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すずきたかまさについて

私、すずきたかまさについて

自己紹介がないよ!!という話があったので。突然ですが、自己紹介を簡単に書いていきます。

※カバー写真はアメリカのGoogle本社前からです。招待されて行ってきた時の写真です。

子供時代

小学校高学年の時は電気屋の息子と仲良しでした。

その子の家に行くと、親と一緒にいろんな家電を改造していたり、大学生がプログラミングの勉強しにきていたり…で、そこに行くとパソコンでゲームがさせてもらえる!!

という感じで、しょっちゅうその子の家に通っていた記憶があります。大学生の人たちからプログラミングも教えてもらえたり、プリントしたコードをもらえたりしたので、それを自分で読んでみたり…という遊びをしていました。

某国民的アニメの作者の家が近所だったので、私までアニメ中にも「この時、この場所にいて、これしてたのは俺なはず!」って感じで登場しています。アニメの中では女の子にされているかと思ったら、作者よりずっと年上設定にされてお兄さんとして登場したり(本当は私のほうが年下)。

名前が出た!と思ったら「すずき」じゃなくて「佐々木」にされていたりと、モヤモヤするアニメです(^^v

小学生時代の部活はマーチングバンドでした

部活はマーチングバンドでした。トランペット担当で、音楽の授業ではリコーダーも苦手ではなかったので、普通のソプラノとアルト、ソプラニーノのリコーダーで発表会参加するような感じでした。

習い事

低学年時代は水泳、書道、絵画…いろいろ試しに行ってましたが、水泳しか続かなかったような…そしてマーチングバンド活動が忙しくなったので、全部やめました(マーチングバンドは県代表までいきました)。

中学〜高校時代

知人から海外旅行のお土産でもらった、モンスターの辞典みたいなのが…D&Dのルールブックでした!!
学校に持っていったところ、ゲーム好きの上級生たちが「翻訳しよう!」とプロジェクトをスタート!!

当時はまだRPGが日本に上陸する前のことだったので…

部活でバタバタしていた自分は本の提供者として、「○○君の後輩」とだけ謝辞が書かれた程度でしたが、先輩たちが翻訳したD&Dの日本語説明書はあちこちでコピーされて日本全国に行き渡ることに…

大人になってからも「そのコピーを持ってた」という人にも出会うことがあったりでびっくりでした。

先輩たちはゲームメーカーに就職、何かの記事で「同級生の後輩が持ってきた本がなければ日本でのRPGブームはもっと遅れていたかもしれない」的な話がありましたが…放課後とか、学校の教室に残って先輩たちと一緒にテーブルトークRPGにはちょこちょこと参加させてもらう程度でした。

先輩たちがプレイ記録を書籍にしたりしてましたが、時々どうでもいいキャラみたいな感じで一瞬だけきて去っていくようなので登場させてもらっていたことはありました。

マネージメント的な役割で参加したりもしていたので、このメンバーからは「現場監督」と呼ばれていました(まさかこれがきっかけで、ゲーム攻略本の執筆に監督役として参加することになるなんて)。

部活は

部活はパソコン部と、バスケ部と登山部…ボール使うのが苦手だったのでバスケ部はすぐにやめて、登山部の幽霊部員でパソコン部という感じでした。でも、空手やってる下級生に型を教わって学校内で空手の型やっていた記憶のほうが…

大学時代

スポーツに燃えてました(笑)

が、怪我でお休みすることになったのですが

そこでもまた現場監督としての仕事発揮!?

「身体が動かせない分、いろんな大会の実行委員として動いてはどうか?」と声がかかり、委員会に加わることになりました。

他のメンバーが見た目怖いところもあり、みんなが「鈴木が舐められないように」と配慮してくれたのか…割と前にでる立場をまわされました(委員長が「鈴木が「いいよ」って言わなきゃ開催許可が降りないんだぞ」と学生たちに話しかけていたことも…)。

全国各地で開催される大会を準備したり…全国を飛び回ってました。おかげで夏休み、冬休み、春休みはなく、休みになると指導員の先生と一緒に全国を飛び回るという生活を経験させていただきました。

偉い先生にくっついて飛び回っていたので、身体が治るころには目が肥えてしまって、理屈を教えることはできるし、自分もそれなりに動けるということで全日本のゼッケンをもらえました(出場することはなかったけど)。だいたいが合宿などで来る学生の面倒や、見本として先生のフォローなどでしたが…合宿のお礼などで、全国の大学のチームTシャツやジャージをもらってイベントではそれを着ることもあったので、所属大学不詳の怪しい人と思われていたみたいです。

全国の応援団たちにも顔を覚えられ、電車に乗っていたら学ランの応援団連中に「押忍!!」と大声で挨拶され「やめてくれー」となったことも…

社会人時代〜

企画担当、Windowsの開発にあわせ海外の技術書の翻訳や、雑誌記事等の執筆、設計等したソフトウェアが連続で受賞したことから、「画面設計の専門家」として独立。

技術書の翻訳などで、出版社の方々とも仲良くなり、近所だったからなのか(?)スポーツ好きな漫画家の方たちに可愛がられ、「プロレスを一緒に見に行こう」「カラオケに行こう」「ご飯食べに行こう」と誘われてました。

