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みんな無理せんとって。

最近みんな無理してるな~と思って、なんか勝手に心配している私です。ほんまに無理せんとって欲しい。「無理せんとって」とは標準語で「無理しないで」という意味です。「無理しないで」よりポップでいいでしょう~。

「無理する」というのは体(もしくは心)に負荷がかかっている状態です。一回きりの無理ならこなせるかもしれません。だけどもしそれが、一日三回、毎日、一ヶ月、一年続くとしたら。きっと体のどこかが音を上げてしまうでしょう。日常的に継続できてこそ「こなせる」のであって、継続できないならそれは「無理」なのです。

無理を続けると、ほぼ必ず体や心のどこかにガタがきます。そうして一度ダメになってしまうと、もう元に戻すことはできません。家に例えるとわかりやすいでしょうか。柱の折れた家は放っておけば倒壊するし、修理するには時間もお金もかかります。

もちろん無理しなければどうにもならない状況というのもあるでしょう。そんな状況にある人を責めたいわけでは決してありません。だけど、仕事などは特にそうですが、よっぽどの重要人物でもない限りほとんどの仕事は代わりが効きます。

「代わりが利く」と言うと、自分の存在が無価値であると言われたような気がして傷つくかもしれませんが、そうではありません。あらゆる仕事において、「代わりが効く、バックアップが取れている状態」を維持しておくのは、組織の責任であると私は考えます。自分の代わりがいることで、必要なとき必要なだけ休むことができる。これが、誰しもが無理しなくていい社会であり、本来のあるべき姿だと思います。

これは自分の話ですが(自分の体験を交えずに書くのって難しい)、私は療養生活に入った時、「何が何でも絶対に無理しない」と固く心に決めました。そもそも無理をしすぎてこんなことになったのだから、無理は禁物と脳に刻み込みました。

特に肉体的なところは重視していて、できないことはできないと最初から言うようにしています。今だけ、最初のうちだけ、と思ってやってしまうと、周りから「これくらいならできるんだ」と思われてしまうからです。だから自分では窓も開けないし、着替えも用意しないし、頭も洗いません。全部やってもらいます。自分の負担がゼロになるように、療養に集中できるように、環境を整えることは私自身の果たすべきところでもあると思います。周りの誰しもが、私の全快を願って尽くしてくれているからです。

今だからこそ痛切に思うことがたくさんあります。体がおかしくなった最初のうちにしっかり療養していれば(できていれば)、今のような事態にはならなかったかもしれません。もちろんどんなに安静にしていても、やっぱり奇病になったかもしれないし、原因不明の病なのでそこはわかりませんが、そういう「タラレバ」的な思いがないと言えば嘘になります。

身体を傷めて、原因も分かっていなかった最初の頃、どうしても仕事が休めないと思っていました。だけど「休めない」なんてことはないのです。例えば、私がもし超一流の心臓外科医で、毎日多数の患者さんが執刀を待っている…とかなら話も別ですが、私はただの会社員でした。突然退職届を提出してすっ飛んででも、バックレてでも、非難されようがどうなろうが、自分の体を大切にしているべきでした。取り返しがつかなくなる前に。人生が変わってしまう前に。

休めない仕事なんてほぼありません。第一に尊重すべきは自分なのです。自分を犠牲にしてまで得るものなんて何もありません。少なくとも私はそうでした。

だから私は思うのです。みんな無理しないでほしいと。みんな無理せんとってと。

もちろんこんなのは自分の勝手な思いで、特殊な状況にあるがゆえの偏った考えで、超絶お節介なのだと思ってはいます。だから誰に訴えるでもなくこうしてひっそりと文章にしたためているわけですが……。

そんな日曜の夜。皆さんの月曜日が良きものでありますように。




HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