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あの銃声を聞いた日、私は喰らうことを知った。

 私たちが日頃食べている肉は、どこからくるのだろうか。

 スーパーに行けば、綺麗に切り分けられてトレーに並んでいる。当たり前にそれを買って、料理をする。それが一般的だろう。反対に、もとが動物だということを強く意識して、殺生だから肉は食べないという人もいる。

 私には、そのどちらも「動物」から「肉」になる過程や、そこに携わる人々の営みや想いへの想像と知識が抜け落ちているように感じる。なぜなら、一度だけ見たことがあるから。目の前で、自分が餌をあげた牛が解体されていく様子を。
 
 私がその“欠けているピース”を少しばかり手に入れたのは、中学3年生。夏休みに参加した海外英語研修で訪れた、オーストラリアのファームでの話だ。


 オーストラリア・ケアンズで過ごす約3週間は、私にとって初めての海外体験、初めての英語づけ生活だった。
 
 日本とは季節が反対の冬のオーストラリアでも、ケアンズは暖かく、紫外線の強さと乾燥にさえ気をつければ過ごしやすかった。宿はホームステイ。ホストファミリーにはものすごくかわいがってもらって、つたない英語なりに辞書を使ったり身振り手振りや絵を使ったりしてコミュニケーションをとり、楽しい時間を過ごしていた。

 だから、研修期間中に用意されていた1泊2日のファームステイも、同じようにただ楽しいものになるだろうと思っていた。

 そのファームステイでは、友人3人と一緒に、ある酪農家にお世話になることになっていた。初日、ピックアップに来たホストマザーは、ベリーショートに豪快な笑顔でサバサバした雰囲気の人だった。

 ホストマザーの車に揺られ到着したファームは、小高い丘の上に家があり、そこから坂をくだっていくと遮るもののない芝の大地が広がっていた。

   ファームには牛・馬が複数、鶏が1羽、そして大型犬(アビー)が1匹。事前に聞いていた話では鶏は12羽ほどいたはずなのだが——聞くと、アビーが遊んで殺してしまったという。笑顔で伝えるお母さんに、私と友人はどのような反応をしたらいいのかわからず、動物の無邪気とは恐ろしい……と少しの恐怖心を抱いた。

*・*・*・*

 荷物を宿泊部屋に置き、最初に行ったのは干し草運び。家の横に積まれている干し草をほぐし、下のファームへ持っていく。

 ハイジのベッドを想像して干し草を両手いっぱいに持つと、薄手の長袖を突き抜けて草がチクチクと刺さった。慌ててウィンドブレーカーを上から羽織る。こんなチクチクする干し草で作ったベッドに、ハイジはよくダイブできたものだ……と驚いた。

 ファームへ干し草を持っていくと、ホストマザーは手際よくその干し草を分けながら、寄ってくる牛や馬にやるように言った。牛も馬も思っている以上に口が大きく力強い。ガッつかれている感じが不思議だった。

 一頭だけ、木の柵に囲われている牛がいた。その子だけ、白と黒のブチだ。なぜ一頭だけ柵の中なのかとホストマザーに聞くと、「その子は特別だから、たくさん干し草をあげてちょうだい」と言う。

 私たちはその牛を「白黒だからホルスタインで、乳牛なのだろう」と思い、一頭だけ囲われていることになんの疑問も抱かなかった。柵を隔てているから、安心して落ち着いて草をあげられる。喜んで、その子に干し草をあげ続けた。

 干し草がなくなったところで、家へ引き上げる。ホストマザーが用意してくれたサンドイッチをお昼ご飯に頬張った。

 ホストマザーは準備している夜ご飯もうれしそうに見せてくれた。コンビーフだ。コンビーフといっても、日本の缶詰のものとは違う。本当に塊の肉を、じっくり煮込む。「今日はかわいいゲストがいるから御馳走よ」と自慢気だった。

 少し休んだらまたファームに行くから、水分を摂って日焼け止めを塗り直すようにと言われた。餌の次はブラッシングだろうか。あるいは乳搾り、馬に乗せてもらえたらうれしいな。そんなことを友人と話しながら休憩した。

*・*・*・*

 しばらく休んでいると、再びホストマザーに呼ばれた。さっき上がってきた坂道をみんなで降りて行く。今度は何をするのかと聞くと、ホストマザーは「ブッチャー」と答えた。

 “ブッチャー”。誰も知らない単語だった。オーストラリア英語の独特な発音なので別の単語かもしれないと友人と話している様子に、ホストマザーはもう一度ジェスチャーを加えて「ブッチャー」と言う。

 それは、細長い筒のようなものを構えるジェスチャーだった。

 その時、「ズドーーーン」と鉛の重く鋭い音が一発、遮るもののない空気を響いて渡ってきた。どこかで冷たい自分が「銃声だ」と悟った。後にも先にも、本物の銃声を聞いたのはこの時だけだ。

 びっくりした自分と、ホストマザーの他にも誰かがいて何か動物を撃ったのだろうと冷静に考える自分とがいた。友人はみんな、完全に無口になった。少しずつ重くなる足取りで私たちはファームへ降りて行った。

 そこに倒れていたのは、さっき私たちが喜んで干し草をあげた、一頭だけ柵に囲われていた、あの白黒の牛だった。

 私たちがあげていたのは、“最後の晩餐”だった。

*・*・*・*

 牛は目を見開いて横たわっていた。その近くにはトラックが一台止まっており、2人の大柄な男性が牛を扱っている。ホストマザーが笑顔で挨拶をしに行く様子を、私たちは距離をとって遠巻きに見ていた。

