#38 乗客に日本人はいませんでした

ノーベル賞の発表の時期である。今年も順番に発表されてきたが、物理学賞は眞鍋淑郎氏の地球温暖化予測の研究に送られた。日本人が受賞した!と号外が街に溢れ、TVでも連日、その成果や人柄が報道されている。

実におめでたい。

日本人の脳みそが、である。

眞鍋氏の経歴を少し調べてみれば解るのだが、27歳でアメリカに就職し、44歳でアメリカ国籍を取得している。一時期日本に戻ってもいたが、今回の受賞に対する研究はアメリカで為されている。現在もプリンストン大学を名乗っているところを見ると本人の帰属意識もそちらにあるのだろう。

つまり、今回のノーベル賞は『アメリカの研究機関』が獲得していて、その点を日本人は嘆かなくてはいけないのが本来である。

『日本人』はその定義を都合よく変える癖がある。定義の一つは大和民族(時にアイヌ民族・琉球民族を含む)であるということである。今回はこの定義が使われた。

もう一つの定義は日本国籍を持っているということである。例えば大阪なおみやダルビッシュ有はミックスであり、そのことがスポーツで活躍する上ではプラスに働いているはずだが、そこは触れないようにしている。

ノーベル賞の絡みで言えば、青色LEDの中村氏が日本の研究体制を批判したこともあった。だが問題は解決されぬ(できぬ)ままだ。嫌なものから目を背け、自分たちをごまかしながら、ノーベル賞を祝っているのだ。

また、一般の科学リテラシーが低いこともこの時期になると研究者仲間では話題になる。ノーベル賞がどれだけ凄いか、その内容をきちんと説明できる人はいるだろうか。

かつて日本はノーベル賞研究者を多く輩出する国だったはずだ。日本の研究機関がその衰えをきちんと認識して、再度、科学立国に向けて歩み直さなくてはいけないのだろう。

(2021/10/6)

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