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江戸の離婚「三行半」に関する大きな誤解

日本はずっと男尊女卑だと勘違いしている人多いんですが、そんなことはないんです。武士階級はいざ知らず、人口の9割を占めた江戸時代の庶民はきわめて男女対等でした。

そもそも夫婦共働きは当たり前だし、夫婦別財だったし。

例えば、離婚の際の「三行半」ってありますよね?

あれ、夫が妻に一方的に突き付けたものだと誤解していませんか?

いやいや、むしろ、愛想つかした妻の方から「さっさと三行半、寄こしな」と言われていたのかもしれないんです。

そんな記事書きました。ぜひご一読ください。オチありです。



こういうの書くと、決まって「何もわかってないね!江戸時代は三従七去という言葉がある通り、男女対等ではなかった」とかいうのが来るんですが、わかってないのはそっちだと言いたい。

三従とは、「家に在(あ)りては父に従い、人に適(とつ)ぎては夫に従い、夫死しては子に従う」というように、女性の自主性を抑圧する教えです。

七去とは、夫が妻に対する離婚権を認めた決まりで「父母に不従順、子無し、淫乱(いんらん)、嫉妬(しっと)、悪疾もち、多言、窃盗(せっとう)」のいずれかに当たれば離婚できたというもの。

江戸時代、確かに貝原益軒による「女大学」でもそのような教えがある。いわゆる儒教の教え。

でもね、それって大体武家の子女が習う学校での話。さっきも書いた通り、江戸時代は人口の9割は庶民です。庶民にとって儒教とか知ったこっちゃねーわけですよ。

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いやいや、だって縁切寺とかあったじゃん。あれって、やっぱり夫の力が強くて妻はそういうところに逃げ込むしかなかったんでしょ?

違います。離婚は男女対等で話し合いで決められるものですが、いつの時代もストーカーチックな男はいるもんです。妻が別れたいと言っても、ストーカー旦那が認めなかったらどうなります?妻は我慢したんですか?

しません。縁切寺に駆け込めば、今でいう訴訟ができたんです。たとえ訴えられなくても、そのまま3年くらい別居したら、夫の承諾なくてもそれで離縁できたんですね。

そういうための仕組みであって、別にか弱い女性のためのものということでもない。

男尊女卑的になったのは、ひとえに明治民法のせいです。それについてはこちらに書きましたのでご興味あれば。


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