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生きてるだけで幸せ「だった」

子どもを産んで人生観が変わった話。



生きてるだけで幸せ

高校生で始まった離人症が収まった大学生の頃から、ずっとそう感じていた。
辛い事も悲しい事も、それを感じられることが幸せ。
些細な事にも喜びを感じて、周りの人への感謝を抱いて、日々生きていた。

離人症の頃、頭の後ろ斜め上に自分の意識があった。「人は自分の世界をそれぞれ自分の中に持っていて、私は自分の世界から頭が飛び出てしまった」と感じていた。
その経験から、「自分が幸せだと信じれば自分の世界は幸せになる」と分かって、それが「生きてるだけで幸せ」の感覚を与えてくれた。

明日死んでも良かった。
全力で今現在の自分を味わっていた。

もともと非アクティブな性格なので、何かをしたりどこかへ行ったりする事は少なかったが、本気でやりたいと思ったことはやった。後悔することもあったが、後悔するところまで含めて「やれてよかった、幸せ」だった。



子どもが産まれて、育てていくうちに、いつの間にか「生きてるだけで幸せ」とは思えなくなっていた。


思えば、私の「生きてるだけで幸せ」は、ゴールがいつも「今」だった。
過去から今まで観測した時、今私が生きてる事が幸せだね、何かを感じてることが幸せだね、幸せだと思える事が幸せだね、と。
だって極論、自分さえよければ良かったから。

だけど子どもが産まれたら、子どもの将来を常に考えるようになって、「今」が通過点になった。
過去から現在までの行為が、未来を作る。
人生が、2Dから3Dになった。


例えば、私が子どもと公園にいる時にスマホを眺めていたら、それが要因で事故が起きるかもしれない。
例えば、私が子どもの歯磨きを適当にさぼっていたら、それが要因で虫歯だらけになるかもしれない。
例えば、私が子どものご飯に毎回菓子パンを出していたら、それが要因で生活習慣病になるかもしれない。
例えば、私が子どもの話を目を見て聞かずにいれば、それが要因で性格が捻じれてしまうかもしれない。
例えば、私が子どもの学費を貯めずに生活費を回していたら、それが要因で進学できないかもしれない。

ある程度の年齢になるまでは、親の行為が子どもの未来を決める要因になり得る。

全ての行為が、子どもの未来を見据えたものに変わっていく。

2Dだった頃は、結局自分を愛することが出来ていなかったのだと今なら分かる。3Dになったのは、愛する存在の幸せを願うからこそだ。
この子の世界を幸せにしたい。そう思いながら生きる毎日の、なんと刺激的で、なんと趣深いことか。

しかし、3Dの人生を生きるようになったら、「生きてるだけで幸せ」の感覚が無くなってしまった。

子どもと一緒にいる事で感じる幸せは常にある。でも、以前感じていた幸せとは全く違う。あの頃の、世界が輝いていて、常に満ち足りている、そんな感覚を失ってしまった。

いつだって、不安があって、不満があって、報われてないと感じるようになってしまった。

例えば、眠る子どもの呼吸が止まっていないかという不安。
例えば、道路を往く子どもが車とぶつからないかという不安。
例えば、私の一言が子どもの心に悪い影響を落とさないかという不安。
例えば、除ききれなかった魚の骨が喉に刺さらないかという不安。
赤子から幼児の頃は特にではなかろうか。些細な事にも不安がつのる。

不満や報われなさについては、子どもを産んだから…というよりも、結婚したから、の方が正しいかもしれない。
夫実家の状況がかなり特殊で、夫実家の負担をかなり請け負ったことで精神的にも金銭的にも逼迫した。それを2回の出産・育児と併行していた。

最初は辛いと思っても「一度下がったら上がるだけ」と思って耐えていたけれど、いわゆるパーソナリティ障害の人達に寄生されている状態だった上、子どもに被害が及ぶことを避けられなかったりもして、自分の無力さにも腹が立ったし、何度説明しても言葉が通じない相手にも腹が立ったし、全部私の責任にしてくる夫にも腹が立ったしで、不満だらけだったし、報われないことだらけだった。

なんとか問題の相手と物理的距離を取ることに成功し、夫の意識改革に(全然進まないけど)取り組んで、最近はやっと心から笑えるようになった。

やっと、3Dになった人生に落ち着いて向き合えるようになってきた。
(夫両親がこさえた約2000万円の借金を私が負っているという現実には向き合いたくないけど)


3Dの人生で「生きてるだけで幸せ」を感じるには、どうすれば良いのだろう。
ふとそう思ってこの記事を書いてきたけど、別に「生きてるだけで幸せ」を感じなくても良いんじゃないかと思えてきた。だって私、子どもが私の作ったご飯食べてくれるだけで幸せだもん。おまけに「今日のご飯めっっっっちゃおいしい」「ママのご飯が一番おいしい」ってしょっちゅう言ってくれるし。
言うと私が喜ぶの知ってるから、言ってくれるの。その気持ちが嬉しい。

それもあと何年続いてくれるのやら…長男は来年小学生になるんだけど、様々な刺激を受けて人格が形成されていく重要な時期を過ごす我が子を見守れる、それもまた一つの幸せ。
だから子どもって本当に、産まれた瞬間に親孝行終わってるレベルでたくさんの幸せをくれている。

愛する子どもたちの成長を傍で見てゆく未来がある。子どもたちの未来までひっくるめて愛している。
3Dの人生には、「その先」がある。




生きてるだけで幸せだった。

今は、生きていくのが幸せ。


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