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【小説】 彼、あなた、私のインスタントな失恋相手へ

この前わたしは手紙を書きたい相手がいないと言ったけど、あなたには手紙が書けるような気がしたので書きます。このブログに何度も出てきている彼、あなた、私のインスタントな失恋相手。呼び方はなんだっていいのだけれど。

あなたと会ったのは結局のところ3日だけだから、わたしの人生においてあなたとは無関係に、わたしだけで成立している毎日のほうが圧倒的に多いわけです。そういう意味で、ここでいうあなたは実在するあなたではなく、わたしが心を開けたかもしれない架空の希望、幻想、または執着であって、これはそうしたあなたに向けて書かれた手紙であることを理解してください。

あれからわたしはあなたに関する自分の感情を時々取り出して、光にかざして観察してみたり、重さを測定してみたり、他の気持ちと並べて同時に坂の上から転がして、その形状を比較して確認したりしています。あなたは自分の気持ちを取り出して、あれこれしてみることはありますか。きっとあるのではないかと思います。そういう人だったのではないかと思います。それがわたしがあなたのことをときおり考えてしまう理由です。

あなたのX (Twitter) アカウントを見つけてしまいました。話を展開する前に最初にはっきりさせておきたいのだけれど、あなたもわたしのX (Twitter) アカウントを知っているのではないですか。わたしがあなたのX (Twitter) アカウントを見つけるよりもずっと先に、わたしのX (Twitter) アカウントを知っていたのはないですか。
わたしの趣味の取り合わせは変わっているし、ネットリテラシーが高いわけではないから、検索条件を少し試すくらいでわたしのアカウントを簡単に見つけることができたでしょう。それにあなたの職業のことを忘れていました。雑誌のwebディレクターならSNSリサーチは得意分野でしたね。わたしのアカウントは見るに堪えない、駅のごみ箱の中身みたいなものですが、それを見られていたことについては別にいいです。わたしと恋愛関係を進めようとしたなら知っていると思うけど、わたしは考えていることのほとんどを話しません。半分も話しません。そういう意味では、わたしの分身のようなX (Twitter) アカウントが知られていたのは、あなたにとってもわたしにとっても悪いことではなかったのかもしれません。

あなたの仕事や趣味の取り合わせも変わっているから、すぐに見つけられました。わたしのアカウントを知っていた痕跡もいくつか残されていました。だけど今はそんな話はどうでもよくて、わたしが言いたいのは別のことです。

人の記憶というのは不思議なものですね。その時には見えていなかったこと、意識していなかったことでも、時間を経て思い返すとそのときのシーンがまるまる再現されるように、細部にわたって思い起される小さな仕草、小さな言葉のひとつひとつが浮き上がってくるのです。あなたに関しても同じです。子供みたいな笑顔とそのときに見えた下の前歯。光に照らされて白く光るまつげ。斜め下に逸らされがちな視線。香水の匂い。あなたが香水をつけていたのはとても微笑ましかったです。男性のつける香水にわたしは総じて好ましさを感じてしまうのだけれど、いかにも業界人といったふうに、チェックシャツとか帽子とかあえてのラフな服装をしたあなたが、ここぞとばかりに王道ではないこだわりの香りを身につけていたのは、はっきりいってとてもかわいらしかった。なんの香りか知りたかったけど、それは上を向いて昼寝をする子猫のお腹の毛並みのふわふわとした揺れのように、触れてはいけない何かがあって、結局香水の名前について聞くことはできませんでした。

後になってあのときのことを思い返すと、あなたのことがはっきりと輪郭をもって理解できるような気がします。あなたも自分のことを半分も話していませんでしたね。自分のことを話せないと思う気持ちにわたしはよく馴染みがあります。別のところに書いた文章でわたしは、この世界は自分向きに作られたものではないと感じるという話をしたことがあるけれど、この気持ちはあなたにも覚えがあるのではないですか。

高校の時に映画を作っていた話をよくしていたけど、映画を作っていたのは高校生のときだけではないでしょう。あなたは仕事を始めた後もそれに参加したのではないでしょうか。わたしはそれをあなたのX (Twitter) アカウントで知りました。あなたはその話をすることを意図的に避けていましたね。わたしはあの時、あなたが大人になってまた映画を作っていたことを実は半分くらい知っていて、やんわりと聞いてはみたけれども期待した答えが得られず、わたしの方で確証が足りなかったこともあって、深く追求することはしませんでした。人と雑談のような会話をしているとき、自分の詳しい事情や気持ちが伝わらないであろうと最初から予想して、諦めて、避けて、回り道をした回答をすることは、わたしにもたくさん覚えがあります。だからこそわたしは、あなたがその話を避けていた理由を知りたいと思うのです。そこに本当の答えがあると思うのです。この世界が自分向きかそうでないか、自分向きではない世界について私たちはどのように生きていけばよいのか、そういうことに関する答えです。私たちのことについて、私たちという言葉を使うのは変ですね。私たちは何にもなれなかったわけですから。わたしとあなた。訂正します。

