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絵を運ぶ

9月の朝、10号線を別府から大分方面に向かう。

レンタルした白の軽バンの後部座席には絵が載っている。

ナフコで買った180cmほどの高さのある薄いベニヤ板に打ち付けられた紙の絵が強い潮風ではためくため、窓は半分以上閉じられている。

左の車窓から見える海と空は柔らかいコントラストで分けられ、大きく軽い絵だけを載せた車内は広く明るい。

その絵は即興的なたくさんの淡い色彩の筆致で描かれている。

流れるほど薄く溶かれた絵の具は、いつまでもたった今描かれたように新鮮だ。偶然現れた図像のように紙が色彩に覆われていない部分があり、抽象と具象のあわいで髪の長い女性が振り返っている。

一ヶ月前、八木萌のインスタグラムを見た友人の知人からその絵の購入依頼があり、その未だ見ぬ人物は九州で最初の作品の購入者になった。

画面は海岸線の風景からビルの多い大分の街に変わっていく。そして車は搬入先の大分駅前のマンションに到着した。

固定した板の高さと幅が扉ほどあるためエレベーターに載せられるかがわからなかったが、少し斜めにしただけで入り、絵はあっけないほどスムーズに部屋の前に運ばれた。

インターホンを鳴らす前に、部屋の主はリアルなライオンが前面に大きくプリントされたTシャツを着て出てきた。歓待でも拒絶でもない態度で、部屋の中に案内される。

その部屋の窓からは大分の町全体を見渡すことができるが、部屋に対するこだわりは見えなかった。どれも交換可能な無機質で簡素な家具。装飾らしいものは何も見当たらない。部屋の中で色があるものは乱雑に積み上げられた雑誌だ。この部屋の主と美術作品の購入という行為は中々結びつかない。

絵を指示されたベッドの脇に置くだけのあっけない設営が終わった。無言で見つめられる絵は、朝の明るいアトリエで見た時と違い、色を失い空間の中で縮こまっているようだった。その絵は、このどこまでも現実的な部屋では異物だった。

一つの質問を思いつく。

窓を開けてもいいですか?

少し緊張した空気の中、返事を待たずに締め切られた分厚いカーテンを開き、ベランダの窓を開けた。冷たい外気が流れ込み、紙の絵を震わせる。朝の光が様々なものに見慣れない影を作る。絵の表面が白く光り、絵の具が流れる。部屋と絵との冷たい主従関係は消えた。

その日以来、その部屋に足を踏み入れていないし、その依頼人がどうしているのかも知らないが、時々思い出す。

絵に描かれた人物の振り返った目線に見つめられ全てが止まった一瞬のことを。




















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