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ビジネスにおける「詰める」という文化

「詰める」文化の最先端を行く、銀行出身の川原です。今日は「詰める」という文化について少しお話ししたいと思います。

ビジネスにおける「詰める」という言葉は、不自由な2択を迫ることで、主に自分より下の立場の人間を追い込む行為を指します。コンサルの業界では「焼く」というようです。(「詰める 焼く」と検索すると、ピーマンの肉詰めのレシピが出てきますw)

「詰める」の言葉の意味

まずは日本語的な意味ですが、「詰める」という言葉は、すき間なくぎっしり入れるという意味の他、「丈を詰める」等、短くするという意味合いも持つ言葉です。

また、将棋では王手から逃げるすべのない状態を指したり、任侠の世界では「指を詰める」なんて言葉もありますね。

その他にも、「生活を切り詰める」「議論を詰める」等、様々な使い方のある言葉です。

その中でも、ビジネスにおける「詰める」は、「詰問」や「詰責」といった言葉にもわかるように、責めて追い込み、逃げ場のない状態を作ることを指します。

「詰める」ことで起こること

私は、「詰める」という文化は、まったく建設的でなく、生産性を下げる行為だと考えています。

「詰める」という行為は、凡ミスを生み出すのです。こちらのコラムで「詰める」が生む凡ミスについて語りましたので、ご参考までに・・・。

私が見てきた「詰める」上司

私が銀行員時代に見てきた詰める上司のほとんどが、実力が無く、顧客折衝があまりにも下手な人たちばかりでした。

そういった人たちが唯一権威を発揮できるのは、社内会議の場です。そこでは、自分でできもしないことを「なんでできないの?」「いつできるの?」などと強い語調で責めたて、不自由な2択を迫るのです。当然、何も建設的でないので、その会議で何か生まれることはありません。

また、社内の稟議で細かいミスを見つけると、これ見よがしに指摘し「なんでこんなミスするの?」「ここは間違いないでしょ」とまた責めたてるのです。もちろん、ミスは指摘されてしかるべきですが、こういう人は、自分のミスは認めないし、人のミスに不要なほど責めるのです。

上記で紹介のコラムにある通り、「詰める」行為で圧をかけると、人間の脳はより委縮し、能力を発揮できず、よりミスが増えます。そして、また詰められ・・・と悪循環にハマっていくのです。

(幸い(?)私は空気が読めないので、「〇〇次長もこの前ここミスってましたけどね」とか平気で言ってしまうので、委縮はしないものの、現場では干されてました・・・)

詰められている方へ

詰められて精神や脳に支障をきたすパターンにおいては、過度に自責を強要される場合が殆どです。

基本的には、誰もがわかる非生産的な行為を行っている「詰める」上司やクライアントを、憐みの目で対応してあげて、内心では「かわいそうだなぁ」くらいに思いながら生活してください。

自責にすることはビジネスにおいて重要ですが、交通事故と一緒で、100%自分だけのせいなんてことは、殆どないのですから。

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