一番最初に話したとき、ほんとうは小説の編集の仕事がしたいと言っていましたね。それは咳払いみたいに小さく零れ落ちる会話でした。次に会ったとき転職先に応募をしているとも言っていましたね。あえて深く聞かなかったけど、あれは小説の編集者の応募だったのですか。そうやって未だに居場所をさがしているあなたの拠り所について、やはりもっと話をすべきだったと思うのです。

ところであなたは拘置所に入ったことはありますか?べつに留置所とか刑務所とかでもよいのですが。わたしは、多くの人の予想通りというか、もちろんないのですけど、拘置所に入れられているときの自分の感覚についてなぜだか手に取るように記憶を再現することができます。それは赤ちゃんが母親のおなかのなかにいるときのことを記憶しているように、とても実感をもって何度も再現される記憶なのです。そこには冷たくてかたいコンクリートの椅子があります。椅子というよりもコンクリートのただの四角いかたまりで、それは地面にべたっと接着して、一切のでっぱりやとっかかりが排除されています。わたしはそれを見て、拘留者がそのとっかかりを武器にしたり、首を引っかけて自殺したりする可能性を極限まで排除しているのだなとか考えて、なんとか冷静な意識を保っています。その大きな四角いコンクリートのかたまりの上にわたしは座っていて、そこは柵に囲まれて、錆びた鉄の金属の匂いと、たばこのヤニと尿と汗の酸っぱい匂いと、腐ったコーヒーの匂いがそれぞれに独立して混在しています。それからお尻が冷たくて、脚もつめたくて、とにかく全部が固くて、こんなつもりじゃなかったから服だって薄着やし、わたしは寒くてずっとふるえています。それでこの先のことを考えています。まず直近。ここから出るための法律のこととか弁護士のことを考えて、電話の方法を考えて、その電話がつながらなかったときのことを考えています。それから経歴のこと。拘置所入りは犯罪歴になるのか、そもそもわたしは有罪なのか、そういう心配をしています。

なぜこんな話をしたかというと、わたしは不安なときに拘置所のことを思い出すからです。そう、考えるではなく、思い出すのです。一人で外国の空港で入国審査を受けるときとか、新しい職場の初日とか、自分が誰にも理解されないと諦め、緊張し、絶望するとき、わたしはいつも拘置所のことを思い出します。言い換えれば、拘置所の記憶はわたしにとってこの世界に対する認識そのものなのです。

あなたにとっての世界の認識はなんですか。冷たいものですか。温かいと答える人ではないと予想しています。そしてあなたはきっとそれを言葉にできる人だと思います。そうそう、あなたは自分で文章を書いている人ではないですか。それが詩なのか短歌なのか小説なのかはわかりませんが、仕事で雑誌のキャプションを作る以上のことをしていたことは分かります。あなたが短歌の仕事をしている動画を見ました。これに関してはまたはっきりさせておきたいのだけど、ネット上に公開されている情報を検索して見ることについて、わたしは一切悪いと思っていません。呪うのであれば自分の仕事を呪うのですね。それであなたの言葉の使い方について気付いたことがあります。あなたは聞かれたくない話を聞かれたとき、とても慎重に言葉を選びますね。嘘を言わないように、自分の気持ちに反することも言わないように、だけど情報を出し過ぎて自分を傷つけないように、目線を外しながらよく考えて、その場しのぎの社交辞令もないけど空気を悪くすることもない、そういうちょうどいい言葉を時間をかけて見つけ出すのです。一度短歌についてわたしが話をふったとき、そうした適切な言葉を選ぶための時間があったこと、それと短歌の仕事で自分でも短歌を詠むのか聞かれたときの反応を思い出します。そんな隙間に挟まって隠れているあなたの何かしらの大事なこと、たとえばこっそりと創作活動をしているという事実があったのではないですか。

だけどもしかしたらこの世界は温かいと答えるのかもしれませんね。あなたは人といることで埋められる悲しさがあると言っていました。それならそれで、やはりわたしはあなたともっと話をしたかったと思うのです。香水をつけていないとき、あなたからさみしさの匂いがしました。さみしさというものは匂いになって染み付いて、それは服とか身体ではなく心に染み付いて、簡単には取れないーこれはわたしがあなたにおすすめした本の中の言葉です。あなたに勧めた本は意外とたくさんあって、これは一冊目の本、あなたはこれも買って読んでくれたけど、結局私たちがその話をするタイミングを逸してしまった、あの本の中の言葉です。人間はどういうわけだか自分と同じさみしい匂いがする人を嗅ぎ分けられるものです。少なくともわたしはそうです。あなたはさみしい人だったのではないですか。あなたはさみしさについてどう考えますか。どんな風にさみしい思い出があるのですか。そういう答え合わせができる人は、この世界にそう多くないものです。

