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プロレス興行がよく来ていた飯能青果市場。ハローマックと共に記憶は薄れる

飯能市岩沢にあった「飯能青果市場」
確か、自分が小学生の高学年の頃、1994年前後に無くなったかと思う。正確な情報は分からず。
ちなみに場所はここ。国道299号線を挟んだ向かい側にはJマートがあった場所だ。


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国土地理院:1989/10/09撮影
中央少し左寄りにある大きな四角い建物が当時の飯能青果市場。299を挟んで北側にあるのが当時存在したJマートの建物

名前の通り、飯能には青果市場がその昔あった。「市場」というのは今ではかなり集約が進み、数が激減したと思う。
埼玉県内の卸売市場一覧で数えてみても、県西部はほとんど無い。昔は各地方ごとに中小規模の市場があったが、今は川越にある大きな総合卸売市場がメインと思われる。

自分は何度かこの飯能青果市場を訪れたことがあった。一番よく覚えているのは、小学校の校外学習で訪れたことだ。
市場なので、朝は早い。現地集合で集合時間もすごく早かった気がする。それでも、小学生たちが集まったころには既に競りもほぼ終わりかけており、なんだか少し閑散としていて、そんな中で市場の人から説明を聞いた気がする。せっかくの市場なので競りを行う活気をもっと味わいたかった。

と書いていて少し思い出したのだが、この活気があまりなかったというか、あまり競りを見ることが出来なかった理由は、すでに飯能青果市場が無くなる直前で、そもそも閉鎖の話が決まっていたから寂しい競りだったのかもしれない。確かに、見学した時は取り扱い品数がかなり少なかったと思う。
それでも、市場の人たちが独特の掛け声や仕草で競りを行う姿を目の前で見学できたのは、貴重な体験であったと思う。

飯能青果市場の思い出としてもう1つあげるとしてら、よくプロレスの興行試合を開催していたことだ。
いかにも昭和〜平成初期らしいイベントだと自分は思ってしまうが、あの頃は年に数回、プロレス団体が来て興行を行なっていた。青果市場は平らでだだっ広く、朝以外使われることはないので、リングを設営しやすくプロレスの興行にはうってつけだったはずだ。
自分はプロレスに詳しくないのだが、大仁田厚が来るとか、女子プロレス団体の興行案内のポスターがたまに街中の電柱などに貼られていたのを思い出す。
ネット上を調べて見ると、「FMW「勃発!」第10戦1993年6月26日 埼玉・飯能青果市場大会」という情報を見つけた。観衆3,026人とは、飯能でしかもあの青果市場の広さ的にはなかなかではないか。しかもやはり女子プロと大仁田厚の両方が同時に来ていたようだ。
あの頃は、土曜日の夕方にテレビ朝日でワールドプロレスリングというテレビ番組もやっていたし、プロレスは確かに身近であったのかもしれない。

そんな飯能青果市場だが、先ほどのプロレス興行の情報的にも1993年はまだ青果市場があったようなので、やはり1994年前後に無くなったと思われる。
無くなった後は、プラットフォームのような少し屋根がせり出した形の建物はしばらく残っていた。
一方で、国道299号線側には「おもちゃのハローマック」が出来た。というか、青果市場がまだ稼働している頃から既にあった?ここら辺は自分は覚えていない。ハローマック閉店後も、どうなったかなぜか忘れてしまった。あの独特の建物のハローマックでは、ガンプラなどよく買ったのに。
青果市場の跡地には、パチンコ屋が出来た。最初は違う店名だった気がするが、「じゃらん634(むさし)」というお店が最後で閉店になった。
そして最近訪れて驚いたのは、このパチンコ屋も壊れされ、跡地は周囲を含めて再整備されて、なんと「家電のデンキチ飯能店」になっているではないか。家電のデンキチは国道299号線を少し飯能市街方面へ行ったところにあった確か「でんきのセキド(?)」跡地からの移転。今調べると、その跡地は「イエローハット」になったようだ。
また、家電のデンキチの隣には、東側のかっぱ寿司前、299が旧道と分かれる角にあったファミリーマート(元サンクス)が移転してきている。ファミリーマートは、元々はハローマックの西側にもあった。
ハローマックの跡地はソフトバンクショップになっている。

そんな風に、まさか飯能青果市場があった周辺一帯が再開発され、複合店舗のちょっとしたモール風になるとは思ってもいなかった。
Jマート跡地もだいぶ前に大戸屋やかっぱ寿司になり、この辺一帯はなんだか垢抜けて、明るい雰囲気になったと自分は思う。と、同時に飯能青果市場のことを覚えている人はほんの僅かではないか、と思うのであった。

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