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【大内家の野望 新生】 第17話:濃尾平野制圧戦 〜大府の戦い

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メールマガジン『ビジネス発想源 Special』にて約8年、400回にわたって連載し、AmazonのKindleストアで多く電子書籍化もされている、歴史から経営やマーケティングのヒントを学ぶビジネスコンテンツ『歴史発想源』

今年7月に新発売となったコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲーム『信長の野望 新生』を使って、その第1章「大内二代篇」の状況から天下統一を目指す番外篇「大内家の野望 新生」を連載しています。

・コーエーテクモゲームス『信長の野望 新生』

・前回の「大内家の野望 新生」第16話

▼第17話:濃尾平野制圧戦 〜大府の戦い


■大内軍と今川軍との激突「春部の戦い」

毛利家織田家武田家と強豪大名を倒し続けて東日本へと覇を広げた大内家が次に戦うのは、今川家金山城(岐阜県可児市)に大内家の同盟勢力の長尾家が攻め込んだことで、今川家が持つ濃尾平野の諸城の兵が防衛のために金山城に集結していく。

長尾家に攻められる金山城に、濃尾諸城の兵が集結。

その隙を狙って、城兵が少なくなった犬山城(愛知県犬山市)、清洲城(愛知県清須市)などに、中日本の各城からかき集めた兵を進軍させる。敵が防衛に集められる総兵力は約5万。こちらもそれぐらいの兵数で行く。

犬山城に約23000の大内軍が進軍。同時に……
清洲城にも約33000の兵を向ける。大規模遠征だ。
濃尾平野はたちまち大混戦に。

金山城、犬山城、清洲城と今川家の北限の3城を同時に攻めたことで、今川家も慌てて領内のあちこちから兵を工面して送ってくる。全面戦争だ。すると……。

駿河館からついに今川義元が動いた!

北方の防衛のために、東の駿河国(静岡県)の諸城からも兵を回してきた。本城・駿河館(静岡県静岡市)にいる当主・今川義元もついに、大軍を率いて城を出て尾張国へ向かう。これで、攻め取ったばかりで兵数の少ない甲斐国(山梨県)に攻め込まれる心配が少し減ったぞ。

今川軍と春部で対決だ。敵の総大将は朝比奈泰朝だ。

当主・大内義尊自ら清洲城攻めに向かうと、今川家家臣・朝比奈泰朝が率いる軍勢と清洲城下の春部(かすかべ)で遭遇。「春部の戦い」開戦だっ。

相手は7部隊でこちらは8部隊。でも本多忠勝がいるなあ。

朝比奈泰朝率いる今川軍は7部隊で兵力35098。対して大内義尊率いる大内軍は8部隊で兵力49485とやや優勢だ。どちらも部隊数が多いので、うまく戦術を使わなければならない。しかも相手には、東国無双の猛将・本多忠勝がいるという。

うまく要所を獲得して有利に展開していかなければならない。

部隊数が1つでも多いのはかなりの利点だ。左右に展開し、中央の崖上も急いで攻略しなければ。相手は団子状になっていて歩みが遅いようだぞ。バラバラに動くぜ。

本多忠勝隊は前後から「挟撃」で乗り切る。

本多忠勝は武勇98、上杉謙信・真田幸村に次いで立花宗茂と並ぶ全国3位の武勇値を誇る猛将だ。正面からあたっては大ダメージを喰らってしまう。そこでうまく林道に誘い込んで、前後から挟撃だ。両側からの攻撃はかなりの被害を与えられる。

大内義尊軍が見事に勝利。部隊数が多いのは強い。

とてつもなく強い本多忠勝隊はなんとか挟撃で足止めし、その間に後方の退き口を2つとも破壊、さらに総大将の朝比奈泰朝の部隊も徹底的に壊滅し、大内軍の大勝利に終わった。死者は今川軍が大内軍の4倍以上という大損害となったようだ。

威風が発生。続々と今川家の支配地が寝返ってくる。

今川家の大軍を破ったことで「威風」が発生。越後国の長尾景虎は「今川家に勝利したと!?」と驚き、大内家への信頼度アップ。さらに、今川家の支配下にある12もの郡が大内家に寝返ってきた。これは大きいぞ。

城の周りの郡が降伏し、周囲の今川軍も撤退している。

この「威風」によって、清洲城だけでなく那古野城(愛知県名古屋市)の周囲の郡が降伏してきたから、両城への道筋ができてしまった。しかも、周囲に大量にいた今川軍もかなり後方に撤退してしまっている。つまりビビったわけだ。よし、ここから一気に濃尾平野を支配する!

