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待ったなしの介護が始まりました

医者に「外科」「内科」「胃腸科」など専門分野があるように、管理栄養士にも専門分野があります。私は、母子保健(離乳食講座や、1歳半・3歳児検診の栄養相談など)や特定保健指導(いわゆるメタボ指導)、生活習慣病(糖尿病や高血圧など)の分野が専門です。最近では、母子保健をしていると乳児に食物アレルギー児が多く、悩まれている親御さんも多いので、食物アレルギー分野管理栄養士も取得しました。

そんな介護分野の経験のない私に、今年に入ってから待ったなしの介護が始まりました。毎日、目まぐるしく変化していく様子を忘れたくないと思い、この経験を書き残しておこうと思いました。
これから介護をされる方、介護をされている方、介護を経験された方、いろいろ情報交換もできたら嬉しいです。

前頭側頭葉変性症という病

3年前くらいから病名がつき、「前頭側頭葉変性症(ぜんとうそくとうようへんせいしょう)」という指定難病であることがわかった義母。
家族にとっては、「?」で頭がいっぱいでした。
「何、その病気?」
そう、去年ブルース・ウィルスも公表したあの難病です。

認知ではないので、私達が何を話しているかは理解はできているのですが、「話す」ことができないので、別名「失語症」と言われています。

病気の進行度は人によってさまざまらしいのですが、今年に入ってものすごいスピードで進行していっており、家族の気持ちも追いついていくのがやっとでした。

ここ2年くらい、病気が関係しているのか、転倒して腕を2回骨折していました。もともと狭窄症のため、手術して背中にボルトが入っており、食が細いのでフレイルでもあり、管理栄養士として、なるべく少量でも栄養価の高いものを食べさせるようにメニューを工夫したり、間食にはネスレのアイソカル100やゼリーを追加していました。
言語のほうは、徐々に失い、「はい」「い、い、え」「ち、、が、、、う」など言葉をなんとか苦しそうに発していました。

そして、今年のお正月から一気に加速。待ったなしの介護が始まりました。
お正月は、箸を使って御節料理を食べていた義母が、GWには箸が使えなくなっており、スプーンを2本つかって食べるようになりました。その1ヶ月後には、スプーンと手掴みに。
言語のほうは、お正月には笑うことくらいでしか反応がなく、GWには「あーーー」「あー」「あ゛ーーーーーー」しか発することができなくなりました。
認知ではないので、本人に意志があり、それを読み取るのが家族としては大変。

この難病のせいではないと思うのですが、フレイルだからか、歩くのとフラフラしており、5m歩くのも10分くらいかかります。
GWをすぎると、トイレに間に合わなくなりついにはオムツに代わりました。

今年のお正月から7月までで、階段をかけ落ちるようなものすごいスピードで進行しています。

そのような状況なので、私もいろいろ考え、悩みながら今に至ります。
この続きは、また今度。


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