った。

当時、私の住む地域は3日間の停電と2週間の断水に見舞われたり、家という家の屋根瓦が落下したためにブルーシートの敷かれた屋根がデフォルトになったり、津波被害で閉店中のショッピングモールから外国人集団が物品を強奪していったという噂が流れたり、と軽く世紀末な風景はあったものの、人的被害はあまりなかった。
私個人としても、親戚・友人・知人は全員無事で、それ故に私は「一応被災者だけど、まぁ運が良かったというか…もっとめちゃくちゃ大変な人達が何百万人もいるから…」という、どこか他人事なスタンスで3.11を通り過ぎることができ、その後もずっとそのままでいる。

そして、だからこそ。毎年この時期「3.11」という数字を見るたびに、私の中に湧き上がる感情がある。
よほどの身内にしか言えないけれど、どうにも無視できないモヤモヤ感。絶対に大声では言えない種類の、でも確実な喪失感。
これと同じ感情を持つ人間は、数百人に一人ずつしかいない。でも、少数だが必ずいる。このごくごくマイノリティな人間のみが味わっている、不謹慎かもしれなくて発言するのも憚られるし、全然大したことではないのだけれど、でも私達に間違いなく存在する「理不尽に奪われた」喪失感について書かせて欲しい。
下らないことだと言われても仕方ない、取るに足りない事だと思われても当然だ。だが、私のこの気持ちはそこに存在する。誰が何と言おうとも。

3.11――3月11日は、私の誕生日なのだ。
もう一度言う。
誕生日なのだ、3月11日は。私の。
この日が「震災の日」になるずっとずっと前から。

この気持ち!!
この気持ち、分かってとは言えない。言えないけれど、震災で特に傷付いていなくて心に余裕がある方には、「この気持ち」がこの世に存在することを知って欲しい。「そういう人」も365分の1の確率で存在することを、「そういうことがある」事だけでも、是非とも分かって欲しい。
そして想像して欲しい。「今年も自分の誕生日が近付いてきた」ことを、マスコミというマスコミが追悼番組を始めたことで気付くようになってしまった私の、この感情を!!

私は毒親育ちではあるものの、誕生日に関しては非常に思い入れがある。
「手作りのケーキで子供の誕生日を祝う」という動作に固執していた母は、毎年必ずケーキを焼いてくれた。それは私にとっても好物だったのでwin-winだった上に、「ケーキを焼く」という作業に忙しかったからか、あるいは「誕生日には子供を叱らない」と決めていたからか、とにかく母は私の誕生日には余計な外出をしようとしなかったし、私を叱ったことも、殴ったことも、長時間の説教で拘束したこともなかった。
プレゼントは大抵嬉しいものではなかったけれど、それでも子供時代の私にとって誕生日は、日が近付くにつれてワクワク感が増し、当日は魔法がかかっているかのように世界が光り輝いて見える、そんな特別な日だったのである。

大人になってその感じは薄れたが、それでも明るい気分の名残のようなものはずっと残っていた。自分がこの世に生きている事を喜ばしいと思っていなかった時期でも、「3.11」はずっと私のラッキーナンバーだと信じていたし、この日はずっと「私の日」だった。そのはずだった。

だが、私の28歳の誕生日に、それは終わった。
あの日あの時、私は友人にファミレスで昼食を奢って貰った後、車を運転している最中だった。なのでその時に家にいた人々と比較しても、怖い思いをしなくて済んだ。済んでしまった。
「あれ?なんかハンドル取られるな、タイヤがどうかしたのかな…?いや違う、電信柱が揺れてる!これ地震じゃん、しかもめっちゃデカい!」という程度にしか、「揺れ」そのものも知覚しなかったし、車の中にいたために、何か物体が落下したり、家具が倒れたりしてくる恐怖も味わわなかった。停電で信号が消えた道を恐る恐る運転しながら帰宅した後、めちゃめちゃになっていた家の中を片付けた、ただそれだけだ。非常に幸運だったわけだが、そんな私の「被災」は、「純粋に不便だった、厄介だった」という感想で終わり、恐怖とは結び付かなかった。

一方で、同じ地域に住んでいても、大抵の人は私よりも恐怖や悲しみ、憤りを強く感じていた。余震が怖くて眠れないと話す人も多かったし、家が壊れたりして嘆く人も多かった。
元々正常性バイアスが強い上に、車に乗っていたせいで地震そのものの恐怖を完全スルーしてしまった私は、地元の人々の中でも、感情的に完全に置いてきぼりになった。元々そうした感情の鈍い私だったが、それにしても完全に、全く、周囲の人々の誰にも共感できない状況は地味に堪えた。

更に、全国規模での追悼の流れである。震災の起こったその年には、勿論私も共感した。心の底から悼むことが出来た。
だが、翌年から湧き上がったのは、非常に自己中心的で、でもどうしようもないこの感情である。

私の誕生日なのに。
誕生日なのに!!

震災で失われた命を悼む気持ちは勿論ある。
災害が奪った多くのものを惜しむ気持ちも、傷ついた人々の心が癒されることを願う気持ちも勿論ある。

でも、だ。
震災、追悼、復興とその課題、必ずそういったものと結び付けられて「3.11」という日付が語られる度に、毎年3月が近付いてマスコミによるそれらの圧が増していく度に、その圧が3月11日にピークに達するのを見る度に、どうしても思ってしまうのである。

私の。誕生日なのになぁ…。

非常に個人的で恐縮なのですが、でもいるんですよ、そう思ってしまう人間が、365分の1の確率で。
私の周囲には流石に、この気持ちを分け合える相手はいないけれど……。

と思ってたら、いた!いらっしゃいました、noteのフォロワーさんの中に!!

勝手に引用させて頂いちゃいましたが(問題がありましたらお知らせください)、子供時代から誕生日が震災の日というのも、私とはまた違ったテイストで切ないものを感じます。
そう、この「おめでとうって言う/言って貰うのが何か不謹慎な感じがするムード」、これがこう……モヤモヤするんですよね……。

世の中の全てに、私の誕生日を祝って欲しいなんて言うつもりはないんです。でも「世の中の全てに、暢気に祝うことを禁じられてる雰囲気」ってのはこう、ね……。地味に……。

いや、まぁ良いんです。流石に最近はトーンダウンしてきていますし、そうであろうとなかろうと、自分で自分を祝うべきですし、そうしますし、親しい人には祝ってくれって言います。ケーキも食べたし、今夜はお寿司食べます。

それで、えぇと、そのですね。
震災でダメージ受けてなくて、色んな意味で余裕のある方、どうか。
ちょっとだけで良いので、「そうかー3.11って新原わたりの誕生日なのかー、気の毒になぁ(笑) まぁおめでとう」って思って下さるとうれしいです!是非ともよろしくお願いします!!

あと、ついでに言いますと、私のぽよ息子の誕生日が「1月17日」でして……えぇと、その……なんだ、まぁ、うん。なんかごめん。
流石に時間経ってるから、そこまで影響ないと思うから、許してね、ぽよ息子……!!

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