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上手なnoteが書けない

どうして自分の文章はこんなに稚拙なんだろう。

note運営部からのオススメに目を通すとキラキラとした文字が楽しそうに踊っていて、僕を含めた読者をきっと喜ばせているのだろうなと想像する。

僕は大学卒業までに50カ国を訪れることを目標としていた。大学2年次に単独で30カ国を訪れる世界一周をして以来、旅の持つパワーと言うか、発見に感銘を受け、訪れた国が多ければそれだけ自分の視野が鮮やかになるとその目標を立てた。しかし世界的なパンデミックの到来によって、国境を越えるという今まで当たり前にしてきたことが突然不可能になってしまった。

こんな世の中でなければ。今まで通り握手やハグを当たり前のようにして、当たり前のように大きく口を開けて笑いあうことができていた世の中であれば大学の卒業式も参列せずに僕は今頃アフリカあたりを旅しているはずだった。

一方で良いこともあった。こんな時だからこそ日本を知ろうと一人で東北の被災地に初めて訪れたし、コロナ禍で大学の講義もなくなりマンションを解約して実家に移ったので家族で過ごす時間も増えた。こんな世の中でも新しい発見は意外と自分の周りにあって、それ自体は良い機会だったのかな。

これまで自分がしたいと思っていたことができなくなり、逆に今までであれば気が付かなかったことに価値を見出すようになった。そしてこのカオスを好転させるには今こそ思考を一旦リセットするべきだと僕は考えた。

そうして僕はnoteで旅のエッセイを書き始めることにした。新しく国に行けないのであれば、これまでの旅をもっと濃いものにしようと。今までの僕が旅先でしてきた経験を文字にして整理してみると、きっと新しい国を訪れて何かを発見する以上の衝撃を自分の既存の経験から見出すことができるかもしれない。

しかし、書き始めてみると自分が思い描いていた文書とは大きな乖離が生じてしまう。どうしても思っていた文章とは違うのだ。まるでビデオに録音された自分の声を聞くときのような違和感を感じ、自分の書いた文章を読むとどうしても恥ずかしくなる。

他のクリエイターさん達が描く文章達がとても美しくて、きっと素敵な方々なんだろうなと思う。僕たちは紙とペンを使って文字を書かなくなった。かつて文字の美しさはその人の心の美しさと、書道の先生に言われたことがあるが、文字を書く機会が減少した昨今、人の心の美しさは文章に出ると僕は思う。

文章の綺麗さにはその人の誠実さ、文章の明瞭さにはその人の賢さ、文章の内容にはその人のユーモアがどうしても出てしまうんだ。だからせめてこのうちの一つの要素くらいは褒めてもらえるような文章を書けるようになりたい。

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