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モネ 連作の情景 あなたはモネに包まれる


鰻の名店からのモネの流れ

この週末は大充実


名店の暖簾
来ました。素敵な席へ
名店です、はい。
お造りもきます
美味しそうな鰻
美味しい美味しい鰻と肝吸い
ジャズと鰻。素晴らしい組み合わせ
この路地だけ時間が昭和で止まったような







印象派を代表する画家のひとり、クロード・モネ(1840-1926)

自然の光と色彩に対する並外れた感覚を持ち、柔らかい色使いとあたたかい光の表現を得意とし、自然の息遣いが感じられる作品を数多く残しました。

同じ場所やテーマに注目し、異なる天候、異なる時間、異なる季節を通して一瞬の表情や風の動き、時の移り変わりをカンヴァスに写しとった「連作」は、モネの画業から切り離して語ることはできません。移ろいゆく景色と、その全ての表情を描き留めようとしたモネの時と光に対する探究心が感じられる「連作」は、巨匠モネの画家としての芸術的精神を色濃く映し出していると言えるのかもしれません。

1874年に第1回印象派展が開催されてから150年の節目を迎えることを記念し、国内外のモネの代表作約70点が一堂に会す本展では、モネの代名詞として日本でも広く親しまれている〈積みわら〉〈睡蓮〉などをモティーフとした「連作」に焦点を当てながら、時間や光とのたゆまぬ対話を続けた画家の生涯をたどります。

また、サロン(官展)を離れ、印象派の旗手として活動を始めるきっかけとなった、日本初公開となる人物画の大作《昼食》を中心に、「印象派以前」の作品もご紹介し、モネの革新的な表現手法の一つである「連作」に至る過程を追います。展示作品のすべてがモネ作品となる、壮大なモネ芸術の世界をご堪能ください。




みどころ

  1. モネの連作絵画に焦点を当てた展覧会
    戸外制作時に見られるモティーフの一瞬の表情や風の動き、時の移り変わりに着目したモネは、同じ場所やテーマを異なる天候、異なる時間、異なる季節を通して描き、「連作」という革新的な表現手法により発表しました。本展では、モネの代名詞として日本でも広く親しまれている「連作」に焦点を当てながら、時間と光とのたゆまぬ対話を続けた画家の生涯を辿ります

  2. 100%モネ!!展示作品のすべてがモネ。国内外40館以上から代表作を出品
    印象派を立ち上げる以前のモネは人物画も多く手掛けていました。本展は、日本初公開となる人物画の大作《昼食》を中心にした、「印象派以前」の作品から、〈積みわら〉や〈睡蓮〉などの多様なモティーフの「連作」まで、展示作品のすべてがモネ。“100%モネ“の贅沢な展覧会です。海外30館以上を含む、国内外40館以上から集められた代表作を堪能できる、またとない機会となります。

  3. 印象派の誕生(1874年)から150年を迎える節目の展覧会
    モネは、当時フランスの画家にとってほぼ唯一で最大の作品発表の機会だった、国が主催する公募展であるサロン(官展)から距離を置き、新たな発表の場として仲間たちとともに1874年4月に第1回印象派展を開催しました。本展は、「印象派」の誕生から150年目を迎えることを記念して開催される展覧会です。


構成

第1章 印象派以前のモネ Monet, His Early Works
パリで生まれたモネはル・アーヴルで成長し、風景画家ブーダンとの出会いを契機に戸外で風景を描き始めました。画家を志して18歳でパリに出て、アルジェリアでの兵役を経て絵の勉強を続けます。画塾で出会ったピサロ、ルノワール、バジールらと親交を深めました。画家の登竜門であるサロンに1865年に初入選しますが、審査の厳しくなった保守的なサロンでは評価されず、その後は落選が続きました。1870年に普仏戦争が始まるのを機に、妻子とともにイギリスとオランダに滞在します。本章では、初来日の大作《昼食》やオランダで描いた風景など、モネの初期作品をご紹介します。



