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日記(『ゆきゆきて、神軍』、『ドキュメント ゆきゆきて、神軍』、『楽園とは探偵の不在なり』)

本業が燃えており、現実逃避です。サムネは『天気の子』巡礼の様子です。あと2日早かったら完璧だった(最後の1日は8月22日の設定だったはず)。

原一男『ゆきゆきて、神軍』(1987)

創元SF短編賞ドキュメンタリー部というものがある。いや嘘ない。ないのだが、3回大森望賞の皆月蒼葉さん・9回大森望賞の織戸久貴さん・10回宮内悠介賞の千葉集さんとの4人で定期的に開く集まりがそう呼ばれている。ドキドキドキュメンタリー部とかでもいい気がする。
その辺の間で先週ごろ局所的に話題になったのが『ゆきゆきて、神軍』である。アップリンク系列で再上映されてるのだ。映画および奥崎謙三のWikipediaは観ないように。雑なあらすじで一番面白いネタバレをサクッと書いててマジで良くない。詳細をがっつり書いてるのに致命的なネタバレが皆無な『ブレイキング・バッド』のWikipediaを見習ってほしい。

1987年に公開されたこの映画は、パプアニューギニアで生き残った日本陸軍兵、奥崎謙三の行動を逐一追う話だ。とにかくアクが強い。結婚式の仲人役として挨拶する際に花婿が前科一犯・奥崎自身が傷害致死を含めた前科三犯(獄中生活13年半)であるというインパクトのあるあいさつを決め、屋外でのお祝いの背後に映るのは「田中角栄を殺す」と書かれた街宣車。「いまからやべえことが起こる」と一発でわかる鮮烈な冒頭である。
天皇の戦争責任を説いて昭和天皇に向けてパチンコ玉を撃つといった事件に代表されるアナーキーな奥崎は、自らを神の法にしたがう神軍平等兵と称して人の法を無視していく。彼は、かつてパプアニューギニアで敗戦後に起きた旧陸軍のリンチ処刑事件について、その被害者遺族の方と一緒に処刑を実行した生き残りの陸軍兵たちの元に突撃していく…。
後半になると撮影陣のなかから離脱者が出たり、謎めいた奥崎の行動の裏に存在する動機が明かされたり等、ただインパクトがあるだけではない、観てて面白い「ストーリー展開」が用意されている。そしてあの衝撃のラストである。警察を無視し暴力も辞さない彼の行動に観ている間中度肝を抜かされつづけた。「コワすぎ!シリーズがドキュメンタリーで展開されてる」と言えばわかる人にはこの衝撃が伝わるかもしれない。あと、ラストの展開のあとにあのカット持ってくるのはすげえと思う。

原一男『ドキュメント ゆきゆきて、神軍』増補版(2018)

さて、この映画を観たのはアップリンク吉祥寺でのことだが、そのときたまたま原一男監督のトークショーが上映後に行われていた。奥崎謙三生誕百周年ということでトークショーつきの上映だったのだ。
30分程度のトークショーで語られたのは、ヤバい映画と同じくらいにやべえ、撮影時の裏話である。映画にもある、奥崎が元陸軍兵に殴りかかった結果取り押さえられてネクタイを締め上げられた事件で原監督が奥崎を助けずカメラを回し続けた為奥崎の信用を損ないあわや撮影中止直前にまで話が発展したこと、奥崎を宥めるために奥崎のかっこいいシーンを抜粋したフィルムを作って奥崎に観せたこと、それに感動した奥崎が監督に「ある申し出」をしたこと、それを聞いた監督の妻が泣きながら一晩かけてその申し出を拒否したこと…そういうインパクトのある話がポンポン監督の口から飛び出てくるのである。その上、トークショーは30分しかないので監督曰わく
「いま話した内容はほんのわずか。全容はこの本に書きました」
と宣伝されたのが『ドキュメント ゆきゆきて、神軍』なわけです。買うしかないじゃないですか。すぐに物販コーナーに行って買いました。サインももらった。

