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東日本大震災時、都内で帰宅困難者になり、大井町から飯能まで必死に電車を乗り継いで翌日の昼に辿り着いた話

2011年3月11日の東日本大震災。自分は都内で仕事をしている最中に被災した。ほとんどの電車が運転再開せずに止まったままの中、自分は帰れずに会社で一夜を過ごし、結局翌日の昼過ぎに大井町から飯能の自宅にたどり着いた。JRが完全に運行停止している中、動いている私鉄と地下鉄を乗り継いで、いかにしてJRを迂回して飯能までたどり着いたのか。その経過を思い出す。

まず、3月11日の地震発生時は都内で仕事をしていた。しかも普段の勤務地の本社ではなく、ちょうど出先にいてしかも重要なミッションを抱えていたため、地震発生後に自宅へ直帰できず一度本社に戻らなければならなかった。
まぁどうせ地下鉄は全然動いていないし、当日中に自宅に帰れる気がほとんどしていなかったので、人もいっぱいいて恐らく防災備品もたくさんある本社に戻るのは妥当だろう、と思ったのである。
が、結局同じ都内で普段は電車でも1時間かかるわけもない距離なのに本社に戻ったのは夜の10時頃。主要道路は渋滞していて見たことがないくらい車で埋め尽くされてまったく動かず、歩道はヘルメットを被って徒歩で帰宅する大勢の人の波、という状況だったので仕方ない。

そして改めて、下手に動いて家に帰ろうとして飯能へ向かっていなくて良かった、会社に戻ったのが正解だったと思った。もし、どの電車が動いているのか正確な情報が分からないまま、飯能への生命線である西武池袋線に辿り着きたい一心で池袋などを目指していたら。駅や近くの公共施設で夜を迎え、周囲に知り合いもいない中、帰宅困難者として収容されていて緊張して不安な一夜を過ごしていたかもしれない。
しかし、自分はなんとか勤務先の本社で夜を過ごすことができた。毎日仕事をしているいつもの自分の机だし、同じフロアには千葉や埼玉など徒歩で帰宅が少し困難そうで帰宅を諦めた人達が他に何人もいたし、電気も飲み物も食料もある。さらにPCでネットの情報も見放題。この自分の知っている身近な場所で情報が手に入るというのは、安心感が違う。一人で東京に放り出された帰宅困難者にならずに済んだのは、精神的に非常に助かった。電気の不安もないおかげで、携帯電話もたっぷり充電出来て翌日に備えられた。

翌12日。夜は会社の自分のPCで千葉のコンビナート火災の中継映像や津波の映像を見て、改めて地震の凄さと怖さと、そして信じられない光景に非現実感を抱いていた。ほんの少しは寝たが、なぜか「これから気合いを入れて飯能に帰るんだ」という気持ちがずっとあって、そわそわしていた。結局朝6時くらいから、飯能に帰るべく情報収集を本気で始めた。分かっていた情報としては以下の2つがあった。
・JRは全滅。点検に時間がかかるのでしばらく復旧はしないらしい
・大手私鉄と地下鉄は本数は少ないがかろうじて動いているらしい
JRが動いていない、というのは非常にやっかいな問題であった。一晩を過ごした会社の最寄り駅は大井町。普段使っている、りんかい線は津波警報が出ているから動いているわけがなく、その先のJR埼京線も動いていない。
JR京浜東北線もダメだし、歩いてどこかに行ったとしてもJR山手線が動いていない。山手線が動いていない、というのは結構な致命的状況である。

が、大井町にはもう1つ路線がある。東急大井町線である。さすがは東急、どうやら12日は朝からかろうじて動いているらしい。素晴らしい。
とりあえずこれで渋谷方面へ出ることは出来そう、と確信して会社を朝7時頃出発。大井町線に乗り、自由が丘で東横線へ乗り換え。もちろん大井町線も東横線も本数少ないのでありえないくらい時間がかかる。しかも乗客はほとんどいないので、のんびりした雰囲気。なぜならこのあたりの電車に乗る人は、みんな頑張って昨日のうちに帰宅しただろうし、12日は土曜日であった。
明るい日差しがたまに差し込む土曜日の朝の、がらがらの電車内。なんだかまったりしていて、昨日の地震が嘘のようであった。とことん非現実的な世界観が続いていく。

東急のおかげで東横線で渋谷まで来れた。ここで東京メトロ副都心線に乗って池袋へ行ける!はずだったのだが、副都心線が全然動いていないという情報があった。せっかく渋谷まで1時間以上かけて来たのに足止め。が、渋谷から池袋までは何らかの方法で絶対に行けるはず、とこれまた確信していたので調べると、半蔵門線で永田町、そこから有楽町線で池袋、と行けるではないか。
渋谷から池袋まで、普段なら山手線に沿うだけの非常に簡単なルートを、この日はわざわざ山手線の円の中心部方面へ一度迂回しながら、池袋へ向かうアプローチ。これもまた電車の運行本数が少なくてひどく時間がかかったが、なんとか無事に池袋へ到着。恐らく10時は過ぎていた。

池袋は埼玉県の植民地なだけあって、池袋まで来たらもう完全にこっちのものである。第二のホームであるというか、もうほぼ飯能の隣町と言えるので、池袋まで来たら安心感があった。もし会社以外で帰宅困難者になっていたら、ひとまず池袋駅まで目指すのが良かっただろう。埼玉県民なら安心感が違うはずだ。
西武池袋線に乗ってからは、正直ほぼ覚えていない。安心しきっていたのであろう。結構普通に運行していてスムーズに飯能に着いた気がするが。
結局、昼過ぎに自宅に着き、5時間以上かかって大井町から飯能まで無事に帰ることが出来た。

最後に今後のために、この震災での経験や学んだことを振り返っておく。
・飯能は都内から遠いので、都内で帰宅困難になった際は無理しない。当日中の帰宅を諦めるのも検討
・飯能に向かう途中で帰宅困難者になるくらいなら、自分が知っている場所や電気が確保できる場所に留まる方が不安が少ない
・なんとか西武池袋線にたどり着くように迂回しまくるのがベスト(西武池袋線を信じて)

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