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連投 No.3 受験体験記

はじめに

 なんか以前も語ったことある気がするんだけど、一応。


本編本編〜

高校入学後しばらく

 私の入学した高校は、地方のゴミみたいなバカ学校……にはなりきれず、とはいえ大学は一部の選ばれし者が行く程度で、あとはつまらん専門学校組か就職組が構成する、中途半端な学校だった。
 不良はいなかったというか、秀才にも不良にもなれないファッションヤンキーみたいな奴しかいなかった。私の通っていた中学は管内で一番学力テストの成績が低いバカ中学として有名だったから、そこはマジモンの悪いのがたくさんいたし、毎日そんな連中を眺めていたからか余計にそう映った。
 そのくせ校則はうるさかったから、やっぱ漫画とかであるような屋上で日向ぼっことか、彼女と授業サボるとかそういうのなんて全部空想だ嘘つきだみんな死ねばいいのに、と感じたのを覚えている。

 私は高校に入った頃は大学への進学なんか考えていなかったし、親も私に対して「東大へ行け」とか「就職しろ」とか、進路について何も口を挟んでこなかった。結局、最後の最後まで全部私の好きにさせてくれたことには、あらためて感謝したい。
 そんな感じで特になんのしがらみもないまま、子供の頃からパソコンが好きだったから、漠然と情報系の専門学校を視野に入れつつ過ごしていた。もっとも、過ごしていただけで勉強は何もしていなかったわけだが

 そんな最中、学年が二年生に上がるタイミングで、とある受験漫画に影響された我が校の教師たちが、私たちの代から「コース制授業」を導入しはじめる。
 内容は、進学と一般就職組でカリキュラムを分けて、目標は進学コースから国公立大学への合格者を10人出す……というもの。あまりに突拍子もないし、私たちより上の代までの実績から考えても、実現可能性は現在の岸田内閣支持率より低かったから、へそで茶を沸かすってこういう気持ちを言うんだろうな、と思っていた。


 まあ、専門学校志望の私には関係ない話だ。

教師「西野、おまえ帰宅部だから今日から放課後は毎日勉強会だからな
西野「アッ……ウワッ………アアアア」

   
製作・著作 NHK


二年生

 一年生終盤の三者面談で担任から「おまえ、◯◯大学なんか入ったら将来の伴侶も違うぞ。国公立だし」と言われたんだけど、じゃあ本当にその大学に入ったのにバツイチになった今の私の境遇って、遠因は当時の担任じゃね? なんか爆裂に腹立ってきたんだけど。
 そもそも国公立大学を出たところで世間は国公立大学じゃないし、私は結果的には国立大学に通うことになったけれど、みんながみんな国立大学な脳みそしてるわけじゃなかったしな。

 そんなこんなで、二年生になってからのコース分けで「進学コース(文系)にぶちこまれた私は、それまで名前も聞いたことがなかった◯◯大学を目指して、受験勉強に励むこととなった。
 合言葉は「三年生ゼロ学期」と「お前らのライバルは東西南北(=札幌の公立超進学校4校)」。いやいや、F1と三輪車くらいの差があるというかそもそも相手に失礼だろ。私は高2の今になって、クラスメイトから「なあ西野、be動詞って要するに何?」って訊かれたんだぞ。

 それでも学年主任(一年の頃の担任)がすぐにキレる人だったために、大人しく言われた通りに過ごすことが一番得策だったので、私は特に突っ張ることなく大人しく過ごした。
 もちろん地頭がないから模試の成績は上向かないし、ある夜中、爆裂に胸が痛くて動けなくなったと思ったら「肋間神経痛」の診断を受けたりして、あまり二年の頃はいい思い出がない。

 この頃くらいを皮切りに、学校の教師たちから、当初言われた「◯◯大学」ではなく、それよりも数段レベルを下げた国公立大学の名前を出され「志望変更したら?」と勧められるようになった。
 しかし私は変なところで頑固なので(自分らで一度出したベロを簡単に引っ込めやがって。オレを忘れられなくしてやるよ……)と、頑として志望校を変えなかった。

 でも事実やん。お前らが始めさせた物語だろ。そんな簡単に打ち切ろうとすんな。少年ジャンプの編集部かよ


三年生

 やっとこさ最高学年になったとはいえ、高校生活自体はやっぱり楽しくなかったんだけど、夏休みに志望校のオープンキャンパスへと足を運んだ。

 あんまり詳しく書くとばれてしまう(とはいえ、知ったところでどうなるわけでもないが)ので映倫ばりにボカしていくものの、実際に自分の目で見たキャンパスの景色とか、学内の雰囲気がとても好きになった。

 そして、当日に学生が作って配布していた受験生歓迎冊子を読めば読むほど(あ、やっぱりここ行きたい)と決意が強くなっていった。ちなみにその冊子は授業中も教科書やノートに隠して何回も読み返し、受験勉強へのモチベーションにつなげた。

 家にいるとサボってしまうからと、冬休みも毎日図書館へ通って勉強に励んだ。これまでの人生であんなに集中して勉強したのは大学受験のときだけだし、たぶんあの集中力は今後二度と訪れない。当時はガラケー全盛期だったし、現在ほど誘惑の材料が多くなかったこともよかったんだと思う。あの時代からスマートフォンとかYouTubeとかが流行ってたらたぶん落ちたよ。


受験本番

 年明けの受験本番。私の頃はまだ「センター試験」だった。もはやそれすらも「昔はそう呼んでたんですってね」になってしまったのが少し悲しい。

 結局、一般入試ではお話にならないレベルまでしか到達できなかったが、私の志望校にはセンター試験の成績を利用する推薦入試制度があって、それを利用することに決めていた。
 もし推薦入試にスベったら、その場合は近隣の街の違う大学に通うことが半ば自動的に決まるようなものだったから、同級生のほとんどが面接推薦や指定校推薦で進路を決めた所謂「記念受験」の中、私はバッチバチに緊張しながら試験会場に足を運んだ。

