生き方|泣くほどに伝えたかった彼女と、今の私

(2018年1月23日執筆)

私が真剣に文章を書くようになったのには理由がある。恥ずかしいことを恥ずかしげもなく言うのもひとつの才能だろうから、はっきり言ってしまおう。

愛は伝染するからだ。

文章を書くという行為は、数ある表現手法のうちのひとつでしかない。

私は絵も描けないし、弁も立たないし、ビジネスの才能もなければスポーツもできないので、たまたま文章という形式を選ぶことになっただけだ。ただただ表現したかったから。

人はなぜ表現をするのだろう。

私がまだ小学生の頃、歌手を目指す女の子が主人公のマンガがあって、いつも楽しみに読んでいた。沖縄アクターズスクールが舞台のお話だった。

主人公の女の子も小中学生くらいの子供で、彼女には歌とダンスの才能もあるのだが、「なぜ歌手になりたいのか」と問われた時、はっきりと答えられずに困っていた。

詳細な描写はもう忘れてしまったのだが、子供心に私は「どんな理由が正解なんだろう」と不思議に感じていた。全く想像が付かなかったからだ。

それから物語は進み、主人公は少しずつ歌手としての経験を積んでいった。人前に出て歌う機会が増え、お客さんの反応を得て、そうやって過ごしているうちに、あるとき「これだ!」と、何かを悟ったかのようなシーンがあった。

確か彼女は泣いていた。

「歌手になりたい」と言って。

ボロボロと涙を零して。

だけど、当時の私にはその意味が全くわからなかったのだ。なんらかのセリフを伴って描写されていてもなお、実感として理解できなかった。

だから彼女が語っていた理由などは、ひとつも覚えていない。

なぜこんな話をするのかというと、今になって彼女の気持ちがわかるのである。わかるようになったから、こうして思い出したのだろう。

人はなぜ表現をするのか。
自己主張のためか。
なんらかの技術を誇示するためか。

違う。そんなのではない。

伝えたいのだ。
たとえば愛を、勇気を、信じるものを。
魂を削ってでも伝えたいのだ。

だから彼女は泣いたのだろう。
伝えたいことが溢れ出したのだ。
涙として、形として。


今日は少しセンチメンタルになる出来ごとがあって、私の中でますます、伝えたいことを伝えることを諦めない、という気持ちが強くなった。

だからこんなこっぱずかしい文章を書いているのだろう。恥ずかしいことを、恥ずかしげもなく。


ところで、文章を書くという行為は私にとって、自己の魂の救済でもある。昔の自分が書いたことに今の自分が救われるなんてことがあったりするのだ。

それがわかってからは、未来の自分もまた、今の自分に救われたりするのだろうと思い、そんな前提で書いてみたりもしている。

未来の自分へ。

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綿生しあの

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