見出し画像

アーティゾン美術館のそぞろ歩きが刺激的。

5月14日まで、アーティゾン美術館がおすすめだ。というのも、まったく異なるジャンル、コンセプトの展覧会が同時開催されているから。会期ギリだが、紹介する。

まず6階のダムタイプ。2022年、ヴェネツィア・ビエンナーレの日本館で展示された新作《2022:remap》の帰国展である。現地のオリジナルと比べ、サイズが90%に縮小されていたり、ハーフミラーの柱をLEDパネルで代替していたりするそうなので、完全再現ではないが、彼ららしさは十分伝わるものだ。

壁にレーザーで英語のテキストが映し出され、床と平行に超高速で四方を回る。テキストは、”What is the Earth”など、1850年代の地理の教科書から引いたベーシックな問いかけだ。世界の都市ごとにフィールドレコーディングしたアナログ盤を再生するターンテーブルがそこかしこに配置されているのは、「音の地図」をイメージしているのだろうか。

しかしながら、彼らの新しい局面が見えてくるようなプロダクションではなく、「再生産」という言葉が頭をよぎったのは否めない。ターンテーブルをモチーフにした表現は、どうしたってクリスチャン・マークレーの後塵を拝することになる。今回、坂本龍一を招聘したのは果たしてプラスだったのか。そのことは、彼への追悼とは別に、冷静に検証されていい。

ダムタイプについては、コロナ禍により配信のみとなった新作パフォーマンス《2020》を思い起こす。マンネリズムをぎりぎり回避しつつ、その先を強引にこじ開けようとする胆力に感服した。ただのインスタレーションではなく、生身のパフォーマンスを伴ってこそ、ダムタイプはその真価とポテンシャルを発揮すると信じている。


次に5階。コレクション展に企画色を付けた『アートを楽しむ』展が開催されている。「肖像画」「風景画」「印象派のパリ」という3つのテーマ切りはあるが、鑑賞のためのちょっとした補助線に過ぎないので、とりあえずは名品のオーラに浸ればいい。贅沢な時間。

「肖像画」のセクションでは、新古典主義時代のピカソが、あらためて自分の好みだな、と。ギリシャやローマへのピカソの透徹した(しかし距離感を測りかねている)眼差しがグッとくる。

ピカソ《女の顔》
ピカソ《腕を組んですわるサルタンバンク》

《腕を組んですわるサルタンバンク》は、ピアニストのホロヴィッツがかつて所有していたことを、会場の解説で初めて知った。ホロヴィッツのアルバム・ジャケットには、絵と同じように足を組んだ彼の写真が使われるケースが見受けられるという。

これは有名なジャケットだが、確かに。絵に影響された、とまでいっていいのかはよくわからないけれど、興味深い気付きではある。

「風景画」のセクションでは、セザンヌの定番サント=ヴィクトワール山の作品から、ルノワール、ゴーギャン、シスレー、ボナール、ピカソ、カンディンスキーが横並びになっていたのがよかった。印象派を起点とする近代美術の粋を堪能できるし、画家たちの個性を判別するトレーニングにも最適。

ボナールと藤島武二の並置もすごい。藤島の作品はボナールの12年後である。こういうアナロジーは知的好奇心をそそる。

ボナール《海岸》
藤島武二《屋島よりの遠望》


最後に4階。『石橋財団コレクション展』と銘打って、さらに数々の作品が畳みかけられる。中国の景徳鎮や明治以降の日本の洋画なども。このあたりで、さすがに疲れを感じるほどだった(笑)。個人的にはアンドレ・ドランに惹かれたかな。

ドラン《聖母子》

全体のテーマは設けられていないものの、特集コーナーとして、「画家の手紙」をテーマにした展示があった。古賀春江が恋人に宛てた自画像の絵ハガキが目を引く。シュルレアリスムに突き進む前の素直なタッチにちょっと驚いた。

クラシックのコンサートでは、現役の作曲家に委嘱したような現代作品と古典的な名曲を組み合わせるプログラミングが一般化している。今回のアーティゾン美術館のそぞろ歩きで、それと同じような面白さを味わえた。

同時代の新作は、受け手の審美眼が試されるので、ある種の緊張は強いられるが、フレッシュな発見も多い。その後に、普遍的価値が確立した古典に触れることで、美的感覚をチューニングし直し、程よいカタルシスに至る。

そんな方法論が、美術鑑賞の世界でもっと浸透するといい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?