見出し画像

人件費が高くなる時代の生存戦略w

 物価が上がってきてるねー。

これに伴ってというわけではないけれど、人件費、要するに給与所得もジリジリと上がってくるはずである。

その理由はもちろん人口減少。少々月給を上げたくらいでは人材を確保できなくなってきているから、ガンガンと上げざるを得なくなるのだ。

どこもかしこも人材不足でどうしようもない感じであるが、ここは一つ「人が少なくて人件費がバカ高いオーストラリア」の話をチラッとしてみたい。これからの日本の歩み行く未来の一端を理解できるかもしれない。知らんけど。

1、日本が豪州化する

 私が住んでいたのは2002年から2005年の時期なので、今の豪州がどうなっているかは分からないけれど、直近でも「世界で最も最低賃金が高い国」になっていたので、たぶん大きくは変わってないかなぁと思う。

ワーキングホリデーに行った人達が、かなりの大金を貯めて帰国した話などを聞いたことがあるかも知れない。これは、報酬を受け取る側にいれば嬉しいけれど、払う側になった際には、その人件費もクソ高いということが言える。

修理の人を依頼しても予約が数週間先で、しかも約束の時間に来ない、そしてめちゃ高いなんてこともあるので、オージー(オーストラリア人)たちは、ある程度の修理や家庭内での力仕事などを自分たちでなんとかすることが多い。車のパンクなんぞ自分で修理するのがデフォだし、家の中に工具類、DIYツールなど、ありとあらゆるツールを大量に保有しているのだ。

 オーストラリアでは、ママが銀行員などのホワイトカラーで、パパがビルダー(大工さん)などのブルーカラーという組み合わせを多く見てきた。マッチョでスポーツマンで豪快にBBQを楽しむような男の人がモテるということだけではなく、そういう人は家庭内でも活躍の場が多くて、有能でカッコよく見えるのは事実。家庭内で自己完結しないといけないことがありすぎるのだが、なぜかホワイトカラーでも残業だらけでヒーヒー言っている人を見たことがなく、労働時間は短そうに見えた。毎日、早々に帰宅して家族で夕食を楽しむ人達が一般的だった。今になってガッテンしたのは、彼らホワイトカラーの生産性は、おそらく日本人のそれよりも圧倒的に高かったんだろうなぁということ。

まず日本がこれから向かうトレンドの第一段階として、多くの人が「他人に何かをお願いすることのコスト」について、理解するようになるはずである。

今までは翌日届いた荷物が数日先配送になり、無料で再配達して玄関中まで入れてくれるようなことはなく、玄関先に置き配してくれれば御の字で、その置き配が盗難にあっても、受け取り側の責任(つまり置き配を無事に受け取れるBOXその他の工夫は、配送会社ではなく受け取り側が準備)にならないとコストが合わない。そういうことが段々と理解されて、コンセンサスを得られるようになる。

そして、コスト的に「自分でできることなら自分でやるしかない」という方向に向かっていく

が。

自分ではどうにもならないようなことも発生してしまう。例えば、「資格や公的な許可がないとできない修理作業」などだ。台所の蛇口の交換くらいなら、部品を購入して動画を見ながらできるが、電気工事については有資格者しかできないのだ。

そして、そういった専門技術を持つ人たちが、約束の時間に来ない、来月再来月まで予約がとれないということについても、なんとなく受け入れていくようになるのだ。そして、経済的に余裕があり、かつ賢い人は、クリティカルな設備を二重化して持つようになったりする。エアコンは一台よりも二台持つなどである。エアコン自体の入手は即座にできても、設置工事のための人材が確保できない可能性が高いからだ。

こういう状況を経て、需要と供給のバランスがうまいこと落ち着いてきて、気づいた時には「なんとなく、みんながアクセク働かないような社会」になっていることに気づき、これこそが人間らしい生き方なんじゃないかと皆が納得していく。

ところが人口減少が加速してくると、肉体労働などのうち、ロボット代替できない職種やサービス業において、生活基盤の維持ができなくなる恐れが出てくる。そこで移民を受け入れる方向へ大きく政策転換していくのである。

そうすると特にアジアからの移民が退去押し寄せ、移民ビザ狙いで大学に留学生もあふれかえるようになる。彼らは母国で教育ママゴンの薫陶を受けて育ち成績も監視されているため、一部は高いパフォーマンスを発揮し、現地のグローバル企業に就職し、最終的には地元で起業したりで貯蓄に励み、一等地の不動産を買う。その噂を聞きつけて、親戚その他一同も、不動産を買いまくる。そして都心部の不動産が暴騰。

オージー達は、家を買えなくなったと不平不満タラタラで、最終的に外国人の不動産購入に制限をかける事態にまで陥ってしまった。

まぁ、この辺りまでは容易に想像ができる。

豪州から学ぶ生き残るための戦略としては、

自分でできることは自分でやる(他人に頼むとコスト高)

無料で他人に動いてもらうのは不可能だと理解する


その中で、自分の興味のある何らかのスキルに平均よりもちょっと長けておくとさらに良い。周囲のヘルプができるようになれば人的資本として貢献できて感謝される。プロレベルの掃除スキル、ちょっとした大工仕事、高効率な庭仕事スキルなども重宝される。