 しかしその緊張感は、受験生控室に入った途端、スポーツ新聞を読みながら爆笑している同じ高校の同級生の所為でプツンと途切れることとなった。そう、進路が決まっているから別に結果がどうなろうとなんの影響もない彼らに、怖いものなどなかったのだ。私を除いては
 新聞広告の「マカ」という単語でゲラゲラ笑っていた彼らは今も元気だろうか。いろんな意味で(精一杯の皮肉)。

 そして試験場に入ったら入ったで、またも同じ高校のやつから「なあ西野、鉛筆貸してくんない? どうせ直さんし消しゴムは要らんから」と元気に声を掛けられ、私は「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」でアスランがキラにしたのと同じ勢いでそいつの頬を殴った。

0:15くらい。

 当たり前だ。まさにこれから天下を決する最後の戦闘に向かおうとしたとき、横から出てきた奴が「ねえ、譲りなさいよ、ジャスティスガンダム。アンタには宝の持ち腐れよォ」とか軽口を叩いてくるようなものだ。シンはあそこでよくアグネスをぶん殴らなかったな。えらいぞ。

 さすがに嘘だろと思うかもしれないが、すべて事実である


 試験終了後に自己採点をしてみると、私の受験した年はたまたま英語が易化していたためか、なんとか目標点数をクリアしていた。
 少し合格に近づいた……と思いながら出願書類をそろえ、学校に頼んでいた調査書を受け取ったとき、担任から発せられた言葉に耳を疑う。

担任「ま……受験料の無駄になると思うけど」
西野「ぶちころすぞ(あざまーす)」

マジでこうやって言われた。

 絶対受かってるはずだし、結果が出たら教職員全員揃って土下座でもさせてやろうと思いつつ、郵便局で書留を発送した。

 あとは運命を天に任せるしかない。


結果発表

 合格発表の日、私は滑り止めの私立大学を受験するために、一人で札幌のホテルにいた。当時はノートパソコンを持っていなかったし、今みたいにWi-Fiの電波が至るところで飛んでいる時代でもなかったから、もともと部屋にインターネットに繋がるパソコンが設置された部屋を予約して滞在していた。

 合格発表の9時きっかり。
 
 キーボードのF5ボタンを叩くと、合格者番号一覧へのリンクが出現する。
 あんなに祈ったこともなかったと思う。すごく長い時間、ぎゅっと目を瞑って祈っていた気がする。実際は数秒だったのだろうけど。


 意を決して、リンクをクリックした。

 

よく残ってたなこの画像。


 サッカー中継の実況アナウンサーぐらい絶叫しながらベッドに倒れ込んだ。
 もちろん、前述のとおりそこそこの成績はおさめていたから、まったく一ミリも自信がなかったわけではなかった。なんなら今やってる小説のコンテストのほうが毎回一ミリも自信ないよ。頑張って書いたけどよっぽどじゃなきゃ無理だろうなーって思いながら出してるし。

 それでも、不安だった。

 だから、あのホテルで一人ぼっちで合格発表を見たときが、人生で一番嬉しかった瞬間じゃないかな。
 それだけ「やりきった!」って胸を張って言えるほど努力したのが大学受験しかないからかもしれないけど。


その後

 結果として私は無事に第一志望の大学へ入学し、GPAはともかくとして無事4年間で卒業したのち、今もこうやって不良社会人としてのさばっているわけだけれど、未だにこんなふうに過去の体験談を擦ってみたり、自分の書く小説で大学生を登場人物にしがちだったりする要因というのは、私の中で大学受験とその後の学生生活が、人生で一番色濃いものだからだ。
 基本的にものぐさで飽きっぽいから何をやっても長続きしないし、いったん飽きたり嫌になったら簡単に投げ出せてしまうのだけど、あの頃の私は絶対に食らいついてやろうと必死だった。最終的に結果を出せたからこそ、こうして美談めいた語り口になっているが、もし落ちていたらどうなっていただろう。それはそれで怖いな。

 なお、私はのちに自分が通うこととなる大学について、高校時代に受けた模試で一度もD判定以上になったことがない。センターリサーチetcも然り。
 それでもどうにか入学さえしてしまえば、みんな大学生としてのスタートラインは一緒なので、たとえ自分の通っている高校のレベルがどんだけ低くても決して臆することなどない。ノートもらったりとか代返してもらったりとか入学してからの立ち回りのほうがよっぽど重要だし。


 なにより。

 ああしろこうしろって外野からうるさく言われて仕方なく決めた進路って、たとえ大きな困難がなく無事に終わるとしても絶対死ぬほど楽しくないよ。
 自分の人生を歩くのは他ならぬ自分自身なわけだし、自分で責任を取れる範囲で自由に生きて、未来を選ぶべし。

 というかこれ、大学進学だけじゃなく、就職先についても同じことが言えると思う。私の家は特に何も言われなかったけれど、うるさい家は本当に親がうるさいっていうもんね。

 そこをいくと西野家なんてのは、私が実家へ帰省すると毎回のように「転職したわ」って言ってんのに「あ、そう。それよりも◯◯(=母親の好きな韓流アイドル)が兵役に行っちゃってほんと残念でさあ」って話になるから、ある意味で「自由とそれに伴う責任」を自然と会得できる家庭環境なのかもしれないね。
 でも、もし日本が兵役のある国だったとしたら、うちの母親は私が兵役に行くことよりも韓流アイドルが兵役に行くことのほうを嘆きそうで怖いね。


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