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(連載小説)秘密の女子化社員養成所① ~離島への内示~

「はあ、また1週間が始まるのか・・・・・。」

そうため息をつきながら菊川悠太(きくかわ ゆうた)は地下鉄を降り、重い足取りで勤務先へと向かっていた。

今日は月曜日。誰しも月曜朝の出勤は休み明けと云う事もあり気分が乗らない事もあるが、悠太の場合は曜日に関わらずここのところ出勤が億劫になりがちだった。

悠太は今年25歳。大学卒業後、健康食品やサプリを扱っているビューティービーナスと云う会社に採用されて今年で3年目の若手社員で、東京本社の営業2課に配属されていた。

入社して最初の1年は先輩社員のフォローや内勤がメインだったが、2年目になると徐々に営業の現場に出させてもらうようになっていた。

始めは上司や先輩たちの言われるままで見よう見まねの営業スタイルだったが、慣れないなりにいつも丁寧に、またすばやく対応する事を心掛けていたせいか関東近郊を地盤とする中堅ドラッグストアに自社商品を大量に取り扱ってもらえる契約を取り付ける事ができた。

また納入後はその商品が売れ行き好調だったこともあり、評判を聞きつけた同業の他のドラッグストアにも納入させてもらえるようになり、大きな実績を得る事ができた。

納入されてからも引き続き順調に商品の売り上げは伸び、、同期はもちろん社内的に全国の営業担当者の中でも上位の成績を収めるようになっていた。

がぜん忙しくなった悠太は週末になると現場へ実演販売やキャンペーンのヘルプとしてお手伝いに伺う事もしばしばだったり、それ以外にも日頃の営業活動や発注、在庫管理等あれこれと仕事に追われて朝から晩まで毎日大変忙しくなり、夜は夜で取引先やサプライヤー(納入業者)との「まあ一杯やりませんか?」的な会食や接待も増えていた。

それでも悠太は確かに忙しいけれどこの仕事にやりがいを感じていたし、自分の勧めた商品がお店に来て買って下さるお客様に喜んで頂いたのを直に見たり、高評価をいただいた事でより一層仕事に励むようになっていたのだった。

しかしいい事ばかりは余り長く続かなかった。大口顧客のドラッグストアの特売やキャンペーンが続いてそれに伴って業務量も増えていたが、通常の営業活動は普段通りする必要はあったし、昼・夜の会食や付き合い行事も相変わらず多くて忙しかったのだが、会社としても悠太に期待しているのを肌で感じていたのもあって何とかやり繰りして仕事に励んでいたものの、新商品の提案をする際になんと見積書の金額を一桁間違えて取引先に提出すると云う大失敗を犯してしまったのだった。

その見積書は提出期限が近いので無理して夜遅くに得意先との会食終了後一旦会社に戻って作成したのと、また夜遅かったので先輩や上司に通常ならお願いするダブルチェックを疎かにして提出したのがいけなかったのだが、とにかくすぐ上司とお詫び方々先方に出向いて謝罪してその場は何とか収まった。

ただそれでも通常よりかなりの値引きとプラスのサービスとしてノベルティグッズを要求され、仕方なくその条件を吞む事でこれまで通りの取引は継続してもらえる事になったのだが会社としては余計な費用が掛かり、且つ利益的にも目減りする大きな損失を出してしまった。

「まあそんなに落ち込まないで。この件は大きな案件なのに私たち上司や他の社員みんなでチェックできなかったのも一つの原因だし、責任は菊川君だけにある訳じゃないから。次で挽回すればいいよ。」

そう落ち込む悠太に営業2課の三崎春奈(みさき はるな)課長は励ましの言葉を掛け、何とか切り替えて次の、そしてこれからの仕事に前の通り取り組めるよう気遣ってくれた。

その温かい心遣いを無にしないよう悠太は気持ちを切り替えて仕事に取り組んでいたのだが、「会社に迷惑を掛けた分どこかで取り戻さなくては」と云う気持ちが逆に焦りやオーバーワークを生み、今度は頂いた注文の発送を入れる際に間違って一桁多く注文数を入れるミスをしてしまったのだった。