第2章 印象派の画家、モネ Monet: the Impressionist
1871年末から、モネはパリ郊外のアルジャントゥイユで暮らし始めます。モネと仲間たちは1874年春、パリで第1回印象派展を開催し、サロンとは別に発表の場を設けて活動しました。精力的な制作の一方で、景気後退により経済的に困窮し、1879年には妻カミーユが亡くなるなど苦しい時期でもありました。本章では、1870年代から80年代にかけて、セーヌ川流域を拠点に各地を訪れて描いたモネの作品を展示します。アトリエ舟で自在に移動し、戸外で制作した印象派らしい多様な風景画をご覧いただきます。



第3章 テーマへの集中 Focusing on One Subject
モネは新たな画題を求めて、パリ近郊はもちろん、ノルマンディー地方やブルターニュ地方、地中海の港町などヨーロッパの各地を訪れて制作します。時には数ヶ月も滞在して、人影のない海岸などを好んで描きました。本章では、ノルマンディー地方のプールヴィルの海岸やエトルタの奇岩など、モネが何度も訪れた場所の作品群をご紹介します。滞在中、同じ対象であっても季節や天候、時刻によって、海や空、山や岩肌の表情が絶え間なく変化する様子をモネはカンヴァスに描き留めていきました。



第4章 連作の画家、モネ Series Paintings
1883年、モネはセーヌ川流域のジヴェルニーに定住します。やがて、自宅付近の積みわらが光を受けて刻々と変化する様子を同時進行で何枚も描くようになりました。1891年にデュラン=リュエル画廊でそれらを「連作」として展示すると大好評を博し、国際的な名声を築きました。以後は別のテーマでも次々と連作に着手します。1899年からはロンドンを訪れ、〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉などに取り組みました。「連作」という手法の着想源の一つにはモネが愛好した日本の浮世絵版画の影響も指摘されています。



第5章 「睡蓮」とジヴェルニーの庭 Water-Lilies and the Garden in Giverny
ジヴェルニーの自宅はモネの創作にとって最大の着想源となりました。「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備し、花壇の草花や、睡蓮のある池を描いています。次第に制作の大半は〈睡蓮〉となり、池の水面に映る色と光の抽象的なハーモニーが次々に誕生します。晩年のモネは、後妻のアリスや家族に支えられ、視覚障害に悩みながらも86歳で亡くなるまで制作を続けました。本章ではモネがジヴェルニーで描いた村の様子や、モネが愛した庭のさまざまな情景をご紹介します。



作家
クロード・モネ(1840~1926)
印象派を代表する画家。1840年11月14日、パリ9区に生まれる。家族の転居に伴い5歳頃からル・アーヴルで暮らす。18歳の頃、風景画家ブーダンの助言により戸外で風景画を描き始め、パリに出て絵を学ぶようになる。1862年には、画塾でルノワールら仲間と出会う。1865年、サロンに初入選し、尊敬するマネに「水のラファエロ」と呼ばれる。その後はサロン落選が続き、経済的に困窮する。普仏戦争を機に妻子を連れてイギリスとオランダに滞在。1874年、第1回印象派展を仲間とともに開催。国内外を旅して各地で風景画を精力的に描く。1883年よりセーヌ川流域のジヴェルニーに定住。1880年代後半から自宅付近の〈積みわら〉を「連作」として描き始め、この頃から旅先での制作も「連作」の兆しを見せる。1891年、デュラン=リュエル画廊で〈積みわら〉の連作15点を公開。この個展が評判を呼び、フランスを代表する画家として国内外で名声を築く。連作はその後〈ポプラ並木〉〈ルーアン大聖堂〉〈セーヌ川の朝〉、ロンドンやヴェネツィアの風景、〈睡蓮〉などのテーマに及ぶ。晩年の制作は〈睡蓮〉が大半となり、眼を患いながら最晩年まで描き続けた。1926年12月5日、ジヴェルニーの自宅で86歳にて死去。ライフワークだった〈睡蓮〉の大装飾画はフランス国家に遺贈される。後半生の作品はカンディンスキーや抽象表現主義の画家たちに影響を与え、モネの再評価につながった。「モネはひとつの眼にすぎない。しかし何という眼なのだろう!」というセザンヌの言葉が有名。

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