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祈りと、返せずにいたお便り / #会って話すこと

まだ太陽が眩しかった、9月初旬。少しは緊急事態宣言という長いトンネルの出口の光が見えてきて、失った夏を取り戻そうと、外を眺め出した頃。

会って、話すこと。』(ダイヤモンド社)について、「noteを書きましょうね」と、まだ本を手にする前から、著者本人と気軽に約束していました。

もちろん、9月14日の発売前に予約し、届いたその日のうちに最後まで読み切りました。

姉妹本の『読みたいことを、書けばいい。』からの期待を裏切らず、笑いながら軽快に読み進められる。だけど、ちょこちょこ「あ、痛いっ、これ私やっちゃってるわ」と思うような大切な視点がある一冊。

まるで隣にすわって「そこは、このほうがええんちゃうか、知らんけど」「それはあかんな〜、知らんけど」と笑いながら示しつつ、時折「大丈夫や」と頭をなでて安心させてくれるような存在です。

それなのに、私はこの2ヶ月近く、『会って、話すこと。』について何も書けないでいました。

きっと、Tweetしたときの私は、楽しく読んで「あーおもしろかった!」って、すぐに書けるだろうと思っていたんですね。だけど、この本は私にとってそんなお手軽な一冊ではなかった。

それは、読み終わったときに「なんて血潮が滲むような、切実な“祈り”の文章なんだろう」と感じてしまったから。ズシンと著者・田中泰延さんと編集者・今野良介さんの想いを受け取ったような気がしてしまったから。

私が祈りに感じたのは、ただ単に私自身の中に祈りがあったからかもしれません。だから勝手にそう解釈して、勝手に共鳴したと思っただけかもしれません。

それでも、“祈り”だと感じた私には、中途半端に表面だけで感想や気づきを書くことが、できませんでした。

2ヶ月の時間を置いて、少しずつ人に会う機会もできてきて。11月2日の刊行記念イベントにも参加して。そのイベントレポートを書かせてもらって。

やっと、今なら何か書けそうな気がしています。

このnoteは、書籍の感想や紹介ではありません。そういったものは、すでに多くの人がnoteやメディアの記事にしてくれているので、私が書くことはありません。

私がこれから書いていくのは、『会って、話すこと。』という“お便り”を届けてくれた田中泰延さんと今野良介さんへの、今の私なりの精一杯のお返事です。

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泰延さん、今野さん。まず改めて、『会って、話すこと。』を創ってくださってありがとうございます。

正直にいうと、「夏は無理だろう、ひょっとしたら年超えて2022年かな」なんて思っていました。それは別に、〆切通りにいくわけないということでは、もちろんなくて。「人と会いたい」なんて言うのも憚られるようだった2021年の7・8月で、そもそもこのテーマを書くのが難しいのではないかと感じていたんです。

だから9月に実物を手にしたとき、「本当に出したんだなあ、泰延さん逃げずにすごく頑張ったんだなぁ」とじんわりしました。

それで、一気に一周目を読み終えて。はじめは楽しんで読んでいたのだけれど、最後はえぐえぐと泣いてしまいました。

最初に2冊目になる本を創っていると知ったのは、3月の高円寺ヒマナイヌスタジオ配信『僕たちはやっぱり会って話したい』。

だけどその後、社会は激変しました。どんどん増えるコロナ陽性者数。その中で五輪をやるのかやらないのか。巻き起こる政府批判や論争に、どんどんギスギスした空気になってきて、人に会うどころか自分の健康と心を守ることですら難しい、それだけに必死な日々。

特に8月は私自身、2度目のワクチン接種後、緊張の糸が切れたようにプツンと気力がなくなっていきました。しんどい、辛いとも感じない。仕事だけギリギリに滑り込むように熟して、他は何もやる気が起きない。ただただ、救急車の音が聞こえるたびに耳を防いで、もう嫌だと思う。静かに、だけど確実に心が壊死していっていました。

9月を目前にし、少しずつ回復しはじめた頃。『会って、話すこと。』の書影デザインをTwitterで見て、9月14日に出ると気づきました。本が出る--その情報は、私にとって小さな希望。もちろんすぐに予約しました。

発売日翌日、自宅のポストに届いた一冊。手にしてすぐに、赤い表紙が好きになりました。デジタル画面で見るよりもずっと、柔らかくて温かくて可愛らしい。「会って、話す。」、その血の通った温度感を感じられるような気がしました。

ワクワクしながら……少し久しぶりに自分の中に「ワクワク」という感情を覚えたのですが……ページをめくると飛び込んできたのが、「そんなバナナ」。思わず「ゴリラ*の次はバナナか〜い! 狙っとるやろ!」と笑ってツッコんでしまいました。

そうしたら、その直後に書いてあったのが、「日常会話において「ツッコミ」は不要なのだ」ですよ。「やられた!」と思いました。泰延さんの手の上で踊らされた気分。ちょっと悔しくありつつも、クスクス笑ってしまいました。

