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ひなた(川栄李奈)と文ちゃん(本郷奏多)の別れの名シーン『カムカムエヴリバディ』第89話。浅く透明な小川のような美しさが、ひなたにはあるなあ。「バカで、明るいお前が、大好きだ」

 昨日の「カムカムエヴリバディ」は切なかったなあ。脚本家の人、本当に上手いなあと感心しきり。


藤本有紀さんていうのか脚本家さん。


 このドラマ、ダメな人のダメな具合、おばかさんのおばかさん具合の描き方が、本当に上手いんだよなあ。


 ひなたちゃんて、子どもの時から、夏休みの宿題もできないし、ラジオ英語講座も続かないし、大盤焼きも焼けないし、それを演じる川栄李奈さんも、本当にその感じを上手く演じているんだよなあ。


 五十嵐文ちゃん(本郷奏多)との出会いからの成り行きも、不愛想にされれば嫌な奴だと思い、きついこと言われればまた怒って反発し、そういうときにはこの人のこと好きなのかも、好きになりつつあるのかもなんて、本人、全然思っていない、気づいていなくて。そういう、なんというか、素直に素直に反応する、そういうおばかさんの、おばかさんなりに考えては一生懸命生きる,恋をする、その切なさ。


 おばかさんって、悪い意味で言っているんじゃないの。なんていうか、浅くて透明な小川のように、考えていることがそのまんま表情に出て、浅い小川だから、大河のようにだったり深い海のようにだったりは難しいことは考えたりできないのだけれど、浅くて透明な水が流れている小川には、それとしての美しさや魅力があって、泳いでいるメダカや、水草や、川底の石がキラキラと、全部透けて見える魅力があるのだよな。ひなたには、そういう魅力があるのだよな。


 今日の、ひなたと文ちゃんの別れのシーン。脚本も、演出も、役者さん演技も、すべてが完璧な名シーンだった。


 台詞のある役もつかず、風鈴をプレゼントしたときにはプロポーズのようなことを言ってしまったが、大部屋役者の今の自分には、まだ結婚できるような目途もたたず、それで飲んだくれて、破天荒将軍の主役に酒場で絡んでトラブルを起こし、一年間、役はやらないと演出家に言い渡される文ちゃん。


 心配して文ちゃんを探していたひなたと、無人の役者さん休憩所で二人きりになる。

文ちゃん「おれ、役者、やめる」

ひなたは、素直に、何でそうなこと言うのという表情になる。

文ちゃん「そんなに大きくないけど。親父が会社、経営していて、兄貴が副社長をやっている。そこで働こうと思う。だから、ひなた、一緒に東京に帰ってほしい。ひなたと結婚しようと思ったら、それしかないんだ」
って、やっとちゃんとプロポーズしてくれているのに、結婚のことより文ちゃんが役者をやめるということにむっとするひなた。

ひなた「なんで。なんでそんなこと言うの。あたし言うたやんか。待ってるって。文ちゃんが納得できるまで待ってるって。」

文ちゃん「そんな日は来ない。ここにいる限り。いちばん大事なものは何かって考えたら、ひなたなんだ」
って、男が夢を諦めて結婚するって言うのって、それは本当に大変なことなんだけど、

文ちゃん「かなわない夢なんかじゃなくて、ひなたと一緒にいることが」
って、ひなたの手を握ろうとすると、ひなた、払いのけちゃう。

ひなた「わたしを言い訳につかわんといて。夢から逃げる言い訳に」
うん、なんか、あたし、かっこいいこと言えた。と勢いづくひなた。

攻守逆転しちゃう。ひなたの方から文ちゃんの手を取り、ちょっとひっくりかえったかわいい甘えるような声で
ひなた「文ちゃんの夢があたしの夢や。」

文ちゃんのことをまっすぐ見つめ
ひなた「文ちゃんはアラカンの50倍、モモケンさんの100倍、すごい時代劇スターになれる。そうなる人や。そのためやったらあたし、なんでもする。どんな苦労かて、たえてみせる。一緒やったら、どんなことかて乗りこえられる」
と晴れやかに笑顔。
ひなた、さらに「ふん」と笑って得意げに「あたしかて結婚資金ためてんねん」。
 そんな東京に帰らんでも、役者としてまだ苦労しても、あたしたち結婚できるんだよ、やっと結婚できんだと嬉しくなってしまっている。そりゃ、お母さんも、全然働かないお父さんを支えて、楽しそうに結婚生活をしているんだから、あたしだって、できる。そう思っている、ひなたちゃん、この瞬間は。
ひなた「定期で積み立てしとんのやで」
笑って一人でうなずいて
ひなた「な、一緒にがんばろう、文ちゃん」。