2、東京が香港島化する

 随分前から、こうなる未来は分かっていたのだが、とにかく都心部の不動産価格が暴騰し、東京が香港における香港島のようになる可能性が高い。

香港島には金融機関が結集しており、小さいエリアに超高層アパート(日本で言うタワマン)が密集し、それらは億ションではなく「数億ション」しかない。結果として、超富裕層か外国人しか住めない場所になっている。一般的なサラリーマンがふわっと手に入れられるものではないので、多くの人は、新界(New Territories)と呼ばれる中国大陸側の九龍エリアより北側に住んでいる。日本的な感覚で言えば郊外の住宅街と考えれば良いかと。

ちなみにこのエリア、風光明媚な景色があったり、意外と自然環境も良く、住むのに悪い場所ではないが、いかんせん職場までの移動には多少時間がかかる。

香港の場合、「住むエリアで露骨に経済力が分かる」状態で、東京も(すでにそうなりつつあるけれども)住所やマンションの物件名でマウントの取り合いをするようになる。が、「ちょっとがんばれば手に届く世界」のレベルを超えた格差なので、「郊外の住宅地での小さくも幸せな世界」に自分は満足しつつも、「子供にはあの香港島の世界を」と思う親達の教育熱がものすごいことになってしまっている。これを東京の郊外に住まざるを得なくなった日本の親達が追随する近未来もあり得る(滝汗)。

ところが、香港と違うところは、「日本の国土は意外に広く、地方都市が多数存在する」ということと、「精神性をも重視する」国民性があるので、何がなんでも東京の一等地を目指す層だけではなく、東京の郊外、または地方都市での暮らしを選択する余地がある。都心部の不動産高騰により、市民が怒り狂ってデモをするようなことにはならず、うまい具合にエリアごとの棲み分けが進んでいくのかなぁという予想が立つ。

生き残る戦略としては、

高所得者同士で結婚(パワーカップル化)して、ペアローンで東京一等地のタワマンを買い、他の投資もして金融資産を増やし、折を見て不動産を高く売って住み替えるなどをし続ける。

または、

都心部タワマン暮らしのライフスタイルから決別し、通勤圏内にある都市部郊外か地方都市でのコスパ良く暮らす基盤を整える。

別の選択肢としては、

不動産がびっくりするほど余ってくるので、実家の不動産をうまくリノベして住むなり、貸し出して投資物件にできるように工夫すると共に、首都圏(もしくは海外)から受注できる仕事を模索する。

などが考えられる。

3、高齢者は、若者が嫌がる「軽作業の肉体労働をロボットと共に」行うことが求められる

 人は誰もが老いていく。ある時点から現役並みの仕事からは退いて別の仕事人生を生きるか、もしくは賢く投資して資産を積み上げておくか、そしてその両方をするか、程度の選択肢しかない。

ためらいなく消費するためには、何らかの「フロー所得」を得られるスキルを得ておく必要がある。

香港に行くと、超高齢のおじさまおばさま達が飲茶店でホール係をつとめていたり、早朝のお掃除スタッフとして働いている現場に遭遇する

つまり若者が避けるけれど、ロボットで完全には代替できない肉体労働の人材は足りないので、その一端を担う労働スキルがあればいい、ということになる。そして重労働は肉体的に無理なので、ロボットを利用しての補助作業か、または軽作業に限定されるだろう。

それはおそらく

飲食業
保育や介護や看護
清掃業
倉庫等での軽作業
病院や店舗(金融業含む)での案内業
農業におけるスポット作業(収穫時等)

などが想定されるが、それだけにとどまらない。

例えば、IT業界などでは、「高度な専門性はそれほど必要とはされないが、システムと業務内容についてのある程度の知識は必要とされるが、難しくはない(デジタルな世界における)力仕事」というものがある。若者がそれに従事しても将来性はないが、誰かがやらないと仕事がまわらない雑多な仕事、というものが多数存在する。そういう仕事も、専門性の高いエンジニアだった方だけではなく、仕事でずっとExcelを触っていたような方なら、できる可能性のある仕事である。

色々と殺伐とした雰囲気になりそうではあるが、実はそんなに心配することではないかも。人件費が上がる時には、「働けば所得が入ってくる」「選ばなければ仕事はなんぼでもある」「年寄りだからといって邪険にされずに人材として重宝される」「手を使う仕事を自分ですることで脳は活性化する」「人間の生き甲斐は、結局は仕事に帰結することが多い(社会に貢献できるから)」のである。

自分の中の何らかのスキルで社会に貢献できれば、それで生きていける世界の到来である。言われた通りにデジタルで仕上げるような仕事は、AIの方が早いし確実。定型業務は人間でなくてもいいわけで。

人間の真骨頂は、イレギュラーな環境でも、初見の現場でも、手足を動かして対応できること。

かようにも人間の身体とは、自由自在に動かせる貴重なものなのよね。
何らかのDIYスキルは、鍛えるに限るよね。
自分のことは自分でやって、余力で周囲の人にお手伝いしてあげられるように、次世代に備えなきゃ、だよね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?