僕が最も嫌いなものは「完璧」なものである。完璧であればあるほどにつまらないから
僕は中学時代忘れられない授業がありました。
勉強が大嫌いな僕は、学校へ行く理由など友達と会える、遊べるからという理由でした。
そんな中で最も僕が好きだった科目は美術の時間だったんです。
単純に絵を書くことが大好きだったのもありますが、何よりも美術を担当していた教師の方が大好きだったんです。
僕は特に絵を描くという授業になると気合が入ってしまって、兎に角絵を時間をかけて描いてしまうのですが。
とある授業で「林檎の絵を描いて下さい」というものがありました。
机の上に置かれた綺麗な真っ赤な林檎を描いて下さいという課題でした。
僕たちはその絵を眺めながら絵を描いていくのですが、僕は少し他の生徒とは違った林檎を描いてしまったのです。
それは赤でもなく色々な色を着色したものでした。
その僕の絵を見た生徒は
「なんだよその林檎の絵は?」
「完璧に描かなければいけないじゃないか」
と僕の絵を避難してきたのです。
僕は別に気に留める訳でもなく、絵を描き進めていると
美術の教師は僕のところへやって来てこう言いました。
「君の絵は凄く独創的だ!」
「沢山の色を使って、君の世界観を表現出来ている」
と大絶賛してくれたのです。
絵は得意な方なので割と上手く描けていたのですが、かなり異様な林檎になったのにもかかわらず彼は僕の絵を気に入ってくれたのです。
ただ僕が線を足しすぎていたため、そこを修正しようとした所
「なんでそこを消してしまうんだ!?」
と怒られてしまうのです。
折角付け足した線を消してしまうのは勿体無い。
消すのではなくってその線を活かして描かないといけないんだと彼は言いました。
その次の授業のデッサンの絵も
僕が線を修正しようとすると拒まれてしまいます。
彼はその時間こう言いました。
「世の中には完璧なものなど存在しない」
「そのはみ出た線だって立派な線である」
「全てにおいて無駄なものなど一つも無いのだ」
と言われた時に僕ははっとしました。
なるほど!全てにおいて無駄などない。
完璧を追い求めるというのは勝手な人間のエゴでしかないのだと。
絵画なんていうのは、突き詰めればいくらでも時間を掛けてしまう。それこそ実写のように写真の様に描いたとしても完璧に見えて完璧な物などない。
僕の知り合いの絵描きの人は
彼自身、満足のいく絵など沢山ある中でせいぜい1、2枚だという。後は全て未完成なのだと。
人は常に完璧なものを追い求めている傾向がある。
このトップ画の完璧な球体であってもそうだ。
綺麗な角がないもの、すなわち完璧であり気持ちが良いものだと信じている。
でもしかし、完璧だと言うのは人間の主観であり世の中には何一つとして完璧な物などないのだと思っている。
完璧でないからこそ美しい
完璧でないからこそ世の中は上手く回っている。
それが僕の見解であるので
僕は完璧という言葉を聞くと
どうしてもむず痒くなってしまう。
そして完璧なものこそ、非常に普通であり
非常につまらないものだと僕は思っているんだ。
それは人間であってもそう
人は常に完璧でないからこそ、人と人は繋がり
完璧でないものに惹かれていくのだと。
欠点なんて言うものは、デメリットになるなんてせいぜい自分自身位でしかない。人からすればメリットになるケースなんていくらでもあるはずなんだよね。
そんな不完全で、未完成な自分自身もものを
敢えて潰して完璧にしようとする行動は、ある意味非常に勿体無い行為だと僕は思う。
不完全を完璧にすることなど到底無理な話
いくら時間をかけて完璧にしたとしても、何処かが欠けていく、その欠けた部分を直していくと更に他が欠けていく
要は時間をかければかけるほど
完璧から外れていくばかり
これではなんの為に時間を費やしているのかわからなくなりませんか?
ならばいっそ不完全を認めて、愛して
完璧でないという現実を楽しむ。
そうしていくと自ずと自分が持つ本当の美しさに気がついていけるのではないか?と僕は考えている。
その先生はもう長いことあっていないけれど
もし僕のこの記事を読んだとしたら僕だと気がつくのだろうか?
本当に大好きな先生だったので、もし会えるならば
僕が素晴らしい事に気がつけた事を感謝したいと思う。
今何をしているんだろうな?また学生に戻って彼の授業を受けたくなってきました!
そしたらもっと沢山絵を描いているかもしれませんね!
それではまた😻😻
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