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貧乏キャラは何処へ消えた?


 皆さん、こんにちは。貧乏る、木賃ふくよし(芸名)です。
 はい。そんな訳で本日はビーンボールではなく、貧乏のお話。

 ええ。ワタクシ、貧乏です。だって、無職だもの。
 しかも、コ ロナ騒ぎで廃業した元飲食店なんで、金なんかある訳がない。


 貧乏じゃない訳ないじゃない。


 1発目の騒ぎを受け、営業継続は困難と判断。緊急事態はやり過ごせるとしても、それだけで終わるとは思えない。各種補償も全て受けられるとは限らないし、結局は借金を増やすだけになりかねない。客足が戻るまでは数年かかると予測。続けて傷口を広げるよりは、廃業した方がマシと決断し、閉店したのが2020年6月末日。

 その後1ヶ月以上、敗戦処理に追われていたとは言え、もはや、半年以上が過ぎた。

 だが、生きている。


 働いてないけど、死んじゃいないのである。


 貧乏には違いないけど。


 貧乏には違いないけど、とても困っている訳ではない。まあ、働いてないかと言われると、このnoteをほぼ毎日更新し、ほぼ毎日ネットバーを営業している。


 デザインしたTシャツを売ったり(全然売れてない)もしているし、知人を通して、臨時アルバイトに行ったりして、騙し騙し生きている感じではある。


 あと、皆様からの欲しいものリストで食い繋いだり。


 まあ間違いなく、世間で貧乏を自称している連中の7割に負けてる自信はある。
 うん。まだ一年経過してないけど、どう計算しても年収100万以下だもんな。

 しかしそれでも、必死に働いて稼いでいた自営業時代とは違い、どれだけの赤字が出るかわからない恐怖に怯えるよりは、断然、良い暮らしなのである。

 個人的には、知識欲が満たされる事が至福(しかも永遠に満たされない)なので、ネットさえあれば、金もそんなに必要としていないとか、そーゆーのもあるだろう。

 いや、金はあるに越した事はないし、ジリ貧なんだけど、

 しかしそれでも、貧乏で特に困っていないのである。


 いや、それでもとにかくジリ貧で、とうとう金が底をつきそうだから、そろそろ何かして働かねばならぬ訳だが。

 まあ、それぐらいに、今の時代は「貧乏で生活が苦しい」なんて事はないのである。そりゃ環境(家族がいるとか)にもよるが、人間1人が生きていくだけで、高望みさえしなきゃアルバイトでも何でも、働いてさえいれば困らない程度の収入は得られるのだ。

 そこで本日の本題だ。

 先日、人と話していて、漫画やアニメ、映画やドラマで、「貧乏キャラがいなくなった」という話になった。
 言われてみればそうである。

 貧乏キャラは何処へ消えた?


 昔は主人公か、主人公の相棒、あるいはライバル、また、マスコット的キャラクターのいずれかは1人ぐらいは貧乏なのが定番だったものだ。
 要するに、貧乏がひとつのキャラクタであり、それがキャラクタの行動原理や理念を決定付けていた訳だ。
 だが、とにかく今はもう、貧乏という設定がなくなった。いや、そりゃワタクシもそんなに多くの作品を網羅している訳ではないし、一部ギャグ漫画などで、貧乏をネタにしているケースがある事は認識している。また、時代劇やファンタジー、SFまで含めると、貧乏が行動原理になっているキャラクタは数多くいる。
 しかし、キャラクタが10人もいれば1人は貧乏キャラだった昭和に比べると、その比率は30人に1人以下ぐらいまで減っている気がするのだ。

 要するに、リアリティが欠如してしまっている事が原因ではなかろうか。

 無論、ワタクシがそうであるように、貧乏な人間は山ほど存在する。しかし、昭和の貧乏とは生活の困窮であり、「物」がないのが普通だった。

 わかりやすく言えば、ビデオデッキがない、エアコンがない、ファミコンを買ってもらえない、という物質的なものだ。
 だが現在は「スマホも買えない」なんてレベルの貧乏には、なかなか出会えない。

 無論、漫画にも現実にも、シャレにならない貧乏はいる。しかし、その大半はギャンブルだの事業に失敗しただのホスト・ホステスに貢いでるだの怠けて働いてないだの、個人的な理由によるものが大きい。

 もはやそれほどに、貧乏は暮らしの中から姿を消したのではないだろうか。

 いや、単に世の中の倫理的に、漫画の中で貧乏を馬鹿にするような描写が避けられているだけかも知れない。自分とは接点がないだけで、まだまだ貧乏は多くいるのだろうか。

 だが、一方で姿を消さないのが「差別」である。


 こちらはギャグ漫画ではあまり例を見ないが、差別は現代劇、時代劇、SF、ファンタジーのどれでも物語やキャラクタの行動原理になりやすい。

 しかし、あまり接点がないという意味では「貧乏」よりも更に関係性が希薄なのではないか。
 いわゆる「差別」にしたって、これにリアリティを感じている人間はそう多くないのではないだろうか。
 ネットを見渡せば「〇〇差別だ!」とか「逆差別だ!」という争いを多く見掛けるが、「じゃあ、具体的に自分や知り合いの誰かがどんな差別や逆差別を受けてるの?」と問うと、答えに詰まる人間が多い。


 現在において「姿が見えない」のは「貧乏」も「差別」も大差ない筈であろう。

 それでも「差別」は生き残り、「貧乏」は姿を消しつつある。
 その理由は何なのか。

 色々考えた結果、決定的ではないにしろ、一番解答に近いのはコレではないだろうかと行きついた。

 貧乏とは「物質」なのではないだろうか。


 物資の不足は確かなものだ。あるかないかがハッキリしている。それがある以上、もはや共感は得られない。
 しかし、「差別」とは心の問題である。

 キモオタでもコミュ障でも何でもいい。
 自分が「迫害されている!」と感じたら、被差別側のキャラクタに共感を得られる訳だ。他者からどう見えるかは問題ではないのだ。

 そう。他者からどう見えるかは問題ではない。


 だってワタクシ、割とリアルに赤貧だけど、

 こんな性格をしている所為で、周囲から、



 実は稼いでる。



 とか思われているらしいし。



 (´・Д・)」 稼いでたら、こんな文章を毎日毎日書かんわ。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。