見出し画像

" BORN TO RUN "


 分解。という言葉がある。
 その男、愛川心には、何もわからなかった。
 分解。それは、モノをバラす、という事ではない。分とは分けることであり、解とは解(ほぐ)す事である。だが、そうではない。
 分は分けること、そして、わかつ事なのである。幸せや苦しみ、痛みを分かつなどと安っぽい言葉があるが、分とは分かち合うこと。それは共感、共有なのである。
 そして、解とは解すこと。解き明かすこと。理解することなのである。
 物事を詳らかにし、細部まで把握して、自分のものにする。それが、解。
 頭の良い愛川には、色々な事が解るが、分からない。
 相手が何故、こんな事を考え、何故、そんな行動に出るのか。それはすべて理解できる。手に取るように解る。
 だが、分からない。愛川心には、それがまるで分からないのだ。
 愛川心。心とはまた、皮肉な名前をつけられたものだ、と愛川は自嘲する。
 姓にある「愛」とやらも感じないのに、そもそも感じない「心」が自分の名前とは。
 幼少の頃から、聡明な子であった。整った顔立ちが、聡明さを目立たせた部分はある。だが、飾り立てはしなかった。
 物心をついたのは、それこそ、二歳や三歳の頃である。
 滅多に泣かない、ひどく大人しい子であったと言う。だが、それは大人しかったのではなく、泣き喚く幼児の集団が理解できなかったのである。
 いや、幼児だけではない。思春にもなれば多くの子供が抱くであろう万能感。つまり、周囲の大人たちが愚かに見える、という現象は幼少のみぎりに起きていた。
 物心をついたと断言できる頃には、既に「周囲が望む少年」を演じていたのだ。計測した訳ではないが、おそらくI.Qなどを測れば天才と称される部類だっただろう。
 だが、老成が早過ぎた愛川には、それが面倒で仕方なかったのだ。だからこそ、愛川は平凡を演じた。愚かな大衆の中で才覚を発揮し、目立つ事は得策ではないと判断したのだ。
 それでも愛川にとって、勉強は数少ない娯楽であった。
 引っ込み思案で大人しい、いわゆる「良い子」を演じ、勉強は怠らなかった。小学校の高学年にもなると、テストで満点を取って目立つ事を避けようとも考えたが、それは断念する。
 周囲の愚かさに辟易していたため、少しでも頭の良い集団に属した方がストレスが少ないと判断したからである。依然として周囲には魯鈍が多かったが、愛川が読むに値すると評価した幾つもの書籍を書き上げた人物達となら、自分を偽らなくてもいいと思ったからだ。
 中学校は名門私立を選んだ。
 その頃になると、周囲の女子が相川の周囲で騒ぎ始めたが、当の愛川は冷めたものである。恋愛に興味が持てなかったのだから当然だ。
 成績優秀でスポーツも万能、そこに眉目秀麗とくれば女子が騒ぐのは必然だが、愛川本人は小学校五年の時に童貞を捨てている。相手は図書館の司書の女性だ。図書館に通ううちに、少し話すようになった司書が、明らかに情欲の眼で自分を見ている事に気付き、芽生えてきた強い性欲と、異性の肉体への興味から、司書に襲われる形で「襲わせた」のである。
 悪くはない経験だったが、それで女の肉体に溺れる事もなかったし、恋愛感情も、情も湧かなかった。
 他にも、中学の女教師、クラスメイトの母親、塾の同期生など、年上から同い年、年下まで七人ほどと関係を持っている。だが、愛情とやらを分かつ事はなかったし、肉体関係を結んだだけで付き合っているとか、愛を語る、むしろ肉欲に溺れる汚いけだものにさえ見えた。
 無論、全員と上手に付き合ったし、関係は明るみに出ていない。
 だからこそ高校は名門進学校を選んだ。地元を離れるため、関係の清算にもちょうど良かったからだ。
 実際に物理的な距離が離れ、会う機会が減ると関係は次第に薄れ、自然消滅した。随分と早く風化する「永遠の愛」だ。
 高校入学時には、興味本位と疑念のため、男とも関係を持ったが、どうやらその気はない、という事がわかったぐらいである。
