力 合わせた その時 ハサウェイ


 皆さん、こんにちは。Go With Me エクスカイザー! 木賃ふくよし(芸名)です。
 そんな訳で、観て参りました!

 閃光のハサウェイ!

 を

 他人様の金で。


 フォロワー様に大感謝。

 (´・Д・)」 はい。そんな訳で観てきました。「閃光のハサウェイ」

 ええ。実を言うとワタクシ、この「閃光のハサウェイ」がすごい好きなんですよね。
 ワタクシが中学か高校の頃の作品で、実を言うと、トップクラスに好きなガンダム作品なんですよ。

 初代を別格にすると、「0080 ポケットの中の戦争」の次ぐらいに好き。

 正直、この頃にはもう船戸与一をはじめとし、フレデリック・フォーサイス、北方謙三やら大藪春彦やらにもハマってたので、バイオレンスやハードな話という意味では特に衝撃を受けた訳じゃなかった。

 しかし、ガンダムという媒体でテロリズムを主題にしたのは本当に素晴らしいと思っている。

 ガンダムと言えば、一応、戦争モノではある。

 銀河英雄伝説やら
 ガンダムを読んで
 戦争や政治を語る


 などと、パワプロが得意だから野球を語る、みたいなものではあるが、ワタクシにとって、取っ掛かりだった事も事実。
 ナウシカを読んで地球環境を語るってのにも近いが、

 主人公ハサウェイは、地球環境復活と階級社会崩壊のためにテロへと走る。

 正直、ガンダムで戦争やら政治やら差別やら地球環境をぬる〜く語られても、とは思うが「それって、やってる事はただのテロじゃん」を、


 「テロですが、何か?」


 と真っ向から取り扱った作品って事で、好きなのである。

 原作のファンとして、映画を観てきた感想としましては、絵だの物語だのメカ描写や戦闘描写については書いてる人が沢山いるだろうから割愛する。
 で。まず、最初に、


 良かった。


 正直に言う。

 今までに出たメディア化作品のゲームより、良かった。

 そして、妙なことを言うが、


 原作より、
 原作のイメージに
 近かったのである。


 は? 何言ってんの? と言われそうだが、正直言って、原作の挿絵の美樹本晴彦氏のイラストは、繊細で、綺麗で、バイオレンス的に何か違うのである。
 そして、大変失礼ながら、富野由悠季の原作小説

 作者の文体が稚拙で、
 スパイ小説を書くには、
 文章力が足りてないのである。


 だから、劇画調でスパイ映画っぽく展開する劇場版は、


 原作以上に
 原作していた。


 と、ワタクシは思うのである。

 まあ、実のところ、原作は上中下巻の3冊なのですが、ぶっちゃけ冒頭部分と結末こそがハサウェイの面白さであり、劇場版も3部作。言っちゃ悪いけど、中巻なんかなくても話は成立するので、小説も映画も上下、前後編で良くない? とは思う。


 そして、なんと言っても最高だったのは、ヒロイン「ギギ」のキャラクタ性である。

 原作挿絵、ゲーム版、そして劇場版と全てデザイン(見た目)が違う、稀有なキャラクタだ。

 原作では、誰の差し金で近付いたのかわからない、謎の美少女。特別な能力を持っているのか、それともスパイ? あるいはまさか、ただの無邪気な少女なのか? って感じである。

 ゲーム版では、髪飾りが如何にもな雰囲気を出しており、神託の巫女、勝利の女神をイメージさせる。


 だが、ワタクシのイメージは違う。


 ただの悪女なのである。



 悪女と言っても、悪い女の意味ではない。

 男どもが勝手にのぼせ上がり、スパイなのか!? 勝利の女神なのか!? と想像を膨らませ、盛り上がってしまう系の、ただの悪女なのである。

 ここは悪女の解釈の問題になるが、個人的に悪女と言うのは必ずしも、いや、むしろ悪い女ではない。
 ワタクシの言う「悪女」とは、その女を振り向かせたいがために、男を常軌を逸した行動に走らせてしまう魔性こそが「悪女」なのである。

 地位や名誉や財産、家庭、プライド。傍目から見て、どう考えてもそっちの方が大事だろ、って諸々と引き換えにしてでも手に入れたくなる女。古来より、人はこう言った。


 「傾国」


 わかりやすく現代の言葉で言うなら


 サークルクラッシャー


 である。オタサーの姫なのである。

 ギギ・アンダルシアというヒロインは、まさにコレなのだ。
 そして、劇場版ハサウェイのギギは、見事なまでに「傾国」のイメージを醸し出しており、演技、台詞回し、美貌、ファッション、その全てがサークルクラッシャーで、ワタクシは大満足なのである。

 なお、ギギ・アンダルシアの姓となるアンダルシアと言えば、スペインの地名で、グラナダ(こちらは月にある都市の名前)、ジブラルタルとガンダムに所縁のある街のある場所でもある。
 だが、おそらくアンダルシアと言えば、忘れられないのは、カルト映画として知られる、

 「アンダルシアの犬」である。


 そう。「アンダルシアの犬」には一匹も犬が出てこなかった気はするが、「閃光のハサウェイ」には2匹の犬が出てくる。

 ギギ・アンダルシアというじゃじゃ馬を飼い慣らそうとして、逆に、ハサウェイとケネスが犬のように飼い慣らされていく様を見る映画としては、

 
 (´・∀・)」 良い映画だった。


 個人的に、原作者の富野由悠季がどう意図して書いた作品かはわからないし、それは、ゲーム版にしても映画版のスタッフらにしてもそうだ。
 だが、原作を読んだ上で(ゆーても30年前だけど)、ワタクシの思う「こうだったら良かったのに」が割と再現されていたのである。

 まあ、ちょっと誰からも批判が出ないような堅実な作りになっていて、それが気の毒な気もしたが、本当にそれだけなら佐々木望らの降板劇もなかっただろうし、ギギらのデザインも変更されなかったと思うのだ。

 その点では、ワタクシが見たかった、凄惨なバイオレンス映画としての「閃光のハサウェイ」なので、満足な出来だと言える。

 特にギギの悪女の魅力については、最高の出来だったと思う。


 (´・Д・)」 ちなみに、ガンダムで悪女に数えられるキャラクタは、多くの意見と違い、


 ワタクシはむしろ
 好きなんですよね。


 特に嫌われてるニナとか、むしろ「いるいる、こーゆー女」って感じがして好きなのである。
 自分が浮気しておいて、寂しくさせた男が悪いとか言い出す系。

 なので、むしろリアリティがあってワタクシは好きなのである。てか、人気のために作られたオタクどもに気持ちがいい、都合のいい美少女の方が気持ち悪く感じる事があるぐらい。

 ただ、本音を言うと、ニナみたいな女が好みなのではなく、物語を盛り上げるキャラクタとして好きなだけで、傍らにいて欲しいとは思わない。
 それはギギでもニナでもカテジナさんでも同じだ。

 そりゃ、傍に置くなら、都合のいい美少女の方がいいに決まっている。てか、

 美少女って時点で都合が良すぎる。


 そんな中、不都合と分かりながらも傍に置いておきたい悪女の魅力が、ギギにはあると思うのだ。


 傍目から見て、やめとけ、とは思うが。


 ※ この記事は全て無料で読めますが、お気に召した方は投げ銭(¥100)をお願いします。
 なお、この先には特に何も書かれてません。


ここから先は

138字

¥ 100

(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。