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悟りはない…ってことが「左脳さん」にはわからない。

今日は、ウェルカムレイン☆サヤカ的
非二元ノンデュアリティ論です。

これについては一冊目のKindle本「これ以外のなにかはない」で絶叫させてもらっている内容です。

悟りは「いま・ここ」にない…別の“なにか”としてしまう、、、それが悟りノンデュアリティ非二元あるある

(だから、あらゆる探求が起きてくる、あるあるです。)

オデコの上のメガネが「ないない」という悟り探求 


一冊目のKindleでは、ひたすら「これ」について書いてみました。


これじゃない「なにかがある」とするメリットは、、、


いまここにあるツラサが「いつか、どこか、なにか」になったら無くなる、、、という現実逃避的思考回路です。そうやって「いま・ここ」を紛らわしている、、、

そうやって意識を「いま・ここ」からズラしている。

それがあらゆる探求(シアワセさがし)でおきていことです。

だから「こういうこと」をいって
興味深く聞く人は少ないんです。

だって、、、

「そこ」に気づいてしまったら、逃避しているその「なにか」と対面させられてしまう。だから、避ける(気づきたくない。)

でも、ある意味、、、それって無意識に勘づいている
(だからこそ、なんかイヤ・避ける…も起きてくる。)

だから、かんじられない…というより、
「かんじたくない(拒絶)」なのだとおもいます。

そして、そうやって拒絶するから、、、
どんどんどんどん、もっともっと、、、
わからなくなる。

でも、こういうことも、それもこれも、、、

非二元で言っていることは
左脳・アタマじゃわからない(らしい…)
いくらコトバで説明されても、
右脳優位にならないとわからない(実感できない)

そんなこともあってやっている
三脳バランス研究所の非二元室長活動なのです

悟りはない…ってことが
「左脳さん」にはわからない。

これ以外のなにかはない…ってことが
左脳・アタマじゃわからない。

右脳かんかくに還らないと、わからない。

右脳からみてはじめて、
ようやく、、、それ(ワンネス)がわかる。

だから、右脳にいかないと、探求(いまここにないシアワセ探し)が終わらないんですよね。

これも、よく言っているフレーズです。

あるが「ある」 
ないが「ある」

おんなじ。

嬉しいが「ある」悲しいが「ある」
どっちもおんなじ「ある」なんです

「ある」というひとつしかない

たぶん、これは本体さんの視点なんだとおもいます。
本体さんの視点であり、本体さんそのものでもある、、、

これ・ひとつ。

多分、この「ある」っていうのは
一元と二元性でできている汽水域の
きわっきわ…なんだとおもいます。

この「ある」から左脳側によればよるほど
ストーリー・ドラマ・概念の二元性が濃くなっていく。

*ストーリーについては2冊目のKindle「人生はストーリー」で書かせてもらっています。

でも、この肉体はさむいあつい(極寒よりもおふとんの中にいたい)という性質があって、これがあるから生命を維持もできているので、この機能性とそれにくっついている機能性キャラクター(自分)は、生きている限りはありつづける、、、だから、悟っても「生活」は残る、、、でも探求者はこの生活の苦しみから逃れたい(それは消えないんだというハラ落ち、、、このめっちゃじみーーーなことが、唯一「悟り」といえるものなのかもしれません。)


みんな「わかりたい、わかりたい」と探求していますが、
でもそれ以上に、、、

「それについてわかるシチュエーション」

まで無意識に指定していて、そこが「いま、ここで、わからない」という要因になっているようにおもいます。

女の子が、こういうシチュエーションでプロポーズされたいと「夢」みているのとおんなじそれです。

いわゆる、そんなふうに「選り好み」しているから「いまここで、わかるが起きてこない」のだけど、この選り好みが望むという機能(なんでもいいわけじゃない)から生まれてくるドラマ性、複雑さでもあります。

でも同時に、、、

その「選り好み」がなくなれば、
この「いつか、どこか、なにか」がなくなれば、

もう、いまここで受け取れちゃうんです。

あるが「ある」 ないが「ある」
いま、ある、これが「ある」なあ、、、です。

そして、そこまで見えてくると
「じゃあ、好きにせい!」となる

、、、というより、もう好きなようにしているんです。

その「わからない」という現象も、選り好み(好きなように、体験したいように、、、イノチが生きているようす)なんですもの。


ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp



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