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ツイッターは議論に向かない。


 皆さん、こんにちは。地底エージェント・ギロン人って、ウルトラマンAにいたよね。木賃もくちんふくよし(芸名)です。
 皆さん、議論ですよ、議論。

 議論ですから、理論的に行きましょう。


 そう言えば、「ソウルエッジ 」に李 龍(リ・ロン)っていたよね。

 話を戻しまして。ええ。

 よく、ツイッターは議論に向かないと言われます。
 まあ、実際にその通りなのですが、まず、システム上140文字しか書けないため、この140文字が命取りとなる。
 そう。議論以前の問題点がある。おわかりだろうか。


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 空白を混みで、コレが140文字。つまり、改行などを除き、詰め込むとしたら、この長さでどうにか説明し切らなきゃならないのである。要するに文章力や説明力、要約力が試される訳だ。詰まる所、何が問題かと言うと、議論が始まる前から誤解や曲解のオンパレードなのである。わかるだろうか(文字数


 こーゆー事である。

 つまり、「昔、マクドナルドでマックラップを食ってたら、おっさん、邪魔だし臭えんだよってJKに注意されて何も言えねえ」って話をしようにも、いちいち5W1Hを交えて説明してたら文字数が足りないのである。
 簡単に言おう。いつ、どこで、誰が、何を、どのように、どうした。こんな根本的な部分でさえカットしなければならない。
 「昔、マクドでマックラップを」って言うと、どれぐらい昔か察せない人間が多いのである。
 ちなみに、マックラップが販売されていた時期は限られる。
 大雑把だが、2007年~2009年。復刻があったかどうかは知らない。

 実はコレ、マックラップで時代を、マックではなくマクドって略し方で近畿圏の出来事だと察せるように巧妙に仕組まれた文章ではあるが、わずか2年と言う短命ゆえ、マックラップ自体を知らない世代にはそれこそ、

 「何言ってんだオッサン?」


 なのである。
 そう。マックラップどころか、マクドナルドがかつて、お昼のカツカレーとか言ってカツカレーライスを売ってたと言っても信じる人間は少ない。
 こんなのはネットでチョイと調べりゃ、当時人気絶頂だった山田邦子がCMキャラクタを務めた事までわかる。
 おっと、話が少し横に逸れた。

 要するに、140文字しか書けないため、必要な情報を削ってしまえば、

 あっという間に誤解される。書く方の文章力と読む方の読解力が試されているのだ。
 最初から長文連投すると「短くまとめろボケ」と言われるし、短くすると誤解されてしまう。困ったモンだ。

 そこで、論文作法を使ってみる事にしよう。


 
 まず最初に短く結論だけ述べるのだ。
 そして、連投でそれを説明、反証、結論づけるとしよう。すると、

 最初のツイートしか読まずに脊髄反射されてしまうのである。
 ツリーに説明が書いてありますよ、と言ったら、


 (´°皿°)」 140文字で全部説明しろ!


 (´°皿°)」 言い訳するな!


 (´°皿°)」 そんな所まで読んでねーよボケ!


 ってな具合である。
 2投目以降に説明があり、それを読むように促しても「早とちりしました」と言われることの方が稀で、大半はキレられる。


 しかも、脊髄反射して噛み付くタイプは、振り上げた拳の下ろし所がわからない、、、まあ、要するに謝ることができない星人なので、些末な部分にツッコミどころを探し、話を逸らし続けるのだ。


 (´・Д・)」 何回か炎上したから知ってる。



 詰まる所、口喧嘩には発展しても、そもそも議論になっていない。
 ここで片方が論理的な会話進行を試みたとしても、もう片方がそれに応じないか、あるいは応じたつもりでいる時点で、もう議論は成立しないのである。


 特に厄介なのは、自分が論理的なつもりでいるタイプ。


 まあ、自分でそう思ってるのだから仕方ない。客観視できてないから気付きようがないのである。
 よくツイッターの皮肉で「鏡見ろよ」ってのがあるけれど、鏡や水面、カメラなどがなければ、自分は自分の顔を確認しようがないのだから仕方ない。

 周囲が「お前はカッコイイよ」と言う言葉を信じるしかないのである。

 実際にキミがカッコイイかどうかは主観や美的センスが違うので何とも言えん。言えんが、これが客観的事実である。


 (´・Д・)」 キミ、カノジョいた事ないやん?


 そう。キミが頭がいいのかどうかは知らんが、学校の成績は良かった? いい学校に合格したの? 社会的地位はある? 友達はいる? ネットじゃなくてリアルな友達はいる?

 先日、


 「まともなのはオレだけかよ、、、」


 ってツイートを見て噴き出してしまったのだが、残念ながら、1:99なら、異常なのは1の方である。
 例えば、10000人の中で9999人が殺人は罪じゃないと認めたら、悲しいが、それはそーゆー世界のモラルなのだ。絶対的な倫理や正義などない。それが現実だ。
 
 それに、ケチのつけ方や反論の方法が概ね間違っている。
 言葉遣いが悪い。話を逸らす。言い訳する。別の話を混ぜる。ただの誹謗中傷。

 複数の問いを投げかける。
 結論ありきで話す。
 言い負かそうとする。


 特に厄介なのが、下の3つ。
 前述のように140文字しかない中で、2つも3つも問いかけをする。
 1つずつ答えてると「他の事に答えてませんよ!」とか。辛抱できない時点で議論に向いてない。
 結論ありきで話すのは論外。聞き入れるつもりがないなら、それは議論でも何でもない。ただの吐き出しだ。
 そして、最も厄介なのが、


 言い負かそうとする事である。


 議論は、必ずしも相手を改心させる事が目的ではない。と言うかむしろ、そんな事が容易にできるはずがないのだ。
 議論とはむしろ、目的達成のための擦り合わせであり、その1ステップに過ぎないのである。
 落とし所を見つけ、妥協点を探り、より良い方法や具体案を見出すためのもの。いわゆるアウフヘーベンだ。

 勝った負けたの先に、いや、勝った負かした逃げたの先に、一体何の実りがあると言うのだろう?
 無論、議論に勝てるスキルは重宝するだろう。しかし、勝てるスキルは必ずしも勝つために使う訳ではない。
 目的が相手を言い負かしてバンザーイ!ってんなら止めはしないが、何ともさもしい話であるとは思う。残念な話だ。
 勝てるスキルがあるなら、相手に勝たせたり、相手を立てたり、相手を引き入れたり、より良い段階に進む事に使って欲しいと思う。

 さて。

 そんな訳で、ツイッターがいかに

 議論に向いていないか。


 という話をお送りした訳だが、

 はたして、お気付きだろうか。

 前述の文章のほぼ全ては、はっきり言ってしまうと、


 ツイッターが議論に、
 向いてないのではなく、

 議論に向いてない奴が
 ツイッターをしてるだけ。



 そう。


 ツイッターに
 向いてないのは、
 議論じゃなくて、


 m9( ・Д・`) お前。


 って話なのである。


 ツイッターの責任にしてんじゃねぇよ。使う側の問題だよ。


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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。