このミスもすぐ気づいて三崎課長と一緒に納入業者にお詫びに上がったのだが、納入業者側としてもすでにメーカーに大量の仕入依頼を済ませていた後だった事もあって全量取消と云う訳にも行かず、値引きはしてもらったものの仕方なく必要数以上の商品をビューティービーナス側で引き取る事になった。

在庫が増えればその分保管費用もかさむし、消費期限が近づけは処分しなければいけないので原価割れで販売しないといけないケースも出てくる。

それでも何とか無理を言って半数位は悠太の担当のドラッグストアだけでなく営業2課全体の取引先に特売商品として通常よりかなり安い価格で引き取ってもらえたのだがそれでも在庫は結構な数が残ってしまったのだった。

ただ悠太はこんな度重なるミスをしてしまい、悪気はもちろん無いとは言えさすがに落ち込んでしまっていた。

また同じ課でも「悠太がミスしたせいで余計な仕事が増えた」とか「”若手のホープ”とか言われて調子に乗ってるからこんなミスするんだろ?」みたいな陰口を叩く者も居て社内的にも悠太は信頼を無くし、他の社員からよそよそしくされたりするようになっていた。

そんな状態で仕事に身が入る訳もなく悠太の営業成績はあっという間に急降下し、見積もりや発注をする度にビクビクするようになっていた。

また性格や態度が「若いけど明るく素直で真面目」と云う事で顧客に可愛がってもらえてそれが好成績につながっていたのだけど、先方に出向いても自信のなさからおっかなびっくりの対応をするようになっていた事もあり、ついに悠太は営業担当から外され、内勤で補助業務をするようになっていた。

営業から内勤に変わってもミスがトラウマになっているせいかオドオドした気持ちには変わりなく、またそんな悠太を快く思っていないメンバーはあからさまに悠太には仕事を回さないようにしたりしていた事もあって、悠太は課内で孤立しがちになっていた。

悠太もそんな雰囲気を察してか一度三崎課長に辞表を出したのだけど、まだ若い悠太が何かのきっかけで元に戻れるような気がしてその辞表は一旦課長が預かる事になり、課長は課長でなんとかして悠太の再起のきっかけを作ってあげたいと折に触れて思っていた。

ただ会社としても営業担当が1名減っている分他の社員にしわ寄せが行っている事や内勤の補助業務だけで給料を支払うのも人件費や福利厚生費の観点からどうかと云うのもあり、その辺りは三崎課長も管理職として経営陣の考え方も分かるのでとても悩ましく感じていた。

そんな感じで悠太は今日もまた憂鬱な気持ちで内勤をしていた。もう9月も中旬で課内は連休前の忙しさでいっぱいだったが、悠太は蚊帳の外と云った感じで午前中の仕事を済ませ、お昼休みになったがランチを一緒に誘ってくれる人もいないので自分の席で出勤時に買ってきた菓子パンを一つかじるとあとはスマホをあてもなくいじっていた。

「あーあ、俺なんでミスしちゃったんだろう・・・・・。」

ミスした事は済んだことだし考えても仕方ないのだけど、こうして暇な時間になるとつい前の出来事を思い出して萎えた気分になる。

そう思っているうちに昼休みも終わり、午後の仕事に取り掛かろうとしていると外出先から戻ってきた三崎課長が「菊川君、手が空いてるようならちょっといい?。」と悠太に声を掛けた。

「あ、はい・・・・・。」

何だろう?ついにクビになるんだろうか?、いや、でもこの前は出した辞表を課長が預かると言ってたしな・・・・・等々あれこれと想いが頭の中を巡る中で小会議室で待っていると三崎課長がやってきた。

