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最初に

今回のnoteは存分にポジショントークが入ります。
私自身も現場で思い悩んだ立場ですし、今は医療者のメンタルヘルス問題に取り組んでいます。産業医として、(医療機関ではない)企業のメンタルヘルスにも携わっています。
「いのちを守る人の、こころを守る」というのは重要だという前提が私にはあり、「自分を犠牲にして、他人を守る」というのは違うという立場です。
もちろん、緊急時や災害時にはある程度の自己犠牲は必要です。しかし、「常に緊急時」という話なのか、それが常態化しているのが医療現場であり、その中で「人が使い捨て」になっている現状には強い疑念を抱いています。

コロナで露呈した医療者のメンタルヘルス

新型コロナウイルス感染症(以下COVID-19)に我々が接する様になってから、2年が経ちました。「パンデミック」という非常事態に、医療現場は様々な対応を強いられてきて、今まさに第6波(2022/01/19時点)を迎えようとしています。
新型コロナウイルスは医療業界の様々な問題を炙り出したと思います。医療体制の問題、感染症対応の問題、そして医療者の働き方の問題です。奇しくも医師の働き方改革が話題になっていた中でのCOVID-19。本来は2024年に「最後の職種」であった医師の働き方改革は施行見送りも検討されています。(https://gemmed.ghc-j.com/?p=34596
医師の働き方改革は、前提として「年間960時間までの残業」という過労死基準ラインの残業時間が設定され、更に枠組みによっては「年間1860時間」が規制となります。年間1860時間=月155時間です。土休日も8時間勤務して、なお1日4時間程度の残業をして達成できる時間です。平日は12時間勤務、土休日も休みなく8時間勤務が、「法的に認められる上限」になるという時点で、この業界の現状がおわかり頂けるかと思います。

この様な状況の中、現場の医療職の離職は増加しています。日本看護協会の調査では、COVID-19を理由とした退職を考慮している看護師は2割にもなり、まさに限界近くで働いている現状があります。
COVID-19対応は様々な問題があります。医療従事者側に厳重な感染対策が求められ、患者に接するたびに防護具(帽子・ゴーグルorフェイスシールド・マスク(息苦しい)・エプロン・手袋・シューズカバー)を着脱するか、集中治療などではずっとつけたまま対応することもあります。感染対策がなされていれば自分が感染する可能性は低いですが、院内では「気づかれていない」感染者がいる可能性も高く、全体で見れば感染の危険性は決して低くありません。常にリスクと隣り合わせです。
また社会の問題もあります。同調査では2割の看護師が「看護職員であることにより差別・偏見を受けた」と回答しています。現場にいることにより、差別されたというのは見過ごしてはならない問題でしょう。
パンデミック前より、ストレス要因は激増しているのが現状です。

コロナで「新たに出現した」問題ではない

新型コロナウイルスが出現する前から、特に看護師の働き方には問題がありました。2018年度の精神障害の労災補償状況で、最も請求が多いのが医療・福祉業界。職種別でも看護師・保健師・助産師が5位(、介護職が6位)であり、医療福祉職のメンタルヘルスの問題が伺えます。(厚生労働省 平成30年度過労死等の労災補償状況
何が原因でこうなっているのでしょうか。問題は多岐に渡ります。職業としても人の生死にダイレクトに関わること、突発的な事象の多さ、既に病気を持っており高ストレス状態にある患者のケアをする事、交替制勤務など、職業柄の問題に加え、効率化不足、旧態依然とした上下関係など、本当は改善できるのに改善されていない問題もあります。
前者で挙げた「職業柄の問題」については、看護師や医療職のみならず、公共の福祉に関わる職業には当てはまるものが多いです。例えば消防士、警察官、救急救命士、自衛隊員、介護業界なども同じことが言えるでしょう。

この様な業界の問題に、「公共の福祉」という合言葉の下に、個人の犠牲や離職率の高さ、旧態依然とした状態に積極的に取り組んでこなかったという事があると思います。
平時、ないし「ある程度終息が見込まれる」災害時においては、自己犠牲によって制度を維持できます。元から看護師や公共の福祉に関わる仕事に就く方の多くは高い精神を持っており、ある程度の自己犠牲は厭わずに働く傾向があるとは思います。
この傾向故に、現場では問題が顕在化しにくく、ある程度は自己犠牲で働くのが「当たり前」として許容された結果、全体として労務軽減や効率化という動きが遅れているというのが現状です。その最たる職業が医師でしょう。(無論、医師は高い給与があり、それにより常態的な過重労働が許容されていた部分もあります)

たしかに公共の福祉に関わる以上、一定の奉仕精神は必要だと私も思います。どんな仕事でも利他的に動くのは重要なことで、人間が「社会性」を持った動物である以上、自己中心だけでは社会は回りません。
しかし、それにも限界があります。医療職になったんだから、全てをなげうって患者に尽くせ、というのは違います。(組織や社会がこれを強要するのは特に違うと思います。)
医療者だって人間で、家族がいます。子どもがいる母親は、患者も守りますが、家には「自分が一番守らなくてはならない」子どもがいるはずです。ここを犠牲にしてまで働きたい、と思う人は少ないでしょう、

そしてCOVID-19は、この「限界を突破」させたのではないでしょうか。これまでも問題は存在し、一定の方が離職したりしていましたが、コロナは更にこれを悪化させ、更には社会的差別などの新たな問題も出現し、これが拍車をかける形になりました。
その結果、一部の医療機関では「診療が維持できない」レベルでの離職を招いてもいます。ここまで顕在化したのはCOVID-19が大きな原因でしょう。

