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ひらがなエッセイ #37 【ゆ】

    奥深く静かな竹藪の事を【幽篁(ゆうこう)】と言う。私は、夏目漱石先生の「草枕」という本の中で引用されていた王維の「竹里館」という漢詩に出会い、この言葉を知った。酩酊状態で、知らず知らずにブツブツと暗唱していた過去がある程、とても好きな漢詩である。


独坐幽篁裏 ひとりざすゆうこうのうち
弾琴復長嘯 ことをだんじてまたちょうしょうす
深林人不知 しんりんひとしらず
明月来相照 めいげつきたりてあいてらす

 (現代訳)私はただ独り、奥深い竹藪の中にある座敷に坐り、琴をひいたり、詩を吟じたりしている。この奥深い竹林では人に知られる事も無い。ただ、明るく輝く月だけが、私の事を知っていて、私を照らしてくれているのだ。


    「竹里館」とは王維の別荘の事である。金持ちの道楽、と言ってしまえばそれまでなんだが、私はこのタイプの金持ちは好きである。本当の私を理解してくれるのは自然だけなのアピール、良いじゃないか、その痛さが心地良い。近代の研究家からは「高人であるが、凡人であった。」と評価されている所も愛おしい。同じような自然の美しさと孤独を書いた柳宗元の「江雪(こうせつ)」を読んでもらえると王維の悲しさがより一層色濃く映るだろう。


千山鳥飛絶  せんざんとりとぶことたえ
万径人蹤滅  ばんけいじんしょうめっす
孤舟蓑笠翁  こしゅうさりゅうのおう
独釣寒江雪  ひとりつるかんこうのゆき

(現代訳)すべての山から鳥の飛ぶ姿が消え、
多くの小道は、人の足あとが消えてしまった。 
川の上で一艘の小舟に、蓑(みの)と笠(かさ)をつけた老人が独り、雪の降りしきる寒々とした川面に釣り糸を垂れている。


    ザ・漢詩である。これこれ、この美しさ。この景色は実景なのか心象風景なのかを考えさせてくれる余白があり、読む者の知識や経験によって捉え方が変わる。老人になったり、それをみている男になったり、そんな事をぼんやりと考えている人にだってなれるんだ。悲しく孤独で、それでいて美しい。

    ただ、初めて見た物を親と思う刷り込み現象と言うのか何と言うのか、私は王維のオレオレアピールがやはり好きなのである。王維も沢山の詩を残した。紹介してたらキリが無いが、歴史に名を残すぐらいだから、素敵な作品は沢山ある。漢詩は面白いよ【幽篁(ゆうこう)】素敵な言葉じゃないか。最後に名誉挽回をかけて王維の傑作を載せておこう。私がただそう思っているだけなんだが。あははは。


    酌酒與裴迪 (さけをくんではいてきにあとう)

    *裴迪(はいてき)→ 王維の親友

酌酒与君君自寛 人情飜覆似波瀾 白首相知猶按剣 朱門先達笑弾冠 草色全経細雨湿 花枝欲動春風寒 
世事浮雲何足問 不如高臥且加食 

(現代訳)酒を酌み君にさしあげよう。まあ一杯飲んで、気分を落ち着かせようか。世間の人情はまるで波のように、くるりとひっくり返る。白髪頭になるまで付き合った友人でも、ひとたび何かあると剣を持って殺し合い、出世した先輩達も昔の友人が下らない仕事をしているのを見るとあざけり笑う有様だ。自然界でも雑草が春雨によって湿い青々と色づいているのに、枝の花が開こうとするには春風が冷たい。まぁ、世間のことは浮き雲のようにあてにならないって事さ。だから心安らかに枕を高くして寝そべり、うまいものでも食べようじゃないか。


    調べてみると、「現実逃避」だと評価されているらしい。とほほ。

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