 後ろでは銃声に興奮した馬が駆け回り、他の牛たちも逃げるように遠のいていた。今あの群衆に近づけば、馬鹿力で蹴り上げられて死んでしまうだろうと思った。

 男性が牛の後ろ足を固定して頭が下になるように体を持ち上げる。半開きになった牛の口から、まだこなしきれていない緑の液体が、ぬらぁっと出てきた。私たちがさっき自分たちの手から与えた干し草。そう気づいた瞬間、手にその時の感触が蘇り、血の気がサーっと引いた。

 なぜホストマザーは、この後この子は無邪気に信じて餌をもらっていた人間によって殺される運命なのだと、教えてくれなかったのだろう。あるいは餌をあげている時点でその説明があったのを、私の英語力の無さで受け取り逃しているのだろうか。

 男性2人は慣れた手際と連携で、チェーンソーを使って牛を解体していく。頭を取り、内臓を取る。取った頭と内臓は、奥の茂みに投げ入れた。ディンゴというオーストラリアの野犬が食べるのだという。

 友人もみんな固まっていた。一人は別の友人の後ろに隠れ、一人はなぜか南無阿弥陀仏と唱え出し、一度は背を向けた友人もいたが、しかし結局はみんな目をそらしきれずに解体される牛を見つめていた。

 男性2人は時々私たちの方を見て、ホストマザーと話していた。3人とも終始笑顔だった。何を話しているのかは私たちの英語力では聞き取りきれなかったが、日本の中学校からのファームステイで……なんて話だろう。

 私たちの反応から、屠殺を初めて見ることも怖がっていることも簡単に察したのか、一人が牛の血で赤く染まった手をこちらに向けて「わぁっ」と脅かしにきた。ビクッとして後ずさる私たちに男性とホストマザーは笑っていた。面白がっているようだった。友人の一人は「なんなん!?」と怒り出した。

 手を血で染めて、牛の死体を目の前に笑っている。その光景は野蛮にも見えた。けれど、私は不思議と目が離せなかった。彼らの手つきがとても丁寧で、その解体を美しいとすら思えたからだ。その相反する感覚を不気味にも思った。

 ある程度解体されたところで、牛は大きなトラックに積み込まれた。これから工場に運ばれるという。「いつもありがとね」「またよろしくね」なんて会話を男性とホストマザーは交わし、男性はトラックを発車させた。

 最後のこの光景でやっと、私たちが毎日食べているお肉はこうして私たちの元へ届くのだと気がついた。彼らにとっては愛情込めて育てた牛をこうして屠殺し、丁寧にさばいて売ることが生活なのだ。そして、肉は当たり前にスーパーで売っているものではなく、命なのだ。

*・*・*・*

「どうしよう、あんなの見たけど、夕食って牛肉の塊でしょ?」

 友人の一人が言った。自分たちが餌をあげて生きているその温度を感じ取った牛が、目の前で解体されるのを見たばかり。その肉を食べるのは——もちろん今夜のコンビーフはさっきの牛とは別物なのだけど——なんだか気が引ける。ベジタリアンの気持ちがわからなくはなかった。

 けれど、ホストマザーはこれを生業にしている。そして、私たちのために喜んで用意してくれている。それを無下にもできない。

  それから夜ご飯までの時間は、全員悶々としていた。

*・*・*・*

 夕食に呼ばれて出ていくと、ベランダのテーブルにはこれでもかというほどの量の薄切りされたコーンビーフと、肉にかけるソースが並んでいた。「好きなだけ食べてちょうだい」とホストマザーはニコニコ笑っている。

 一瞬の沈黙が私たちの間に走り、ゆっくり「いただきます」をした。ためらう手で肉を一枚取り、ソースをかける。口に入れた肉は少しバサバサしていて、肉に対してソースの味が濃くてアンバランスだ。

 でも、“旨”かった。今まで、何かを食べてこれほどに「喰らってる」と感じ、「旨い」と思ったことはなかった。

 そこからは無我夢中。味わいながら確かにいただくことが、牛への敬意なのではないかと思った。食べたくないなんて、牛に対して失礼ではないか。残すなんて、できなかった。女子4人で、目の前のコンビーフの皿がまっさらになるまでたいらげた。

 ホストマザーは目を丸くして「そんなにおいしかった? よく食べる子たちだわ!」と言った。とても機嫌よくうれしそうだった。はち切れそうな胃袋をさすりながら、ホストマザーの笑顔に「これでよかったんだ。食べて、いいんだ」と思った。


 あの日から10年と少し。私は今でも、肉を食べ続けている。ベジタリアン、ビーガン、マクロビ。いろんな菜食主義の形も知った。いろんな意見も聞いた。それでも、肉を食べている。

 疲れた時は、豚肉や卵が食べたくなる。エネルギーが落ちていたり貧血気味だったりすると、赤身の牛肉が食べたくなる。身体が求めているし、何よりおいしいものは、おいしい。何かを食べるのに、それ以上の理由がいるだろうか。

 罪悪感も、いらない。「おいしい」「旨い」。それでいい。だって、ファームの方々は、食べた人にそう思ってもらえることを喜びに仕事をしているのだから。ホストマザーは、それを喜んでくれたのだから。

 今振り返ると、あの夜たっぷり出てきたコンビーフは、その場で食べきる必要はなかった。オーストラリアは多めに作って残りを冷蔵庫で保管するし、ホストマザーも食べきれるとは思っていないようだった。けれど、そんなことも忘れて無我夢中に頬張ったあの「旨い肉」と、その時の泣きたいような笑いたいような感謝は、今でも時折思い出す。

 あの銃声を聞いた14歳の夏、私は初めて「喰らう」ことを知った。

(公開:2020年5月31日/最終編集:2022年4月10日)

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