大浦為信「金山城を制してみせましたぞ」

長尾景虎が攻めてくれていた金山城。長尾軍が退却した後、大浦為信隊と黒田官兵衛隊が合計27000の大軍で攻め落とした。

濃尾平野には城が集中している。一気に攻め上がる。

清洲城、那古野城、犬山城、さらには鳴海城(愛知県名古屋市)にも一斉に兵を向ける。今川軍も今川義元本隊が向かってくるほどに濃尾に兵を集めている。「信長の野望」はゲーム名どおり織田信長が主役だからなのか、濃尾平野にはたくさんの城がある。それらを全て同時に攻める。

大内義尊本隊が清洲城を落とした。
清水宗治隊も犬山城を攻め落とす。

清洲城、そして犬山城と濃尾平野の諸城をほぼ同時に攻め落とした。これで濃尾平野内で残すは那古野城と鳴海城という名古屋市内の2城だけだ。ここで、今川領の東方の様子を見てみると……。

尾張国に兵を回しすぎて、どの城も守備兵が少ない。

今川義元の本城である駿府館(静岡県静岡市)には1260、興国寺城(静岡県沼津市)には720、蒲原城(静岡市清水区)には198しか城兵がおらず、二俣城(静岡県浜松市)に至っては城兵が0だ。完全に東国から西へと兵を回しすぎている。これは静岡県一帯も攻め時だ。

甲斐国・上州の諸城の兵16000を、蒲原城へと差し向ける。
信濃国の諸城の兵30000を集めて、二俣城へと進軍だ。

甲州・上州の兵16000を集めて蒲原城、信州の兵30000を集めて二俣城へと進軍させる。今川家の本拠・駿府館の両側の城から攻め取る算段だ。

長篠城には美濃国や能登国からも27000の兵を投入。

さらには容赦なく、長篠城(愛知県新庄市)へ美濃国や能登国などの兵27000を向かわせる。東国へ戻る前に長篠城の救援に向かうだろう。

■尾張国を平定し、さらに三河国へと進出

三好長慶「皆喜べ、鳴海城を攻め落としたぞ!」

諸城への一斉攻撃で動揺したのか、鳴海城が三好長慶隊によってあっさりと陥落。今川軍は残る那古野城に兵を集中させて防衛している。

大内義尊vs酒井忠次、「愛知の戦い」開戦

名護屋城に集まっていた酒井忠次を総大将とする今川軍が、大内義尊本隊に戦いを挑んできた。「愛知の戦い」の開幕だ。兵数は40000と14000、部隊数に至っては12部隊と2部隊というかなりの兵力差。今川軍が優勢だぞ。

相手は2部隊しかいない。どちらも挟撃でボコボコに。

部隊数の差が勝敗を決める。酒井忠次隊は1隊で11000を持つ大軍だが、2隊しかいなければ展開のしようがない。大内軍は2隊どちらも挟撃で挟み込んで大打撃を加える。

「愛知の戦い」、大内義尊軍の圧勝。

酒井忠次は今川軍の中でもかなりの名将だが、圧倒的な兵力差の前にはなす術もなく、1隊壊滅で総崩れとなった。大内軍の大勝利だ。

伊勢湾を渡って吉田城にも続々と大内軍が攻め上がる。

伊勢国からも大内軍が船で伊勢湾を渡って知多半島に上陸。吉田城(愛知県豊橋市)を目指している。濃尾平野は那古野城を残すのみだが、また大内義尊隊に「合戦可」のマークがついている。本軍に突撃してきた将がいるようだ。

