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37年ぶりの再会「エゴン・シーレ展」


上野の東京都美術館で開催している「エゴン・シーレ展」に行ってきた。
学生時代に、奈良県立美術館での「エゴン・シーレとウィーン世紀末」を観てから実に37年ぶりだ。
私もずいぶん歳をとった。。。


37年前に購入したカタログ

今回の「エゴン・シーレ展」。行くかどうか少し迷った。
若い時に感じた、あの痛々しいヒリヒリするような緊張感溢れる絵を、歳をとった今観てどう感じるか少し不安だった。
若くして亡くなったシーレに「君、歳をとってすっかり感性が鈍くなってしまったね」と言われるような気がして。。

今回、思い切って行ってみて良かった。
シーレの絵の凄みをあらためて感じた。
展示の構成は、最初に主にシーレと同時代に活躍した絵が展示されている。有名なのかもしれないが私は知らない作家ばかりだ。
どこかで観たことがあるような凡庸な絵ばかりで、私には退屈だった。そうした絵がしばらく続いた後に、シーレの絵の展示が始まると、ガラリと空気が変わったように感じる。どこから観ても「エゴン・シーレ」の絵でしかない。圧倒的なオリジナリティだ。

私が特に好きなのは、紙に鉛筆とグアッシュでささっと描いた人物画だ。油絵のようなべっとりした重い暗さはなく、どこかカラっとした印象だ。人物だけが描かれており、その大胆なトリミングとホワイトスペースの使い方が、古さを全く感じさせない。とてもモダンでかっこいい。

ここで描かれている人物は「ただの女」「ただの男」だ。その人物から社会性や物語を剥ぎ取り、生物としての人間だけが描かれているように思う。だから裸体なのだ。

また今回印象に残ったのは「赤色」の色使いだ。赤は血の色であり、生の色でもある。死を感じさせる痛々しい絵にも関わらずこの赤色が有効に使われている。黒やブルーといった暗い色だけではなく赤色をスパイスのように使うことで、生きること、そして死ぬことを、観る人により強く感じさせるのではないだろうか。


シーレの風景画


今回撮影が許されているのはシーレの風景画が展示されている部屋だけだ。シーレといえば人物画、といった印象があったが風景画もなかなか良い。フンデルトヴァッサーにも似たタッチで落ち着いた色合いのチャーミングな絵だ。

シーレは、前回のパンデミックの「スペイン風邪」で28歳の若さで亡くなった。
その作品を今回のパンデミックのコロナ禍の中、シーレの倍近くを生きた私が観ている。
少し不思議な気持ちになる。

若い頃に観たシーレは
「生きている人間には必ず死が訪れる」と言っているような気がしたが

今回私が観たシーレは
「死ぬ日が来るまでは、人は生きている」
と言っているように感じた。

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