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好きや得意を、その子自身が人生を肯定的に受け止め、望めばそれを軸に他人と関わるきっかけになるものとして捉える

こんにちは。

「『好き』で自信を創り、『好き』で社会とつながる」をビジョンに、発達障害児や不登校のお子さん向けにオンラインコミュニティとメンターマッチングサービスと教室運営をしている「Branch」の中里です。


最近、Branchを長年利用してくださったる方が、Branchについて長文で感想を書いてくださいまして、それがすごく嬉しかったので、ここに記載させていただきます(ご本人の許諾済です)。

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息子にとって、第2の親のひとりである 中里 祐次 さん。

今や「好きや得意を基軸に」という教育サービスがブームのように出てきているけれど、息子がお世話になり始めた当時は、すごく新鮮だった記憶があります。そもそも、いわゆる「教育サービス」という立ち位置とはかなり異なるものなので、それも珍しかったのです。

昨今のブームの一部にありがちな「好きや得意を 飯の種にまで伸ばす」とか「好きや得意を その子の社会的な価値につなげる」みたいな教育アプローチには、時として、偏差値を好きや得意に置き換え、我が子の「社会的なすごい」を大人が得て安心満足するという姿が透けて見え、結局は「他よりすごいから、あなた(の子ども)には価値がある」という原理に変わりないように感じることがあり、わたしは好きではありません。

(いや、わたしの黒歴史的には、自分の心の安定のために息子のギフテッド教育を真剣に考えた時期もあるので、えらそうなこと言えないんですけど)

Branchのすごいところは当時から、好きや得意を、その子自身が人生を楽しむとか人生を肯定的に受け止めるとか、望めばそれを軸に他人と関わるきっかけになるものとして捉えていたところ。

そもそも、子どもの成果(何かができる、他者よりすごいことができる)を、親が自己評価に代入したくなるような価値観とか仕組みが無いのです。煽りもない。まずもって、それがCoolとされる世界ではない(とわたしは感じます)。

その代わりに、親たちが支え合うコミュニティがあります。これまたギラギラでもキラキラでもイケイケでもなくて一見地味なまったり系コミュニティなのだけど、不登校とか発達障害とか2Eギフテッドみたいな「一般とはちょっと(だいぶ)違う子ども」を取り巻く世間で身につけちゃった「手段を替えた競争原理」みたいなものを、自然にアンラーニングしていけるような空気が流れていて、実はそれがとても大きな特徴のようにわたしは思います。

ここは結構難しいポイントだと思っていて、

たとえサービスの主催者が「すごいことが価値だ!」という世界観を推していなくても(逆にそういう価値観に明確な異を唱えていたとしても)、そこに集まった「ちょっと(だいぶ)違う子どもの保護者」の反応や態度によっては、その集団のなかで「すごいことは良いことだ! うちの子のすごいところを伸ばしていかなくては!」という価値観が共有され凝縮していってしまうリスクが常にあるように思います。

そうならないコントロールを、中里さんが意図的になさっていると感じたことはないのですが、結果としてそういうサービスにもコミュニティにもなっていないところが、ほんとうにすごいよなあと思うのです。

さて、中学に入ってからの息子は、週3でフリースクールに顔を出しつつ、Branchコミュニティで知り合った子どもたちとオンラインシェアハウス暮らしのような生活を送ってきました。

喧嘩したり仲直りしたり互いに仲裁に入ったり笑ったり叫んだり賞賛しあったり真似して追いかけたり。遊んでいるゲームやツールはその時々で変わりますが、声とアバターを介したコミュニケーションで、すごく深い繋がりになっているのを感じます。2年近くのあいだに、スピーカーから聞こえる彼らの声も低くなっていき、昨日はとうとう息子が「あいつにリアルで会いたいんだ」と言い出しました。

幼なじみは別として、同世代の友人という存在を欲しながらも、諦めと不安の対人感覚を拭いきれなかった彼が初めて「あいつに会いたいから、あいつのママと調整してくれる?」と。

会ったことのない友達に会いたい、そのために能動的に動きたい、その日が来るのを楽しみに過ごしたいという感覚が息子の中に発芽したことは、わたしにとってものすごく嬉しくてたまらない経験です。

中里さん、スタッフのみなさん、ありがとうございます

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いやー、嬉しいです。
サービスの機微をすごく丁寧に書いてくださっています。

これからも、子どもたちが安心安全に好きなことを大切にし続けられる環境づくりをしていきたいと思います。

サービスのために使わせて頂きます