コンパートメントNo.6と行きずりの恋

コンパートメントNo.6/ユホ・クオスマネン

カンヌ映画祭でグランプリを受賞ほか、多くの賞を受賞している評価の高い映画ということで観てきた。

新人のフィンランド人監督。
舞台は90年代のロシアのロードムービー。

寝台列車のコンパートメントでたまたま同室だったのが出会いの始まり。
第一印象はすこぶる悪く、先が思いやられる旅である。
徐々に距離が近づくものの、あと少しのところでお互い切ない心境が続く。

私も長期の一人旅をしていた時期があった。
行ってみたい国はいくつもあったけど、行き先は決めずにその時がきたら次の国へ移動するというような旅だった。
当時、スマホもない時代で、英語も通じないような国では苦労することもあったが、見ず知らずの人にたくさん助けられたおかげで今でも良い思い出になっている。
一人旅と言っても毎日誰かと会わずには生活できないわけだから、
現在の東京での暮らしより孤独を感じることはない。

旅の途中で何度か恋をしたが、一つ挙げるとするならばインドはブッタガヤでの恋である。

ブッタガヤは釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたとされる仏教の聖地の一つである。
そこではミャンマー寺に住まわせてもらっていた。
ブッタガヤにはいろんなお寺が建立しており、決まった時間にお経を唱えるお勤めがある。
ミャンマー寺でもお経を唱えたり瞑想をすることができるが、
少し歩いたところに日本寺があり、決まった時間に禅を組むことができる。
そこへよく禅を組みに行っていたのだが、
たまたま同じミャンマー寺に滞在していたイタリア人が同じく日本寺で禅を組んでいたのだ。
夕方日本寺で禅を組むと帰る頃には日も暮れ、一人で歩くには多少の危険が伴う。
そこでそのイタリア人がいつも帰り道付き添ってくれたのだ。

その頃私は英語があまり話せず、彼も英語が不得意だったので、
コミュニケーションを取るのは非常に苦労した。
それでも彼は三島由紀夫に興味があるらしく、著書の話や音楽の話などして徐々に親交を深めていった。

そこにどのくらい滞在していたのかあまり覚えていないが、
ミャンマー寺でも会うと挨拶を交わすようになった頃、
階段を下りていると、途中でちょうど彼に出くわした。
その時にいつもの停電が起きたのだ。
停電くらいではあまりびっくりすることもないが、
目が慣れるまでじっとしていなければ動くことができない。
その時、彼が私を抱きしめたのである。
ただの友人だと思っていたが、彼にとってはそれ以上の思いがあることを知ってしまった。
しばらくして停電が復旧して明るくなり、何もなかったようにそれぞれの部屋へ戻っていった。

その数日後私は次の場所へ旅を続けようと思った。
その旨彼に伝えたら、近くまで送っていい?というので、二人で近くの駅まで旅をした。
そして同じ部屋で一泊することになった。
一緒にご飯を食べたり、街を散策しながらたくさんの話をした。
あまりにいい人で好きになってしまったのだ。
その夜セックスをした。

とはいえ、お互い明日もわからぬバックパックの旅で私もまだまだ行きたいところはたくさんあった。
ここで一緒になってしまうと先に進めないのだ。
その時はその場限りでお別れをした。

旅を続けてしばらくしてニューデリーに行くと道でばったり彼に再会した。
向こうはあの後とても気にかけてくれていたみたいで、
少しお喋りを交わして、私の滞在先だけ伝えた。
その後、私の不在中に何度か彼が訪ねてきていたようで、
掲示板に置き手紙があった。
その頃はhotomailを使うのがやっとの時代で、連絡を交換するのは伝言板しかないのだ。
彼のことは好きだったが、やはり私はその後も一人で旅を続けた。

それ以来彼と連絡を交わしたことはない。

旅をしているといろんな優しさに触れ、恋もする。
あの頃のような無茶な旅がまたしたいと、この映画を観て思ったのだ。
彼は三島由紀夫の金閣寺が好きだと言っていた。

#映画にまつわる思い出

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