見出し画像

うん!このトイレは面白い!アートなトイレ in まつだい農舞台

現代美術の世界でトイレといえば、やっぱりデュシャンの「泉」だろう。
小便器を美術館に展示したことから現代美術が始まったと言っても過言ではない。
100年以上も前から、トイレと現代美術は密接な関係にあったのだ。

ところが、そうは言ってもトイレをアートにした事例はそれほど多くはない。
「現代美術の象徴」となってしまったトイレをアートとして創作するのは、オリジナリティにこだわるアーティストにとってあまり得策ではないのだろう。どうしても「泉」と比較されて、二番煎じ感はいなめない。

先行する作品を新たな文脈で読み直し換骨奪胎する、いわゆる本歌取りは、現代美術の主な手法の一つだが、既製品をただ美術館に展示するという、シンプルで本質的なアイデアを更新するのは、かなりハードルが高いのかもしれない。安っぽいパロディになるのがオチだ。

そんな中、あえてトイレをアートにした勇敢なアーティストもいる。しかも、美術館に展示するものではなく、普通にトイレの機能はそのままにアートに昇華しているのだ。
そんな現代美術のオリジンにチャレンジした「アートなトイレ」を紹介したい。


まつだい農舞台

大地の芸術祭の主要施設の一つ「まつだい農舞台」。この建物の中にあるトイレだ。


扉を開け、中に入ると一面真っ赤に塗られていて、思わず「わおっ、トイレなのに派手じゃん!斬新!」なんて思ってしまう。しかしこのインパクトのある赤色に気を取られた時点で、既にこのトイレの術中にハマってしまっているのだ。

用を足して手を洗い終わり、さあ外に出ようと振り返ると


「あれっ出口がない!」

ってことになる。

自分が入ってきたと思われる壁には、個室トイレが並んでいるだけだ。
一瞬トイレの中に閉じ込められたような錯覚に陥る。
少し落ち着いて室内を見回してみる、どうやら個室のトイレのドアが怪しい、と気づく。
そう、出入口のドアの内側のデザインがトイレの個室と同じデザインになっているのだ。

それはわかったが、ではこの4つの扉のうち、どこから入ったのだろうか?
トイレに入る時など、ほぼ無意識に行動するので、いちいち自分がどのドアから入ったかなんて覚えていない。
それで仕方なく順番にドアを開けながらチェックを繰り返し、ようやく出口のドアを発見し、無事トイレの迷宮から抜け出すことができた。

トイレの出入口のドアは、なんの変哲ものない実用的なものであるべき、個室トイレのドアとはデザインが異なるのは当たり前という常識を覆すことで、ただ用を足すためのものから、人間の無意識の行動を批評するユーモア溢れるアートになっている。
アートです、と大上段に構えることなく、普通のトイレとして存在してるところが素敵だ。
忘れられないトイレになった。って感慨に耽るのも変だけど(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?