 プレイボーイになるのは簡単だったが、結局、高校三年間は大学進学と同時に別れる計算で、性欲処理のためだけに形だけの恋人を作った。途中に何度かつまみ食いはしたものの、そもそも愛情などないから浮気ではないし、発覚もしていない。周囲には羨ましいカップルに見えていただろう。相手は結婚まで視野に入れていたし、愛川もそう思っていると思っていた事だろう。
 大学で離れ離れになって半年で、またも永遠の愛は自然消滅した。
 ちなみに、愛川は自分の才覚、両親や周囲の期待から、医者になる事を目指していたが、医大へは進学していない。
 自分がいずれ死ぬまでの、この先の事を考えると、医者になるメリットが少なかったからである。
 順当に行けば、両親は先に死ぬ。両親の望む子である事に応える必要もないと考えるに至っただけの事だ。周囲の期待に応えてエリートである必要もない。
 「周囲が望む自分」である必要があるのは、自立するまでの話だ。
 だから、旧帝大には進んだものの、医術は志さなかった。他人と感情を分かつ事もない。だから、人を救いたいなんて思いもしなかった。
 あまりにも他人を愛せない自分を、精神疾患なのかとも疑った時期もある。いわゆるサイコパスかとも思った。だが、どうやら違う。
 単純に天才であるが故の「諦観」なのだ。
 ゴミ箱は便利で役に立つ。だが、人はゴミ箱を愛しはしない。愛川にとって、他人とはそんなゴミ箱に過ぎないのだ。だが、そのゴミ箱たちは、便利でもない、役にも立たないゴミ箱で愛を語る。
 それは解る。解るが、分かち合う事はない。
 そんな愛川が他人を理解したいと切望したのは、ほんの小さな切っ掛けだった。
 空手部。
 大学で勧誘された。
 愛川は、スポーツも万能だった。
 178cmと、そこまで大きな身体ではない。どちらかと言えば痩せ型だし、筋力トレーニングなどは、所属した部活で「やらされたこと」以外には進んでした事もない。
 だが、天才ゆえの理解力と学習力、肉体コントロールの良さと言う、技術があった。
 フィジカル面では決して恵まれたとは言えない愛川だが、それを補ってなお余りある頭脳が、彼を運動でも活躍させていた。
 小学校の時は、人の考えを理解しようとサッカーでチームプレイをこなした。中学は個人競技のテニスに転向。高校では最も肉体的性能が活かされる陸上をやった。頭脳や学習に頼らない為だ。
 そして、そのどれもに優秀な成績を残している。肉体よりも、技術のみの力で、そこまで行けたと言う事である。
 もう少し真剣に打ち込めば、もっと良い成績を残せた事は間違いない。それは幻想でも奢りでもなかった。これ以上スポーツに時間を割くことが無駄だと思っていたから、手を抜いたのだ。
 勝ってしまえば、注目度は上がり、部活に注力せざるを得なくなる。それは避けたかったのだ。
 スポーツで大成できる人間など、万人に1人しかいない。愛川はその1人になれただろう。それは間違いない。
 だが、肉体が資本などという不安定な世界に身を投じるのは、余りにリスクが大き過ぎる。
 それがアスリートを目指さなかった理由だ。
 そんな愛川が空手部の勧誘に乗ったのは、単に、ボールや道具を介さず、自分との戦いに終始する陸上とも違う、相手と直接殴り合う、という競技が未体験だったからに過ぎない。
 ただ、それだけのこと。
 まずは見学をした。体験入部で型や技を習い、ミットやサンドバッグを叩く。それが入部のための餌である事は承知だった。
 「とても筋がいい。センスがある」と褒められた。これが餌であり、同時に事実である事も愛川には織り込み済みだった。
 そして、「軽く、組手をやってみようよ」と言うところまで。
 開始三秒で、愛川が一本を決めていた。まだまだ愛川には織り込み済みだ。空手部側には違ったが。
 二人目が、十一秒で沈んだ。「偶然」や「油断」「自分ならそんな失態はしない」という慢心がある事は間違いない。