自己犠牲と奉仕は違います

ここまで敢えて「自己犠牲」という言葉を使ってきましたが、私は「自己犠牲」と「奉仕」は分けて考えるべきだと思います。
先程から述べるように、「公共の福祉」に貢献する、その「奉仕精神」は必要です。しかし、マズローの欲求の5段階にあるように、根底の欲求が満たされなければ上の欲求を満たすのは難しくなります。これすらもなげうって働け、というのが「自己犠牲」という言葉にあると思います。
COVID-19では、生理的欲求や安全の欲求が脅かされる状況になりました。故に、これまで以上にこれらの欲求に注意を払う必要があります。通常業務が感染のリスクなどが高い状況では、適切な労働時間で、プライベートが確保される必要が本来はあるのです。
無論、先程述べたように「終息の見える災害」であれば、「自己犠牲」はありです。(何度でも言いますが、それでも強要されるものではありません。)災害時の自衛隊や消防は、常に自らの命の危険と隣り合わせにはありますが、災害は一定期間で終息します。彼らの命と隣り合わせの活動も、絶対的に適切な休養や報酬と共に行われるべきものです。(それも不十分ですが)
COVID-19でも、初期は多くの医療者が「感染終息」を信じて、自己犠牲でもって診療に貢献しました。しかし、長引くに連れ、終わりが見えなくなってきています。今になって離職率が上昇しているのには、この様な背景もあるでしょう。

だからこそ、「自己犠牲」ではなく、「基本的欲求が満たされた状態」での「奉仕」が重要なのです。COVID-19診療が常態化するのであれば、そこに従事する人はむしろ、より安全や労働時間などに配慮をする必要性があります。周囲が基本的欲求を担保することで、初めて社会的に「奉仕」ができるのです。
ここを、「医療者なんだから自己犠牲をして当たり前」とう論調には明確に異を唱えますし、他者がこれを明言して強要するのはもはや集団ハラスメントみたいなものです。
この気持ちが、時々医療者から出る「医療職でないのにとやかく言わないで欲しい」ではないかと、私は考えています。(もちろん、様々なセクタから建設的な提案や意見が出されるのは大事な事です)

主語を大きくするのはやめませんか

特にこの様な議論で目立つと私が感じるのが、「いたずらに主語が大きい人がいる」という事です。これは医療者自身も例外ではありません。

先程も申し上げたように、「自己犠牲を他者に強要する」のは、同じ医療職であってもしてはなりません。この点で、医療者が医療者に対して「医療職なら自己犠牲の精神で、患者を見るべきだ」と述べているのを見ると、非常に悲しい気持ちになります。
東京の医療崩壊に、医療者からも様々な意見が出ましたが、一部で「東京の医療機関はなぜもっと受け入れない!自己犠牲してでも見るべきだ!」という論調がありましたが、本当にこれは筋違いです。

医療職でも個人個人違います。「同じ医療職だから」と、主語がWeになってやたらと大きくなるのは、それで苦しむ人を生むだけではないでしょうか。
もし指摘するなら「東京の医療体制の『システム』の問題」を指摘すべきであり、「医療者個人の意識」を槍玉に挙げるのは絶対にしてはなりません。

医療機関にも色々な事情があります。組織を挙げてCOVID-19診療に取り組んだ医療機関もあれば、設備などの問題から断念した病院もあります。一部には、補助金を上手く使い、収益を挙げた病院がいたのも、残念ながら事実です。
特に重症COVID-19の診療には人的・物的に潤沢な医療資源が必要であり、それは個人だけの問題ではなく、組織としてどうやるかの問題になります。資金力の問題もあります。
設備などから断念した病院であっても、診療をやめた訳ではありません。コロナ以外の疾患は存在していて、それを診療していました。

この様な問題を、主語を勘違いした上に大きくして、「医療者がもっと意識を持てばコロナを診れた!」と結論づけるのは全くの筋違いです。この論調で傷つくのは現場の医療者であり、社会的リンチに等しい行為です。結果として、より離職者を増やすだけでしょう。
個々の事例で問題のあるものは指摘されて当然ですが、過度に主語を大きくすれば、傷つく人が増えるだけなのです。

個々の事例やシステムに対し、建設的な改善点を出すことは重要です。医療にはこれを事故=アクシデントに至る前の段階で阻止しようという、「インシデント」というシステムも存在します。インシデントで注目するのは、それに至った「原因」。原因を潰すことで、再発を予防するのが目的で、決して個人の糾弾が目的ではありません。
個人を糾弾しても何も始まりません。ここは切に申し上げたいところです。

まとめ・お願い

これは別に医療に限った事でもありません。
人は不満がたまると、どうしても攻撃的になります。コロナに抑圧される中で、社会不安は増大し続けてもいます。
しかし、それで攻撃する対象を間違えれば、苦しみの連鎖を生み出すだけです。

医療者個人を攻撃すれば、一時は片付くかもしれません。しかし長期的に離職が増えれば、ただでさえ持続可能性の低い本邦の医療が、更に持続できなくなります。
それは結果として、受療者である国民の苦しみに繋がります。

COVID-19で戦うべき相手は、ウイルスです。人ではありません。
ウイルスよりヒトが怖くなるような状況では、人間はもはや自滅していると言わざるを得なくなってしまうのではないでしょうか。

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