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「日本人にとって成功は何ですか」とトルコの学生に聞かれた

旅と就職活動は別物のようで意外と似ている。自分が知らない世界を見て、新しい人と出会い、そして予期もしない質問に悶々と頭を回し続ける。そんな非日常な出来事が断続的に起こる機会は日常にはなかなか転がっていない。

旅で直面する海外のカルチャーショックと就活のインターンシップで垣間見える「企業」の生態はどちらも僕の知らない世界を見せてくれたし、就活を通して出会う企業の人事や社員の方々はそれまで僕が抱いていた「会社員」への負のイメージを払拭してくれた。共に就活をする学生の中にはいわゆる凄いやつがたくさんいて自分のちっぽけさを思い知らされる。また旅で出会うバックパッカーの中には超越した経験値を持つ旅人がいる。ハーレーに乗って世界を転々とし、お金がなくなれば街でギターを弾いてお金を集めるような人や、入国ビザの難易度が最も高いとされるアフガニスタンに入国して戦争をその目で見てきた人と会話をしているとやはり「旅をしている自分」でさえ相対的にちっぽけに映ったものだ。物語のようなことをしている人たちからだけではなく現地で暮らす人々からも毎日刺激を得るのが旅の面白いところだ。

就活ではコンサルティング業界に興味を持ち一通りエントリーをした。コンサルっていわゆる地頭の良さが求められたりする業界だから、面接官の質問や選考が面白い意味で歪んでいて、いきなり面接官に「〇〇という架空の会社の売り上げを30%増やすにはどうしたらいい」と尋ねられたり、「人間は好きですか」と聞かれた。それでも落ち着いて回答ができたのはトルコを旅していた時に不意に尋ねられた質問があったからだろう。

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カッパドキアの気球で地球の美しい静寂に包まれた後、僕は黒海に面したトラブゾンという街を訪れた。人の数こそ少なくはないが観光資源に乏しくトルコの他の都市と比べると旅行客の少なさはどうしても目立つ。その少し寂しい感じが名古屋と似ていて愛着も湧いた。港町ということもあって市場ではさっきまで生き生きとしていたような魚たちが店先で売りにかけられている。そして絶好の獲物を狙った猫がなんと多いこと。

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そんなトラブゾンでご縁があってギュリという英語を教える中学校の先生と知り合った。彼女とは国際交流のチャットで知り合い、僕が世界中を旅していると伝えると「是非私の学校に遊びにきて」と招待された。

当日彼女と待ち合わせ場所で合流し、彼女の車で学校まで向かう。この日は天気が大荒れで、大粒の雨がフロントガラスを打ちつける。それとは対照的に車内は初めての会話にも関わらず盛り上がり、すぐにガラスが曇ってしまう。

学校に到着するなり、ギュリと校長室に挨拶へ行く。その後順番に各クラス20分程度で5クラスほどを訪問する。どのクラスもヤンチャそうな生徒たちは後ろに陣取っていて、世界共通なんだと笑みが溢れた。

トルコでは親日国家で知られている。僕は日本人が一方的に判断する「親日」は傲慢のように聞こえ、あまり好きではなかったのだが特にトラブゾンの街では日本人の僕が歩いているだけで写真撮影も何度か依頼されたし、パン屋さんのおばちゃんは僕が日本人と知るなりおまけをつけてくれたものだから、これは親日だろう。その代わり僕も親トルコと胸を張って言えるようこの国のことをたくさん勉強した。

教室では生徒達からはアイドルのような扱いを受けた、まるでテレビ番組で嵐やJSBのメンバーがサプライズ登場する具合に。教室訪問では生徒から質問を受け、それに答える。

「これまでどこの国が面白かったですか」

とか

「なぜ旅をしているのですか」

とかいった質問から

「私の名前を日本語で書いてください」

といったお願いに対してホワイトボードに当て字で名前を書くとクラスは大盛り上がりだ。

そんな中一人の男子学生が人差し指を立てて手を挙げた。諸外国で日本式の挙手をすることはナチスを彷彿とさせるためタブーとされている。ギュリが指名すると彼はおもむろに席を立ち、僕の目を見つめて口を開いた。

「僕は医者になることが成功だと思って毎日勉強をしています。日本人にとっての成功はなんですか。」

予期もしない質問だった。

半年くらい旅をしていた僕は心境の変化を感じていた。「人生は一度きり」という抽象的な価値観が具体化してきたのだ。「人生は一度きり」という現実は誰もが理解をしている。科学的に人はその命の灯火が消えてしまえば人生は終わるのだ。であれば好きなことだけをするべきだということを頭では理解しているのになかなか体がついてこない。それが旅の中で、自分の知らない世界を見た衝撃や、初めて外から自分の生まれ育った日本を見る経験、またリベラル思考が強いヒッピー達と密接に関わる機会を経て、「人生は一度きり」という概念に合わせて行動をするようになってきたのだ。

特にヒッピーとの交流は大きい。僕が出会ったヒッピーの出身国は様々でそこには日本人も含まれているのだが、彼らの多くは30代から40代で、家もなければ結婚もしないし子供も持たない人が多い。僕がそれまでに出会ってきたその世代の人間とは明らかに価値観が違った。「自分らしさ」をとことん追求する彼らとコミュニケーションをとっているとこんな人生もありなのかと目の前に新たな選択肢ができらような感覚になるのだ。

だからもし「人生の成功が何か」という質問が投げかけていたのであれば、僕はきっと「好きなことをして自分らしく生きることだ。」と返答をしていたであろう。しかし、幸か不幸か質問をした彼は「日本人として」と言った。その一つの条件が加わった時、僕は日本人の考えを代弁しなければならないプレッシャーを感じたのだ。僕の言葉は日本人の総意となりトルコの学生は認識することになる。それが怖くなり僕は生徒の前で言葉を詰まらせてしまった。ギュリは僕が考えることに時間を費やしているとみて上手く会を進行してくれた。彼の質問に対して何も言葉を発することができなかった罪悪感を感じながら矢継ぎ早にくる他の質問に回答した。

結局、僕はこの4月から会社員としてファーストキャリアをスタートすることした。社会システムから享受をし還元をしていく、即ちシステムの中で自分なりに対応していくことを選んだのだ。

なぜこうなったのか。それはあの質問をきっかけに僕が考える「人生は一度きり」という概念が確立されたからだ。旅をして分かったことは僕が日本のことを好きだということ。だから僕が生きているうちに、この国をもっと素敵な国にしたい。日本の既存システムに諦めて自分の好きなことをだけをして生きていけばそれは達成できない。多分、自分らしく「この国をもっと素敵な国にすること」が僕の「好きなこと」なのだと思う。それに向けて辛いことや試練を迎えようとも、自分が生まれた時よりもいい時代にして後世に託す。それこそが僕の個人的な「日本人としての成功」の答えだった。

結果的に「好きなことをして自分らしく生きること」は間違っていなかったのだからなんだか肩の力が抜ける。でもこうして考えたプロセスがやはりまた僕を成長させてくれた。ただ当時の「好きなことをして自分らしく生きること」と今考えるそれとでは同じようで全く違う意味を持つ。あの時の質問に対して当時の認識のまま回答していたらもしかしたら僕は自分の本当に好きなことに気がつけず、大学をやめて呑気に生きていくことを選んでいたかもしれない。

彼の質問で僕の人生が変わったのだ。あの時僕に質問を投げかけてくれた彼は今何をしているのだろうか。トルコのチャイを片手にゆっくりと人生について語ろうじゃないか。また会えるさ。

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ギュリがお礼にと作ってくれたトルコ料理おいしかったなぁ...

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