 予想通り、「ひょっとして、経験ある?」という質問が来た。いいえ、サッカーとテニスと陸上だけです、と答える。強いて言うと、昨日は、1時間ほどで本と、2時間ほどビデオで空手を中心とした打撃系格闘技の勉強をした、なんて事は口に出さなかった。
 三人目。一番長く保った。二分二秒。
 四人目。三十七秒。
 どれだけ少なくとも、空手を始めて一年以上の人間が、昨日空手を始めたばかりの素人に、四人。
 そして、運命を変えたのは、五人目だった。
 「石井!」と呼ばれた小柄な男が、愛川の前に立った。
 石井宗達。
 目の前に立つまでもなく、この男が「違う」事だけは理解できた。
 今までにも何度か体験している。立ち振る舞いや目配せ、体躯や覚悟、気配の機微が凡人とは違うのだ。
 凡人の能力を、仮に80点までとするならば、不思議なことに81~89点の人間は少ない。
 こういった類の人間は必ずと言うほど90点以上を叩き出してくるのだ。
 よく、洋服に着られるなんて事を言われるが、80点までの人間はそれなのだ。新入社員がスーツに着られているようなアンバランスさがある。
 若者が着なれない和装をしても、大体が和服に着られてしまう。
 しかし、着こなしている若者や、それこそ着慣れた老人などは服を着てやっている空気を醸す。
 石井宗達は、空手着だけでなく、空手そのものを着ていた。
 この男が「違う」事だけはそれほどに明確だったのだ。
 開始二秒。
 石井の正拳突きが、愛川の胸板を割っていた。
 愛川にはまるで理解できなかった。
 それはまるで手品だ。
 確実に見ていたはずなのだ。
 動き、構え、気配、その全てが自分の胸中に向けて正拳突きが放たれると宣言していた。
 そしてそれは予告通りに放たれた。
 距離もあった。躱す余裕はあった。避ける時間はあったはずなのだ。
 それでも、石井の拳は愛川の胸に突き立てられていたのだ。
 サッカーのフェイントのように、右拳が来ると見せかけて、左拳が来たのか? そう思う程、不意の衝撃。だが、愛川の胸に深々と打ち込まれたのは、右拳。
 来る事はわかっていた。それでも避けられなかったのは何故だ? 速かったのだ。単純に速かったのだ。速かったから見えなかった。単純なことだ。
 だが、それだけではない。最短距離だったのだ。そして、最小の動きだったのだ。そして、来る瞬間を読ませなかったのだ。
 それに、拳の威力だ。
 速さの為に、威力を犠牲にしたりはしない。
 大工の振るう巨大な破砕槌ででも殴られたような衝撃。肺の空気が押し出され、呼吸が止まる。吸う事はおろか、吐く事もできない。
 これは一体何なのだ?
 どうにかその衝撃に耐えた。そう思った時、愛川は自分が膝をついている事に気付いた。
 四人目までに愛川がした事を、されただけだ。
 だが、この敗北は、愛川の心に火を着けた。
 面倒で退屈な世界に生まれてきた愛川に、これまで退屈をしのげるほどの面白さはなかったのだ。
 ひたすら知識のマイニングをし、反復練習をするだけの億劫な鍛錬は、愛川にとって執着する程の価値がなかったのだ。
 心臓に深く打ち込まれた拳は、愛川の心を突き破ったのである。
 わからなかった。簡単に理解はしても、けっして分かち合う事はなかった。
 恋い焦がれる、夢中になる気持ちを目覚めさせたのは、たった一発の正拳だったのである。
 堰を切ったように溢れ出す、その感情。
 その意味で、愛川心はこの日、ようやく物心をついたのかも知れない。


 ※ この短編連作小説は無料ですが、続きとか気になる方は投げ銭(¥100)をお願いします。合計で¥1,000ぐらい来たら続きを書く。なお、この先には特に何も書かれてません。


ここから先は

73字

¥ 100

(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。