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TBS金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」第一回を見て、宮藤官九郎こそノーベル文学賞にふさわしいとマジで思ったという話。付録・宮藤官九郎のドラマ的に面白かった世界の傑作小説noteリンク貼っておきます。

 僕は今、世界文学の読書をしては感想文を書くということを中心に隠居生活をおくっているわけだが、僕の読書感想文における最大最上級の誉め言葉というのが「宮藤官九郎のテレビドラマくらい面白い。」なのである。

 いままで、全部の感想文で本当にそう書いたかどうかはさておき、宮藤官九郎のテレビドラマくらい面白かった小説を列挙してみる。

ガルシア・マルケスの『百年の孤独』や『コレラの時代の愛』

noteで書いてるな

村上春樹の話をしていたのに最後が宮藤官九郎って、支離滅裂もいいところだが、『コレラの時代の愛』という本そのものの感想で言えば、「宮藤官九郎の連続テレビドラマくらい面白い」というのが本当のところ。村上春樹は気取っていて嫌い、という人が読んでも、ガルシア・マルケスは絶対面白いよ。宮藤官九郎のドラマファンこそ、ガルシア・マルケスを読むべし。

マーガレット・アトウッドの『獄中シェイクスピア劇団』

書いてるな、感想文に

 シェークスピアとか「ノーベル賞最有力候補アトウッド」とか、全然、ビビらんでいい。最高のエンターテイメント。元ネタの『テンペスト』も、全く知らなくてOK(僕も読んでない。)
クドカンの、「タイガー&ドラゴン」や「いだてん」で、落語の元ネタとドラマの事件進行が、ダブりながら見事な構成で進んでいく、あの感じ。喜劇なんだけれど、泣かせるような切ない感じもあるところも、ああいう感じ。「監獄のお姫様」のような、復讐劇とか、なんだか、そういういろいろをまとめて小説にしました、クドカンが、と言われても納得する。

アンナ・バーンズの『ミルクマン』

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』も。

ついでにイアン・マキューアンの『恋するアダム』も加えておくか。

 どれもだなあ、どう面白いかと言うと「不適切にもほどがある」というタイプの小説なのだな。実は深刻なテーマが扱われていたりするのに、ものすごく助平だったり、悪ふざけがすぎたり、突然、歌いだしたり踊り出したりするのだ。読んでいて、何ページかに一回は息もできないくらい爆笑してしまうし、ああ、子どもには読ませられないなあ、電車の中で読んでいて、隣の人に覗きこまれたら変態だと思われてしまうなあという助平描写のページが所々に出てきてしまうのだ。

 そういうところが、本当に宮藤官九郎のテレビドラマ見ているみたいに面白いのだ。

 宮藤官九郎のドラマって、たった一時間のドラマの、その大半がひどく悪ふざけしていて、何分間は親子で見ていると異常に気まずい雰囲気(助平だから)になり、そしてときどき感動して泣いたり、その上ときどき山田太一のドラマみたいに、世間のつまらない常識に、真っ向から反論するようなほんとうのことを登場人物が堂々と語ったりもするのだよな。

 そしてだな、ガルシア・マルケスはノーベル文学賞受賞者だし、アトウッドとサルマンラシュディとアンナバーンズとイアンマキューアンはブッカー賞(その年の英語圏最高の小説に贈られる賞)受賞者なわけだ。ノーベル文学賞取ってもおかしくないクラスの小説家である(アンナ・バーンズはまだそこまでの大家ではないが)。

 ということはだな、今、日本人でいちばノーベル文学賞を取るべきなのは、それにふさわしいのは、宮藤官九郎なんじゃないかと、そう思ったわけだ。劇作家だって詩人だってノーベル文学賞を取るのだから、テレビドラマ脚本家がノーベル文学賞取ったっていいじゃんね。宮藤官九郎、劇作家でもあるわけだし。いやでも、テレビドラマ脚本を主たる業績として世界初のノーベル文学賞受賞者になってもいいと思うのだよな。ガルシアマルケスだってアトウッドだってテレビドラマや映画の脚本も書いているわけだし。

 昨日、TBS金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」第一回を見ていて、宮藤官九郎こそ、ノーベル文学賞にふさわしい、と思ったという話でした。うん。村上春樹より宮藤官九郎だ。

 なんか数年後のノーベル文学賞発表当日、日本のハルキストが例年のようにそわそわと発表を期待しているのに、「宮藤官九郎、ノーベル文学賞受賞」っていうニュースが駆け巡ったときの、日本のテレビやその他マスメディアや文学界の大騒ぎぶりを見てみたいなあ。それこそ宮藤官九郎のドラマ的ドタバタ大騒ぎになるだろうなあ。


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