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『メイキング文化人類学』読書ノート二章

この章は非常に線が引きにくく、読書ノートにまとめにくい。
それは、ボアズを評価しつつも文化相対主義を批判をすること、を要請されたことに由来すると思われる。
今まで出てきた文化人類学の要件とは、フィールドワークを大切にすること、比較を批判すること、かな。

第2章 媒介としての文化
     ― ボアズと文化相対主義[太田好信]

1なぜ、いまフランツ・ボアズなのか
・「わたしが自らの命をかけてもかまわないものとは、ばんにんの平等への権利である」
・ボアズはこの言葉を終生忘れなかった。アメリカ合州国では人類学を大学に制度化した人物として有名なこの人類学者も、日本ではそれほど知名度はなく、いまでも一冊の訳書すらない。
・「ボアズは米国人類学の特徴[国民性]を決定した人物である」
・第一点として、ボアズは十九世紀末の社会理論を支配していた進化論的発想を批判したことがある。
・第二点として、かれの形質人類学的仕事は、人種主義を当時の科学的方法――身体計測法など――にもとづいて批判し、人種は文化や言語を決定せず、これら三者――人種、文化、言語――はそれぞれ異なった領域であるという介入をおこなったことである。
・第三点として、ボアズが広範囲なフィールドを調査していることをあげることができる。
・だが、ボアズの業績のうちで、いまではつぶさにけんしょうされることがなくなってしまったほど、ボアズという名前に結びついている人類学的発想もある。それは文化相対主義とよばれる考え方である。
・ここで取り上げる文化相対主義には、互いに関連した二側面がある。
・ひとつは、文化を序列化しないこと。すなわち「人間の文化はそれぞれ非常に特殊なものであり‥‥なんらかの基準に照らし合わせて相互を比較することはできない」という、いまでは「正統な人類学の教義」とさえいえる考え方だ。
・文化をなんらかの基準に照らし合わせて比較できない理由は、基準それ自体が客観的ではないからである。それを客観的と思い込むことが、すでに自らの思考の外に出ることを拒絶しているからだという。この発想が第二の側面である。
・さてボアズと文化相対主義の関係について考察を試みる理由は人類学の教義にすらなっていると言われる発想が、いまでは批判にさらされているからだ。
・ボアズが生きた時代には、リベラルな思想そのものだった考えが、いまではそれが常識の一部となり、批判力を失ってしまったどころか――全く予期していなかった結果だが――リベラルな思想とは反対の立場を弁護するために利用されるようになった。
・ここでのわたしの結論を次のようにまとめていきたい。第一点は、ボアズが主張した文化相対主義は、文化間の平等だけではなく、ボアズが語りかける読者に対して、読者も文化的に拘束された存在であり、その事実への反省を促す作用――つまり、再帰性――を持っていたことである。第二点は文化相対主義の歴史的形成過程を考えるとき、第一次大戦中(敵国であった)ドイツからの移民としてアメリカ合州国で生活するという経験も重要な要因だったことを確認することである。

2ボアズの出自とフィールド調査経験
・ボアズが人類学を政府の先住民政策から切り離し、「純粋な」学問として位置づけた功績は大きい。
・グリックによれば、ボアズはアメリカ合州国ではドイツ文化については誇りを持っていたが、ユダヤ人としてのエスニシティを主張することはなかったという。ボアズが無神論者であることは周知の事実であり、ボアズのエスニシティと文化相対主義の発生には、少なくとも慎重な姿勢が不可欠であろう。
・ボアズのフィールド調査といえば、いま紹介したカナダ北西海岸地域での仕事がもっとも有名だが、視点を変えれば、ボアズが移民として生活したアメリカ合州国をも、フィールドのひとつとして数えるべきだろう。とくに第一次大戦中は、ボアズはフィールドでの姿勢と同じように、アメリカ社会に対しても距離を持ち続けていた。
・ボアズは人種主義を科学の力で批判するという重要な仕事を残している。
・ボアズは人種というカテゴリーには科学的根拠がないといい、啓蒙をとおして人種差別は解消できると信じていた。
・アフリカ社会の文化などを称賛したからといって、ボアズはアメリカ合州国の黒人が独自の文化を有しているとは考えていなかった。
・六〇年代以降のアメリカ合州国における少数派の人々に広がったエスニシティ意識の覚醒のなかでは、ボアズよりもハースコヴィッツの黒人研究の方が高く評価されるようになった。

