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越後路

 トンネルを抜けても、そこは雪国ではなくて、若葉薫る緑の田園だった。新潟の街に城は無い。初めにそのことは言っておかなければならなくて、大概の向きは県庁のある街には城があるものだと思っているから、新潟の街を見渡しても天守閣など見当たらなくて、きっと戦争で焼け落ちたのだと考えたところで無理はない。もっとも、城の無い県庁所在地というのは他に幾らもあって、例えば長野は善光寺のお膝下で賑わった門前町で、神戸は言うまでもなく平清盛が開いた港町である。だから、新潟に城が無くても驚くことはなくて、こちらは日本海を往来する北前船の寄港地、また信濃川と阿賀野川という二つの大河を擁する水運で繁盛した街であって、実際、市は新潟をして「水の都」と称している。だから必然、ヴェニスの商人ならぬ新潟の商人が多くつどって、商都というのは「もてなし」の街でもある訳だから、新潟もまた、芸妓げいぎの文化が発達して、今も市内の古町ふるまち界隈には、伝統的な商家が立ち並び、僅かながら茶屋の営みも残されている。古来、芸妓を指して「花柳かりゅう」と言い、花(=紅)も柳(=緑)も美しさの代名詞であったことから、そう呼び慣わされて、新潟には、先にも言った「水の都」の他、「柳都りゅうと」の雅号もまた冠している風流な街である。

 その古町の中でも、とりわけ「鍋茶屋」は歴史のある茶屋の一つで、創業は一八四六年というから幕末、まだ黒船の姿も見えず、井伊直弼がぴんぴん生きていた頃の話である。茶屋と言っても、道端で団子を売っているような東屋あずまやのようなものではなくて、いわゆる料理茶屋から発達した料亭のことであって、新潟の他、京都の祇園、金沢の茶屋街(ひがし、にし、主計町)などが、よく知られて、今も芸妓や舞子を夜の街で見掛けることがある。それで新潟の鍋茶屋の敷地には「光琳こうりん」という別棟の料理屋が営まれていて、こちらの個室になっている座敷は独りでも使わせてくれるから、東京から二時間かけても、その柳都のおもむきを味わう為に訪れるだけの価値がある。古町は新潟の駅から信濃川を渡った先、城の無い街であることは先にも言った通りで、その代わりという訳ではないけれども、総鎮守である白山神社の由緒ある神域を擁し、その門前に延びているのが古町である。幸い、新潟は京都と同じく原子爆弾を落とす標的に選ばれていたものだから、米軍がその効果(被害)のほどを正確に測る為に日常的な空襲を行わなかった、だから今も江戸時代の街並みが奇跡的に残されている稀有な都市である。

 古町の路地にひっそりと屋号を掲げる、隠れ家のような門構えの鍋茶屋の座敷は広くて、ゆうに十二畳と叩きのある部屋を独りで使わせてもらうのだから、それだけで有り難い心意気なのだけれど、つつがなく丁寧な所作で供される料理とて、山海の珍味佳肴に旬のものなどを加えて、心尽くしの膳が眼にも舌にも鮮やかで、同じ越後の水で造られた朝日酒造謹製「鍋茶屋限定」の吟醸酒が良く合うことは言うまでもない。障子の先から庭の緑が奥ゆかしく覗き、今は冬の間の豪雪の面影も無く、穏やかな春の陽射しと静けさが、この一室を真空に置かれた一個の器のようにも感じさせて、手酌が進むほどに時間を忘れ、否、時間の存在すら意識から消え失せて、座敷の膳と共に身体が浮遊しているような気持ちになって来る。古来、多くの文人墨客に愛されたという鍋茶屋百年の空気によるものか、あるいは当地の銘酒の為せる技か、唐代の詩人よろしく、春眠を誘う夢心地の悦楽がここにはある。越後新潟は天下の米処にして三国山脈から湧き出る清流の為に、畢竟ひっきょう、酒も旨いはずで、鍋茶屋を辞して向かった先、市内の蔵元の造る「今代司いまよつかさ」もまた、その味を知る酒客に愛されて来た銘酒の一つである。旅の目的の一つでもあった酒蔵見学をひとしきり終えて、試飲で頂いた造り立ての大吟醸は、口に含んでまるく滑らか、喉越しに後を残さぬ、誠に引き際の美しい酒である。

 駆け足で巡るような旅でなく、街の歴史に肌で触れ、ゆったりと寛がせてくれる店を選んで、地場の産物と地元の酒を身体の中へと取り込み、ガイドブックや案内板のような「外側」からの知識を覚えるのではなく、「内側」からその街を消化する、そういう旅を心掛けていて、気が付けば、蔵元を出た頃には、もう陽が沈みかけていた。柑橘色に輝く新潟駅のホームにゆっくりと入線して来る新幹線には、上り最後尾の十二号車に「グランクラス」が連結されていて、北陸新幹線のような軽食とアルコールのサービスこそ省かれてはいるものの、独り掛けの座席で気兼ねなく寛ぐことが出来る贅沢な車両である。だから、帰途は少し奮発して、そのグランクラスで過ごすことにして、予め弁当屋に頼んで売店に取り置いてもらった「えび千両ちらし」を肴に、蔵元土産の「今代司」の小瓶を手酌で愉しむ時間となる。上越新幹線の行程の半分はトンネルである。とりわけ、長岡から高崎までは長いトンネルの連続で、まるで地下鉄に乗っているようなものだから、視界いっぱいに田が広がる越後平野に別れを告げれば、後は車中の杯に集中出来るというもので、ただただ一心に、東京へ向けてトンネルの暗闇を疾駆する列車の振動に身を委ねて、また杯を重ね、鍋茶屋の座敷とはまた違った真空を錯覚する。「えび千両ちらし」は、人気の凝った弁当で、一面に敷き詰められた玉子焼きで、自慢の具材を隠しているものだから、玉子焼きをめくって宝探しをするような愉しみがあって、実際、肝心の具材も、海老はもとより、鰻だの、小肌だのが、ぎっしりと昆布飯の上に載って、かれこれ二十年以上の歴史を持った新潟の名物駅弁の一つである。

 巨大な三国山脈の山懐を掘り進めて繋げた幾つものトンネルを抜けた先には、広大な関東平野が待っていて、高崎へ着く頃には、すっかり夜になっていた。どこまでも続く田園を見晴るかす昼の車窓も良いものだけれど、宵闇の中、仄かに明滅する人家の明かりが次々と後方へと流れてゆく夜景もまた良いもので、「今代司」の酔魔も手伝い、どこか銀河の中を駆け抜けているような気がして来る。このまま、グランクラスに乗って、今日という日を、いつまでも、どこまでも、走り続けることは出来ないだろうか。そんな終わらない旅を夢見ながら、また一つ、家の明かりが車窓の端へと消えて行く。戸田の橋梁を渡れば、そこはもう東京という名の現実である。

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