『ドキュメント ゆきゆきて、神軍』は、映画の裏で起こっていた、フィルムに収められなかった様々な出来事を語ったものである。フィルムに映ってるのは「奥崎の信念に基づいた言動」なのだが、この本に書かれてるのは「映画で語られなかった、奥崎の言動」だ。変に芯の通ってるように見えた言動の裏側にあった、奥崎の(原監督に対する)非常識な言動が、困惑4割・怒り3割(原監督の不満も多少反映されたのか)面白おかしさ3割の案配で語られる。映画では実現しなかったパプアニューギニア編(フィルムをパプアニューギニア当局に没収された)の顛末が語られるなど、貴重な一次情報ががんがん語られる。
奥崎の人間として破綻した部分・奥崎の自己顕示欲、その合間に顔を覗かせる奥崎の人間的な側面。それらが明かされることで、この本は『ゆきゆきて、神軍』の物語を解体している。そして、その中で(原一男のドキュメンタリールポルタージュ」という新しいドキュメンタリーが成立しているのである。
個人的に一番好きなのはここ。

小林と奥崎のことについてあれこれ話してた時のこと。ハタと気がついた。気がついてギョッとしたのだ。オレたちが今、撮ってる相手は、犯罪者だったんだ! しかも、確信犯!

出先で読んでたけど外でも笑いがこらえられなかった(ここでの笑いは現実に耐えられなくて漏れるやつ)。
この、犯罪者を撮るなかで制作者自身が被写体に飲み込まれていこうとする過程に困惑し、価値判断が揺らいでいくことの衝撃を、この本は克明に描いている。
観る側としても実感することが多いんだけど、ドキュメンタリーって現実に起きてることなんですよ。この本は制作側の話だけど、個人的には観る側も「ここで描かれてることは現実に起きた話」ということから逃れられない。この映画の制作側なら「犯罪者と関わる(犯罪者の行動を容認してそれを撮る)」ことだと思うし、視聴者としては「現実に起きてる、犯罪だったり他人の不幸だったりを観て楽しむ(消費する)」ことから逃れられないし、無視しちゃいけないと思うんです。そういった意味で、この本は原監督が被写体と関わった中で感じた困惑や怒り、そして撮ることへの躊躇いを克明に描いてる。奥崎のきれいな面を切り取って生まれた衝撃的な作品の裏に、こういった生々しい描写や葛藤を描いた本があることはものすごく誠実だと思う(まあ、それでも『本書における奥崎の描写は撮らせてもらった立場として書くべきでないライン超えてない?気持ちはわかるが…』とは思う。めっちゃ迷惑こうむったのがよくわかるし、その分原監督のやるせない感情が伝わってくるのだけど)。
すごく良いドキュメンタリー体験だった。

斜線堂有紀『楽園とは探偵の不在なり』(2020)

数日前に発売したばっかりのはず。今日三省堂書店池袋店に行ったらサイン本が売ってた。明日の朝イチくらいならまだあると思う。

新宿紀伊国屋に寄ったらエレベータ前ででっかくディスプレイしてた。

「天使」(という名からは想像しがたい、翼を持った人型の化け物)が突然世界中に現れ、「人を2人殺した者」を問答無用で地獄に連れて行ってしまうようになった世界。未解決の連続殺人は(犯人が死ぬので)問答無用でなくなった中でかろうじて探偵業を営む主人公は、ある事件がきっかけで天使を崇拝する大富豪が所有する孤島の館に招かれる。そしてその場所で、本来なら起きるはずのない連続殺人事件が発生するのであった…。

本の冒頭に建物の見取り図が載ってるだけで「すごい!本格ミステリだ!」と思ってしまうくらいミステリの経験値がない人間なので、ファンタジー的設定のなかで本格ミステリーが展開されたことにまず度肝を抜かれたのだが、それ以上に「未解決の殺人事件がほとんどなくなった世界における『探偵』の存在意義とはなにか」ということを問いかけ続けてるのがツボだった。前提設定をミステリ的にだけでなく物語・キャラクター的に活かして描いてて、そこで描かれた物語にハマってしまった。ええで。

年齢が近かったりTwitterで相互フォローだったりする相手に対して義理で誉めたりしないようにしてるので(ステマっぽくて嫌い)、これは純粋に面白かったと思ってもらって構いません。

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