それからさらにページをめくって、今度は「ダイアローグ」のパートに驚きました。「こんなに今野さん登場するんや!」って。二人の声が聞こえるようで、すごくうれしかった。内容よりも何よりも、その声をずっと聞き続けたくて、何度でも二人の会話を読み返したかった。それくらい、血の通った会話に飢えていたのかもしれません。

泰延節のボケに笑ったり、「これは『読みたいことを、書けばいい。』と同じだな」と考えたり。納得して頷いたり、「いやん、それは言わないで、私もよくやっちゃうから!」なんて困り顔したり。そうやって楽しく読み進めているうちに、少しずつ私の心にも血色が戻っていくような感覚がしました。

でも……。百面相をしながら楽しんで読んでいたはずなのに、第5章「なぜわたしたちは、会って話をするのか?」に入るあたりから、真顔で正座をして読むようになっていました。

なんてこの二人は真剣なんだろう。なんて身を切るような文章を書くんだろう。なんて切実に、人との関わりを願い、祈っているんだろう……。

血潮が滲むようなその文章に頭を抱え、その深みに少しずつ潜っていき、呼吸がゆっくりになって。気がついたらページをめくる手も、どこか緊張したように、小さく震えていました。

そして、242ページ。「違う人と、同じものを見る」の最後、「あさっての方向を見て笑おう。」という文字を見たとき。何かが私の中でパチンと弾け、本を閉じ膝を抱えてえぐえぐと泣いてしまいました。

でもそれは、悲しいからでも、傷ついたからでもなくて。救いの涙でした。

ああ、私はこんなにしんどかったんだ。こんなにも本当は辛抱していたんだ。本当はこんなに、何かに触れたかったんだ。もっともっと、生きてるって感じたかったんだ……。

頭じゃなくて、心で、体温で認識し、「真空のような孤独」という言葉に、「私は真空状態で麻痺していたんだ、今やっとそこから抜け出して呼吸を再開したんだ」と納得しました。

そして、「上を向いて話そう。」「あさっての方向を見て笑おう。」という言葉に、「外を見ていいのか。独りでなくていいのか。笑っていいのか」と安心しました。

私が二人の文章を読んで「血潮の滲む祈り」と感じたのも、泣いてしまったのも、あの夏を越えたところだったから、私自身が少し回復してきたところだったから……そういうタイミングが理由かもしれません。読むときが違ったら感想は変わったかもしれないし、他の人は全然違う読み方をしているかもしれません。

だけど、9月に私が真空から抜け出してもう一度息を吸えたのは、真空であることすらも感じず麻痺した私の代わりに、二人が思いの丈をぶつけて血を通わせた文章を届けてくれたからなのは、間違いないと思っています。

そしてそれは、きっと私だけが感じていることではないとも思う。『会って、話すこと。』の感想で「残りページが後5ミリ幅になった時、急に声のトーンが低くなった」と書いている方もいらっしゃったから。

今野さんは「おわりに」で「廃れない本」について書いてらっしゃいます。編集者は本を出してから「時間が経って、内容が時代にそぐわないものになってしまうこと」を恐れると。

私は『会って、話すこと。』はこの感染症の広がる状況下で書かれたからこそ、その環境にも触れられているからこそ、普遍的で廃れない本になったのだと思います。だからこそ、会えないもどかしさ、辛さ、しんどさ、絶望……そして人と会って話したい、誰かと同じ風景を見たいという切なる願いが、生々しいほどに生きている。

人は一度思い知った絶望もありがたさも、時間が経てば薄れ忘れていくものです。だけど--あるいはだからこそ、感染症の小康状態が今後も続いて、このまま元の世界のように気兼ねなく会えるようになったとしても(そうあってほしいものです)、この本が手元にあれば会えること、会って話せることの有難さと大切さを、忘れずにいられると思うのです。

それは、少なくとも私にとっては、この先の時代に廃れることのない一生ものなのです。

だからね、泰延さん、今野さん。書いてくれて、ありがとう。


追伸1:
『会って、話すこと。』を読んで泣いてから、今までになく涙もろくなりました。2ヶ月経っても治りません。なんでや。この先も涙もろかったら、その数%は二人のせいだってことにします(笑)。


追伸2:
今度の日曜日(もう明日です)、この2年の間に老人ホーム施設に入居し、感染症対策で面会できずにいた祖母に、会ってきます。やっと、ワクチン2回接種を条件に15分だけ面会できるようになりました。2年も会っていないから、どれくらい、どんな話ができるか分からないけれど、少しでも同じ風景を見てこられたらいいなぁと願い、改めて『会って、話すこと。』を読み返して、会いに行ってきます。


* 『読みたいことを、書けばいい』では「はじめに」にいきなり「あなたはゴリラですか」と書かれています。

▼文中で紹介した『会って、話すこと。』の感想文

▼11月2日刊行記念イベントのレポート

▼書籍Amazonリンク

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