人格という幻想

大阪の自宅より、、。

突然ですが、人格ってなんでしょう。

。。。。。

私は所謂人格者と呼ばれる人が「偉い」とは全く思いません。

その人はそういう「役割」なのだと思っています。

生まれ持った脳のクセというものがある。

その上で大人になるまでに色んなものから影響を受ける。

人格者は素晴らしいと言われるけれど、それはその人格者の人を取り巻く全ての環境がそうさせたのであって、その人自身の努力は結果の要因の一部でしかない。

まず人格者と呼ばれるような素質があって、努力できる素質と体力と環境があって、事故や病気に遭うこともなく無事今日まで生かされてきた。

だから人格者だと呼ばれてる。

もし自分自身が人格者だと呼ばれることがあったとして、全てのものに対して感謝こそすれ、「自分自身の手柄だ」と奢ってしまうのは、なんというか、恥ずかしいと思う。

もちろんよりよい人間になろうという気持ちが悪いと言いたいわけでは全くない。

人は自分自身にも、他人にも成長を求めるものだと思うから。

私自身ももっといい寺田になろうと毎日思いながら生きてる。

そう思って生きられること自体はとてもありがたくかけがえのないことなのだと思うのです。

そもそも人格者ってどんな人間を指すんだよ、って感じですが。

。。。。。

自分自身の物差しだけで人の人格を判断して、「やる気がない」「誠実じゃない」「人間性が低い」と言ってしまうのは簡単だけど、

それだともし自分がある日突然別の物差しでしか動けなくなった時に、自分の首を自分で締めることになる。

人格なんてすぐ崩壊する。
人格者だと言われていた人だとしても。

アルコールだったり、
交通事故だったり、
病気だったり、

そういったもので変わってしまう。

私はそれを知ってる。

優しかった愛する人が、ある日突然、「お前なんかいなければよかった」と、言い出したり、

几帳面だった尊敬する人が何度も約束を破ったり、

するかもしれない。

自分自身もある日突然そうなるかもしれない。

だから私は色んな種類の物差しを持っておきたい。

人の人格を「正義」でジャッジして断罪することはしないようにしたい。

もちろん誰かとの付き合いの中で不快に思ったりイライラすることはある。

でもその人はそういう人なんだな、自分とは合わないタイプの人なんだな、ていうそれだけ。

そもそも私は人をジャッジできるような「正しさ」なんて持ち合わせていない。

。。。。。

理解できない人のことはできる限り知ろうとする。

嫌な人がいる、その嫌さはどこからくるのか、調べる。

なんでこの人はこういうことをするの?
なんで自分はこういうことをされるのが嫌なの?

便利な時代になったもので、ググれば色んな角度からの情報を集めることができる。

本だって沢山あるし、人にきくこともできる。

何万年とある人類の歴史の中のほんの29年しか生きていない私の知識で人のことを理解なんてできるわけがない。

だから、もやもやしたら調べまくる、人に聞く。

それでも「嫌い」と思ったら、それはそれでしょうがないと思う。

人間だもの。

。。。。。

私は個人に対してよりも、その人が置かれている環境に怒りを感じる。

個人の特性はしょうがない。

だってそれがその人だから。

その人がその人として生まれた。
今まで生きてきた。
今のその人をつくりあげたのはその人自身じゃない。

だれか一人だけが悪いことなんて、ない。
同じようにだれか一人だけがすごいことなんてない。

そう思う。

#人格 #日記 #ブログ #エッセイ #コミュニケーション #人間関係










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Terara

思考の明文化

日々の気付きや学びを書き綴ります。
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