文ちゃん、ボロボロ泣いて、ひなたを抱きしめる。
文ちゃん「どうしてお前はそんなにバカなんだよ。」
泣いてさらに強く抱きしめる文ちゃん。

急に強く抱きしめられて
ひなた「どうしたん?文ちゃん」
と言いつつ幸せいっぱいの表情のひなた。

文ちゃん、泣きじゃくりながら
文ちゃん「バカで、明るいお前が、大好きだ」

ひなた、にやけてしまい
「あたしも、文ちゃんが好き」


で、ハッピーエンドかと思いきや、


文ちゃん「だからもう」
と、抱いている手をほどき、ひなたの両肩を押しやって、からだを離し、ひなたの顔を見つめて、
まだひなたはうっとりした顔のままなんだが、
文ちゃん「お前とは一緒にいられない」

まだ事態がつかめないひなた
ひなた「文ちゃん?」
ひなたは文ちゃんの表情から何が起きたのか、一生懸命読み取ろうとする

文ちゃん「ひなた、もう、傷つけたくない。傷つきたくない」
文ちゃんの後ろ姿越しに、ひなたの顔アップ。まっすぐ見つめるひなたの目が、文ちゃんの悩みの深さにようやく気づいていることを表している。

文ちゃん「ひなたの明るさが、ひなたの放つ光が、俺にはまぶしすぎるんだ」

という文ちゃんの、初めて見せる弱さをさらけだす表情に、ひなたの目は、開いているけれど、もう文ちゃんの顔を見ていない。自分の、素直に、ただただまっすぐ文ちゃんを応援する気持ち、成功を信じる気持ちが、文ちゃんを傷つけていたんだ、ということに、初めて気づく。ひなた、口をちょっと開くが、言葉が出てこない。

ここで場面変わって、電車が走る。一人、家に帰るひなた。お母さんお父さんの「おかえり」にも何も答えず顔も見ず、部屋に入って、「文ちゃん」と泣き崩れる。かわいそう。


 トランペット吹けなくなって、それ以外は何もできない、なんにもしないでニコニコ楽しそうにしているお父さん。そもそもお父さんがトランペット吹いてたころのかっこよさなんて、知らないわけだし、ひなたちゃん。そのお父さんを大好きなお母さん。そういう家庭に育ったら、男が、仕事がなくなる、金が稼げない、だから結婚できないって思い詰めちゃう、そのつらさや、「私が支えるから」みたいなことを言われるつらさ、みたいなこと、あの家庭の特殊事情として、わからずに育ってしまったんだろうなあ。だって、お父さん、楽しそうだもんね。


ひなたちゃんの、短い間にころころと振れる心が、本当に切なかったなあ。


 ああ、これ、本当はウクライナの戦争のこと、悲惨なウクライナの人たちのことをテレビで見れば、それはロシア憎し、プーチン憎しと思い、けなげに戦う準備をするキエフ市民を見れば、ウクライナ100%正義、がんばれってなっちゃう、そういうシンプルな心のありようっていうのは、それはひなたちゃんの心がそうであるように、とても美しく、そして浅い。浅いんだよなあ、でも美しい。


 そのことは、なんというか、そうなんだから、おばかさんの心の美しさゆえなんだから、しかたないんだよなあ、という、そういう、戦争についての投稿として書こうと思ったのだけれど。ドラマについて、書いていたら、そっちに熱中してしまいました。


 一人一人の心のありようとしての、浅い小川のような透明な美しさというのは、恋愛ドラマとしてみたときには、それは切なく、いいものなんだけれど。戦争と言う特殊な状況で、そういうまっすぐでシンブルな心が集団になったときに、国全体を思わぬ悲劇にひっぱっていくこともあるんだよなあ。


 一日中戦争のことを考えていると、ひなたちゃんのことを見ても、そんなことを考えてしまう、そんな今日でした。


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