ここまで言っておいてなんだけど、わたしはあなたに性欲を感じることはありませんでした。下品な話になりますが、会った瞬間から私に性交のイメージを想起させる男性というのがおります。そこに大した言葉は必要なくて、大きな厚みのある手がわたしの肌を撫で、おなかとおなかを触れ合わせ、胸や脚の体重を心地よいと感じたり、日焼けした黒い肌と白い肌のコンスラストが見えたりとかして、とても性的な気持ちにさせられる、そんな男性のことです。だけどわたしがそんな男性のことを好きになるかというと、そういうわけでもないのです。何度も言っている通り、わたしはあなたのことをとても気に入っていました。そのときはどうだか分かっていませんでしたが、今こうして考えるたびに、好きだと思います。好意と性欲がはっきりと輪郭をもつかたちで繋がらないのは、めずらしいことではありません。緊張して食事が喉を通らないとか、そういうものに似ています。食欲と性欲はある意味能動的な欲求ですから、通じるところが多いのは当然だと思います。

わたしが最も理想とする関係は、恋愛感情があるうちに性交をしないことです。そして恋愛感情が薄れ、使い込んだ革が柔らかくなって良い感じの場所に良い感じの折り目の皺ができ、物質と用途が自然に馴染んできたころ、性交をするのです。これについては長い話になりましょうし、あなたそして世間の皆さんを説得するためにはたくさんの説明と比喩などが必要でしょうから、今日はこの辺で止めておきます。

これは文章からも伝わるものと想像しますが、わたしはあまり男性に性欲を想起させる人間ではないのですけれど、あなたはわたしに性欲を感じていましたか?どんなふうに性欲を感じていましたか。どんな気持ちでわたしに触れたりしましたか。それがタイミングとか、そうすべきとか、単純な義務行為から成り立つものだったら簡単にあきらめがつくのですが。もし好意と性欲が入り混じる感情であったなら、それはすてきなことだと思うと同時に、わたしが理想とする恋愛関係については分かり合えない悲しさも深まったことでしょう。やっぱりわたしはそういうことをはっきりと言葉で答え合わせをしたいと思うのです。わたしが言葉を促したのはこうした理由です。これは何となくの雰囲気で流す種類の物事ではないと思うのです。情緒がないと思いますか。だけどそれが文学なのではないですか。あなたが少しは人生を捧げたいと考えている、文学なのではないですか。

この世界には、文字を見れば見境なく、のべつまくなしに読まずにはいられないといった種類の人間がおります。わたしもそうです。あなたもそうですね。この話もしましたが、あなたは作家の対談やインタビューまで読み込むタイプの人間ですね。そんなあなたがわたしのX (Twitter) アカウントを知っているなら、この文章を遅かれ早かれ読むことになるでしょう。別にこの文章でなくても構いません。わたしの書いた文章をいずれ読むことになるでしょう。わたしが文章を書き続けていれば、きっと発掘されると思うのです。万人にウケるかは分かりませんが、あなたの所属している、いかにもイケてるといったカルチャー誌を作るような人たちが、自分らのセンスを主張するために声高に取り上げたくなってしまう、その程度の力はわたしにはあると思うのです。読書家のあなたならこれもまたすぐに気付くはずですが、わたしには文才があります。文才というのはいくつかの要素から構成されていますが、まずわたしには文体があります。リズムがあります。わたしは文章に、ダムの水の放流のような強い勢いを持たせることもできるし、押しては引いてを繰り返す波のようにのらりくらりと浮遊しながら、月の満ち欠けや砂浜を形作っていくこともできるのです。ユーモアもあるでしょう。書きたいことはまだ定まっていませんが、それは既に着床し、わたしの中で細胞分裂を繰り返しています。やがて心臓ができ、目ができ頭ができ、手と脚の形をもつでしょう。そのうち性別が分かります。陣痛を伴ってようやくこの世界に生まれたあかつきには、わたしは自分にペンネームをつけようと思うのです。

ペンネームのことを、ここであなたに話そうとするのは行き過ぎだったかもしれません。わたしがこのすばらしい文章を以て書こうとしている内容について、あなたの設計図、遺伝子、そうしたものを幾分か拝借していることは否定できませんが、だからといってわたしのきわめて個人的なペンネームに関して、こうしてあなたに話をしようとしたのは度が過ぎた行為だったと思います。危険な行為だったと思います。ペンネームというものは、わたしによる、わたしのためだけの、特別な意味を持つものです。こんなところで迂闊に口を滑らせてしまったこと、深く反省したいと思います。反省。

やはりわたしたちはもっと話をすべきだったと思うのです。話してみたらきっととてもおもしろかったと思うのです。だけどわたしともう関わらないことを選んだのはあなたの方なのであって、だからこうしてわたしがあなたについての解釈を繰り広げていることについて、あなたはどうすることもできないでしょう。あなたの方からわたしに連絡することはできないわけですから。そこに誤算があったとすれば、わたしが創作ができる人間だったということですね。あなたはただ手をこまねいて、爪を噛み、ささくれをめくっているしかないのです。それはなんというか、因果応報、自業自得の応酬で、わたしにとっては小気味のいいものです。

あなたに話かけていると、ほんとうにどこまでも文章が湧いて出てきます。長い間文章を書いていなかったことの方がむしろ不自然なくらいに。またあなたの力を借りようと思いますが、今日はこの辺にします。夜も遅いし。終わりのあいさつはしません。では。

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