たまに「技を極めたときのポーズを取ってみて」とか言われてモデルっぽいことをしたこともあります。モーションキャプチャのモデルのアルバイトをしたことも…身体中にいろいろくっつけてマットの上でひたすら受け身を取るだけの役でしたが、格闘ゲームに関われた事もありました。

独立後

当時まだ日本語化されていなかった「HTML」「セキュリティ」「CGI/Perl」「日本語解析」等の翻訳したので、プロバイダの設立〜技術者育成、WEBデザイナー育成を担当、大手のシステム制作を委託される

独立前に親しくなっていた漫画家さんたちとの縁もあり、アニメ制作の会社とも仲良くさせてもらって、そういうジャンルの方々のサイトや芸能人のサイトなどもいろいろ作らせていただきました。

「日本語のAI解析」という視点で、検索エンジンの開発に関わる(レクチャーした方は検索エンジン会社に転職)

様々な会社からWEBデザイナー育成講座を依頼され、会社及び専門学校での講師として活動。

セキュリティについても話ができたので、銀行のネットワーク(大手銀行のデータセンターなどにも入れいろいろな経験をさせていただきました)や自治体間の情報共有システムなどを担当。

会社の方も社員数40名程にまで成長、システム制作〜サイト運営サポート、サポートしたネットショップは200を超え、月商1000万円を超えたサイトも出てきたところで、体調を崩しました。

会社を休眠し、以後は小規模な仕事に切り替え、無理をしないことにしました。

この頃、アフィリエイトの会社からシステム制作を依頼され「使いやすいシステム」を模索する中で、自分でもアフィリエイトに挑戦、書籍執筆に参加、月に結構な額(月に○○○万ぐらい?)を得るところまでいきました。

↓まだ執筆中ですが、こんな活動をしています

WEBクリエイターとしての活動

HTML/CSSの講師をしてきたところから制作も依頼されるようになり、企業や商店のサイト制作から始まり、各種イベントでのサイト制作、自治体や金融機関のサイト制作を担当してきました。

WEB活用コンサルティングとしての活動

WEBライターとしての活動

講師としての活動

YouTuberとしての活動

YouTuberとしての活動は2014年頃から本格的に開始しました。「動画を活用していきたい」という要望がクライアントから寄せられたので、「実際に自分でもチャンネル運営をしてみよう」というところからのスタートでしたが、YouTuber活動が面白くて…「これを本業にしたい!」という気持ちがドンドンと芽生えていったので…まだ完全に本業にはできていませんが少しづつでもシフトしていきたいと考えています。

結婚と同時に沖縄に移住

自治体等のインターネット活用、SNS活用で活動し、Google本社等から招待され渡米。「動画」を強く伝えられ「自分でもチャンネル運営を」とYouTubeチャンネルの運営を開始、登録者数100万を超えるチャンネルの運営や動画制作を依頼されるなどして、現在に至ります。

もっと身近な人(リモートだとどうしても相手の望む完成形イメージが掴みづらい)のチャンネルや動画をやりたいと言う気持ちがあったり…人のチャンネルや動画よりも自分のチャンネルや動画をやりたい気持ちがあったりするので、思い悩むことが多いです。

また2008年から、沖縄のラジオ局「FMうるま」で、ラジオパーソナリティとしても活動させていただいています。

もう少しうまく話せるようになりたい!!

心不全で入院

それまで、あまり病気という病気をしたことがなく、怪我ぐらいでしたが、いきなりの心不全での入院を2022年10月から経験させていただきました。誹謗中傷などで血圧が上がることが多かったので、高血圧が原因の心不全…退院後はストレスをためない生活に切り替えていきます。

誹謗中傷されたことによって、血圧が上がり心臓に負担をかけていたのかもしれない…

ICT(Information and Communication Technology)、eラーニング界へ

心不全で入院したことをきっかけに、自分の健康状態で仕事ができなくなりクライアントさんに迷惑をかけてしまうことを考え、どこかに所属して仕事をしていくことを考えたところ、ICT(Information and Communication Technology)/eラーニング界隈からお誘いを受け、1998年から経営者として活動をしてきましたがここで一度経営者としての活動をお休みさせていただき、2023年の4月からはICT業界でお仕事をしていくことになりました。

初めての転職

2024年3月、転職いたしました。ICT/DX業界 人材育成~派遣業界で沖縄拠点のスタートにリーダーとして関わります。kintoneもやっていきますよ!!


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ライターの仕事

よろしければサポートお願いします。心不全で入院したため仕事が大幅に減ってしまいました...機材を整え直してYouTuber活動などに力を入れていきたいと思います。