「菊川君、おつかれさま。最近仕事の方はどう?。」

「いえ・・・・・相変わらずです・・・・・。すみません、戦力になれてなくて・・・・・。」

「そうなんだ・・・・・。それでね、ここに呼んだのはあなたにお伝えしたい事があるの。」

そう課長に言われ悠太は少し身構えた。やっぱりクビか・・・・・それか減給とか訓告とかそう言った懲罰関係の事なのか・・・・・そう思い少しうつむき加減になっている悠太に課長はこう告げた。

「実はね、菊川君には来月から長期研修に行ってもらう内示が出たの。」

えっ・・・・・「長期研修」ってなんだ?、課長の口から出たのが意外な言葉だった事もあり少し戸惑ったが、そんな悠太に課長は「長期研修」について説明を始めた。

「うちの会社には瀬戸内海にある小瀬戸島って云う離島に商品の開発や研究を行う施設があるってのは知ってるよね?。」

このビューティービーナスと云う会社は3年前にその小瀬戸島で新しい商品やサプリを開発する研究所を作る大規模開発を行っていて、その件はちょうど悠太がこの会社に入社するタイミングとほぼ同じだった事もあり記憶に残っていた。

そこは研究所だけでなく、サプリの原料となる植物や薬草を栽培する農園や、社員の保養施設・研修施設としてだけでなくお得意先を接待するのにも使えるリゾートホテルのような宿泊施設に、そしてこの会社は女子柔道部や女子レスリング部、女子テコンドー部と云った女子アスリートが所属する体育会系の実業団チームを持っているのだが、その選手たちの活動拠点として合宿所と練習施設も兼ねた色んな施設をこの島に作ったとは聞いていた。

「それでこの小瀬戸島の研修施設に10月1日から6カ月間、菊川君に長期研修と云う事で行ってもらう事になったんだ。私としては正直このまま営業2課で復活のきっかけをつかんでほしいと思ってるの。でも・・・・・・。」

「でも?・・・・・。」

「逆に今のままだと菊川君がいつまでもあの続けてミスをした事を引きづってしまうって云うのもあるように思うし、思い切っていつもと違う場所で環境を変えて営業以外のいろんな他の業務の事も知れば気分も一新してまた新たな気持ちで仕事に臨める気もするから私は悪い話じゃないと思うのね。」

そう言われて悠太は複雑な気持ちになった。確かに課長の言うように環境を変えれば気分一新してまた仕事に戻れるような気もする。
ただ逆に体のいいお払い箱と云うか左遷のような人事のような感じもしていて、ミスをして会社に迷惑を掛けた自分があれこれ言える立場ではないのだけど何とも言えない複雑な気持ちになっていたのだった。

そんな悠太の気持ちを察したのか課長は「大丈夫。これって”異動”じゃなくて”長期研修”で菊川君自体は営業2課に在籍したままだし、菊川君の言わば”リバイバルプラン”的な意味合いの人事だと私は聞いてきたの。菊川君は本当に取引先の皆さんに可愛がってもらっているし、今でも機会あれば菊川君に担当を戻してほしいと思っている人は多いはずよ。だからこの営業2課の業務から環境を変えて今までの仕事とも距離を置いてリフレッシュして再度戻ってきてくれればいいし、そうして欲しい。」と優しい言葉を掛けてくれた。

そう言われて悠太はこの人事がどちらかと云えば左遷や懲罰人事ではない意味合いが大きいと感じ、環境を変えて気分を一新するのも悪くないと云う気持ちになっていた。

「分かりました、課長。僕、その長期研修に行かせていただきますのでよろしくお願いします。」

そう言って悠太はこの長期研修の内示を受ける事にして、そこからの2週間はあれこれ準備に取り掛かっていた。

翌日には早速この小瀬戸島の研修施設を管理している人事部・人材開発課の担当社員から施設や設備の概要と今回の研修の大まかな内容や滞在中の事柄についての説明を受けた。

人材開発課の社員が見せてくれたタブレットに入っている研修所の写真や動画にはのどかな瀬戸内海の風景に溶け込むようにマッチした小洒落た建物とそこにある充実した設備が数多く写っていた。