猛将・本多忠勝だ。刈谷の戦いが始まる。

安祥城(愛知県安城市)に向かっていた大内義尊軍に、安祥城から一隊が突っ込んできた。またもや本多忠勝だ。しかし、大内軍24000に対して本多他忠勝軍は1300しかない。両軍は刈谷(愛知県刈谷市)にて激突。「刈谷の戦い」の始まりだ。

相手は東国無双と言えど、1隊しかいない。

東国無双と名高い本多忠勝だけに気は抜けないが、相手はたった1部隊だ。全ての隊が本多忠勝に向かって挟撃を仕掛けていく。

「刈谷の戦い」は大内軍の圧勝に終わった。

退き口も完全に破壊し、大内軍の大勝利である。本多忠勝隊は城へと退却した。それにしてもこちらもほぼ同数だけやられているから、さすが本多忠勝である。すると、大内義尊本隊がまた新たな今川軍の一帯と遭遇。再び開戦となった。

ついにトップ対決。大内義尊と今川義元の「大府の戦い」。

なんと当主・今川義元じゃないか。大府(愛知県大府市)にて大内義尊と今川義元が、トップ同士の直接対決となった。「大府の戦い」だ。この一戦で大内家と今川家の行く末が分かるというもの。必ず勝とう。

今川義元隊、494しかいないじゃないか。

見ると、大内義尊軍が20000なのに対して、今川義元はわずか494の一隊しかいない。今川義元は東海一の弓取りと言われる勇将だが、これはもう負けるわけがない。全力で叩き潰そう。

今川義元軍に圧倒的勝利。完全壊滅。

勝敗は明らかで、今川義元は全ての兵を失って壊滅状態で大敗。わずか1騎で城に逃げ帰らなければならないのは無念の極みであろう。この「大府の戦い」で、今川家の未来はもう潰えたと言っていい。

那古野城をようやく攻め落とした。

先の「愛知の戦い」での酒井忠次隊の敗戦によって兵の多くを失ったことで、必死に抵抗していた那古野城も陥落。かなりの守備力だったがなんとか落とせたぞ。これで尾張全域は大内家が手に入れた。

今川領に5方向から大内軍が襲来する。

尾張国の次は三河国(愛知県東部)だ。東の蒲原城、中部の二俣城や長篠城へも続々と大内軍が南下して攻撃を始めている。

大内義尊自ら安祥城も攻め落とした。

大内義尊が安祥城を攻め落とした。三河国平定の足がかりとしよう。隣りの岡崎城(愛知県岡山市)にも兵を向ける。

長宗我部元親「蒲原城は我らが頂戴した」

東では甲斐国から駿河国へと入っていた長宗我部元親隊、島津義久隊、松永久秀隊が蒲原城を攻め落としてくれた。これで最東の興国寺城は駿府館と分断されて孤立することになったぞ。

興国寺城を完全に孤立させた。慌てる今川義元。

今川義元が9400の兵をまとめて蒲原城の奪還のために駿府館から出撃してきたが、もう遅い。興国寺城へは飯富昌景隊が攻略に向かう。駿府館はもう喉元に刃を突きつけられている状況だ。

戸次鑑連「二俣城攻め落としたり!」

信州の兵を引き連れて南下していた戸次鑑連隊が、二俣城を攻め落とした。東西に長かった今川領の中央をいきなり押さえた形になり、ますます東西に攻めやすくなった。

ここから掛川城に出撃をして駿府館を狙う。

戸次鑑連らは二俣城からさらに掛川城(静岡県掛川市)へと兵を進める。大久保忠世が守るこの掛川城を落とせば、海に到達して今川領が完全に分断され、駿府城を東西から挟み撃ちすることができる。ここから一気に今川家掃滅に動く!

(第18話につづく)


【武将名鑑】(17)大浦為信(おおうら ためのぶ)
津軽地方の武将。当初は北東北を支配する南部家の一員であったが、南部家に背いて津軽地方を瞬く間に制圧。天下統一を進める豊臣秀吉の小田原参陣要請に南部家よりも早く駆けつけ、津軽一帯の所領を認められ、津軽為信と名乗る。関ヶ原の戦い後、弘前藩4万7千石の初代藩主となる。


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