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一番きれいだった日(振り袖の話)

今日は成人の日だそうだ。なんだって!?知らなかった。日にちの感覚も曜日の感覚も消失しているから、1月下旬くらいかと思っていた。まだ1月って始まったばかりなんだ……お正月って終わったばかりなんだ……あ、そう……

成人式といえば振り袖である。日本中が色彩に溢れ、華やかさ晴れやかさに満たされる日。布団に横になり続けるアラウンド80のような暮らしを送っていると、若い人たちの元気な姿が光に見える。テレビに映る若者に目を細める。身も心も本当におばあちゃんになってしまった。わたしおばあちゃんだから。

と言っても、自分が成人の日を迎えたのはつい11年前のことだ。他県の大学に通い、高校は楽しかったから良かったけど、小中の卒業アルバムではガッツリ目が死んでいた私としては、成人式に対して複雑な想いがあった。そんなに行きたいものではなかった。かといって絶対に行きたくないものでもなかった。

なので行った。行って良かったと今では思う。中学校ごとに区切られたブースを横切る時にはヒヤヒヤしたけど、いやなことは起きなかったし、仲良くしていた旧友とも再会できた。会場の外で高校の友人たちと集まったのは何より楽しかった。夜も居酒屋に行って、自分たちがお酒を飲んでいることに驚いた。大いにふざけ合って、楽しかった思い出しかない。

何より、「晴れ着を着れた」ということが、おばあちゃんになってみると一番嬉しい。「わたしが一番きれいだったとき」というやつだ。毎日パジャマしか着ていない今、自分にもきれいだったときがあったのだと想い返せること自体が、幸せなのだ。

成人式の準備は衣装集めから始まる。20歳になるより前から、振り袖を探しに店を回った。記憶はおぼろげな部分もあるが、街中にある若い人向けの呉服屋に行って、可愛らしい桜色の振り袖を肌に当てた時、全く似合わなくて驚いたことを覚えている。鏡に映った自分は花柄の中で膨張していて、「孫にも衣装」を絵にしたみたいだった。

もっと渋い色柄の方が似合うかもしれないと、染元だか問屋だかのB反市に行った(小売店から戻ってきた反物が安く手に入るのだ)。そこは和室が数フロアあるビルで、畳に広げたえんじ色の敷物の上にゴロゴロと反物が転がっていた。まるで昔話の財宝のような、山ほどある巻物の中から、紫と茶色が混ざったような、海老茶色の反物を見つけた。

体に当ててみると、色の白い自分の肌によく似合っていた。控えめだけど華やかさもある、小さなおめでたい柄も気に入った。金糸の縁取りが美しかった。これにしよう。これがいいね。

帯締めと帯揚げも選びに行った。それに草履と鞄と髪飾りも。デパートの着物売り場には全てが揃っていた。振り袖を持ち込んで、幾つも幾つも当てて選んだ。帯は親が持っている金色の織物があったので、それに合わせる形だった。

人とかぶらない、かといって奇抜にならない、あくまで品のある色合わせを考えた。鮮やかなブルーの帯締めと、紫の帯揚げ。この組み合わせはなかなかないよね。お店の人とも盛り上がった。本当に綺麗な晴れ着に仕上がった。

わたしが一番きれいだったとき、
幸せは確かにそこにあった。

成人の日は、とにかく嬉しそうな父の笑顔が印象的だった。今なら目に入れても痛くないんだろうな、と思った。

ホテルで着付けをして、ぎゅうぎゅうに帯を巻かれて、写真室で写真を撮った。ロビーに出ると、買ったばかりのデジカメで母は何百枚も写真を撮ってくれた。セットしてもらった前髪が気に入らなくてちょっとだけいやだったけど、写真の中の笑顔がパンパンでびっくりしたけど、今ではそんなことは気にもならない。

晴れ着が着れたこと、
人生で一番きれいな日があったこと、
きっと素敵な思い出になる。

20歳の私へ、
31歳のおばあちゃんより。



HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