なんでも本土と唯一の接点が瀬戸内海に浮かぶ小島を巡るフェリーのみで、そのうち朝・昼・夕と1日に3便のみが小瀬戸島に寄港し、しかも日祝は朝・夕の1日2便だけになるとの事だった。

また携帯電話の基地局がこの島にあるのででwifiも携帯電話の電波もしっかりと電話機の画面にアンテナが3本立つ位強力なものだし、光ファイバーやその他電気・水道と云った生活インフラも海底ケーブル等で確保されていて快適な環境であると説明を受けた。

研修期間中は商品開発や素材の開発用に自社の実験農園で育てている薬草やハーブの生産や管理の補助をしながら自社商品についての知識や研鑽を深めたり、滞在中は今までの日常の業務から離れ、あれこれと自分磨きにもつながるような長期研修用プログラムを個々に合わせて組んでいると言われた。

それに今回の長期研修は悠太だけでなく、悠太を含めて計5名の男子社員が参加するとの事で言わば「同期」が居て研修に参加するのが自分一人ではない事で少し安堵した。

一通りの説明を受け、悠太はのどかな瀬戸内海の小島で毎日おだやかな海や行き交う小舟を眺めて暮らしながら、新商品開発を手伝ったり、素材になる薬草やハーブを実際に育てるお手伝いをすれば営業の現場に戻ってからも「この商品の素材になっている薬草って僕が育てたんですよ」と言える。

そんな感じでより説得力のある説明もできるようになれば営業にも役立ちそうだからいいよなと島での研修生活を前向きに捉えるようになっていた。

その頃この長期研修についての人選の報告と大まかな研修プログラムについて社長の藤川 瞳(ふじかわ ひとみ)は秘書の堀江 香菜(ほりえ かな)から報告を受けていた。

「そうなんだ・・・・・。でもなかなかいい人選だし、今回は皆こちらの意向に沿った人材ばかりを集めてくれったって感じね。」

そう対象者のファイルを見ながらつぶやく藤川社長に香菜は「それにしてもこの長期研修制度は社長もよく思いつかれましたよね。すばらしいシステムだといつも感心しております。」と言う。

「そう?。自分でも社員の”リカバリー”や”リバイバル”としては思い切った内容だとは思うけど、人には適材適所と云うものがある訳で、ジェンダーフリーの観点からもこの長期研修で”女子化”してもらう事は確かに手間暇や費用はかかるけど結局会社にとっても本人にとってもいい事だと私は思ってるし実際そうなのよね。」

とうそぶくようにいたずらっぽく微笑みを浮かべながら藤川社長は言い、そして「香菜さんはそう言えばこの長期研修の第一期生だったわよね。でも頑張って研修を経て”女子化”して女性社員になって、今ではこうして私の秘書を務めてくれてるんだから大したものよ。」と続けた。

そう言われた香菜は少々恥ずかしそうに「そんな滅相もございません。確かにこの長期研修は最初の頃は慣れない事ばかりで大変でしたけど、皆さんのご助力やご支援もありまして段々と自分が”女子化”していく事が楽しくなってきましたし、無事に研修を終えて女子社員として再スタートを切る事もできて、今は毎日が充実していますから本当に”女子化”してよかったと思っております。ですから私を”女子化”させてくださった小瀬戸島の研修所と藤川社長をはじめとした研修に関わっていただいた皆様には感謝の言葉しかございません。」と言うのだった。

この「女子化」がどういう事なのか、今の時点では本人はもちろん直属の上司も知らず、限られたごく一部の関係者だけが知っている極秘のプログラムだった。

そしてその極秘のプログラムがどういうものなのか知らずに悠太はじめその他のこの長期研修に選ばれた社員たちは間もなく始まる瀬戸内海に浮かぶ離島でのその穏やかな雰囲気とは正反対な精神的にも内容的にもハードな研修に向けて準備を進めていたのだった。

(つづく)









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