3文化相対主義の第二の側面
・ボアズの文化相対主義は、視点の転換によって明らかになる「媒介」という発想を含んでいた。
・ボアズは論文「変化する音」で、既知の言語体系を媒介にして未知の音素を知覚してしまうことを、ある児童心理学の実験に言及して説明する。こういう知覚は統覚とよばれてる。
・それまで「変化する音」という現象は未開言語の特徴と言われてきたが、それは表記する言語学者の統覚にもとづいていることを解明した。
・ある現象を知覚するとは統覚することを意味するわけであるから、言語に問題を限ってみても、聞き慣れない音を媒介する体系(=母語)がその語を聞くものにはすでに存在し、その体系を意識化するためには特殊な訓練が必要である。この媒介という考え方が、文化を研究対象にするアメリカ人類学の特徴なのである。
・ボアズは文化が自己の視点を拘束することに気がついていた。これを対象化するために使う言葉が「文化メガネ」である。ボアズはこの語を独語から英訳せずに使用し、「自らの文化を[対象化する]ときほど、文化メガネを外すのがむずかしいことはない」と主張する。人類学が研究対象としている人びとも文化をもち、この文化メガネの影響下にあることはもちろんだが、人類学の存在する社会に生きる人びととも違った種類の文化メガネの影響を受けている。そしてこの事実をはじめて意識できるようにするのが、人類学なのである。
・たとえば、ベネディクトは次のように述べている。「人は誰でも世界を[無媒介に]原初的な眼で見たりしない。習慣、制度、パターン化された思考により脚色された世界を見ている。哲学的な思考さえもこれらのステレオタイプを超えることはできない」し、また「慣習が社会科学者の興味を惹かなかったのは、この慣習が社会学者たちの思考そのものだったからである。それなしには見ることすらできないレンズなのである」と。こう主張するベネディクトは、人類学を「慣習の研究」ということばでよび、人間行動の多様性を研究するためには、自らの文化的認識カテゴリーについて、再帰的に検討することが不可欠であるという。
・ボアズの主張した文化相対主義は、「他者への寛容」という道徳的側面――本論でいう第一の側面――をもっていた。と同時に、その寛容の源泉は、他者を認識することが無媒介にはなしえないこと――第二の側面――即ち他者を理解することは、自己への反省へと結びつく「解釈の循環」のなかにある、と考えることが可能である。
・人類学は「未開社会」について専門知識を一方的に集積する作業とは異なり、その知識が生まれる枠組みをも同時に疑問視しながら進行する再帰的作業である、というギアツの見解は現在ではかなり広く受け入れられている。その根底にあるのは、ボアズがここで示した「媒介」という考え方なのである。

4移民としての人類学者
・ボアズは、各国に別個の文化人格を認め、そのうえで自己文化への過剰な思い込みを批判し、ヨーロッパの国際関係には干渉しないという結論へと向かう。ボアズの見解はアメリカ合州国の意志が普通が普遍的であるという自国中心主義と対立する。
・「人類学の教義」となってる文化相対主義という考え方は、第一次世界大戦ボアズがドイツ移民として立場を自覚せざるえなかった経験なくし

ては結晶化されなかったのではなかろうか。
・またボアズが活躍した時代とは異なり、いまでは文化相対主義には、社会規範を批判するだけの力がない、という主張があろう。わたしもこの主張に同意するが、文化相対主義は少数派を排除し、抑圧する政治を正当化する論理にも転化しており、その意味で大衆化したと言える。

2022/09/21 21:48
やっとおわった。
長かった。

2022/09/22 6:50
原稿が全て掲載されてなかった、ところを修正。

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