見出し画像

引き裂かれた姉弟と罪滅ぼしの邪神の話④

前回の続きです)


姉さんは大店の娘の話を、そのまま信じましたが、他人の身に起きた出来事を、外から正確に知ることは不可能です。真実は人間の嘘や思い込みによって、たやすく変化します。

大店の娘も自分の得のために、姉さんに嘘を吐いていました。姉さんと離れていた三年間。弟の身に実際に起きた出来事はこうでした。


弟は誘惑の多い街に来ても、遊んだり無駄遣いしたりすることなく、真面目に働いていました。

不愛想ですが、勤勉で裏表の無い弟は

「まだ若いのに遊びも怠けもせず、故郷の姉さんに仕送りまでして偉いヤツだ」

と周囲に評価されていました。さらに街に出てからも貸本屋で書を借りて、自主的に勉強していました。そんな姿勢が奉公先の主人に見込まれて

「お前が良ければ、うちの一人娘と結婚してくれないか?」

と頼まれました。奉公先のお嬢さんは町でも評判の美人で、何よりお金持ちです。一方の弟は賢く体力もあって本人の能力は高いものの、貧しい村の出身で身分も財産もありません。

普通なら望外の出世だと喜ぶところですが、弟はニコリともせず「自分にはすでに結婚の約束をした人がいる」と、その場で断りました。

両親よりも驚いたのは大店の娘です。生まれつき美人で町を歩くだけで、多くの男性の心を奪いました。こちらが交際を断ることはあっても、向こうに断られることは今まで無かったのです。

(いくらお父さんや他の奉公人たちに一目置かれているからって、ツギハギの衣を着た貧乏人が私を拒むなんておかしい)

相手の女は、よほどの美人なのかしら?
それとも、うちより条件がいいのかしら?

気になったお嬢さんは、弟を質問責めにしました。その時に相手は孤児だった弟を育ててくれた恩人だと知りました。

そして気になる容姿について、自分とその姉さん、どちらが美人かと尋ねると

「俺はお嬢さんに限らず、うちの姉さんしか好きじゃないし、綺麗じゃとも思いません」
「本当に? これだけ間近に私を見ても、なんとも思わないの?」

大店の娘にグイと身を寄せられた弟は、心底迷惑そうな顔で

「仕事の邪魔じゃと思っとります」

難攻不落の壁を前にして、諦めて帰る者とますます躍起になる者が居ます。大店の娘は後者でした。あれこれ用事を言いつけては接点を増やそうとし、高価な着物や装飾品を買って美しく装っては弟の前を歩きました。

しかし弟の態度はどれだけ経っても

『仕事の邪魔じゃと思っとります』

と言った時のまま。逆に大店の娘は相手に拒まれるほど、自分の素晴らしさを認めさせなければ悔しくて、余計に執着していきました。

弟の奉公が終わる一月前。

「あなた、本当に街での暮らしを捨てて、何も無い田舎の村に帰ってしまうの? 孤児だったあなたを育ててくれた恩返しに、五歳も上の行き遅れの女と結婚しようなんて、馬鹿らしいとは思わないの?」

自分が悔しいのもありますが、弟は知力にも体力にも恵まれて、何より不屈の精神力がありました。田舎の村でつまらない女と結婚し、埋もれさせるには惜しい人材です。

しかし弟は煩わしそうに大店の娘を見つつ

「お嬢さんもうちの姉さんも誤解しとるようじゃが、俺は昔の恩に報いるために結婚したいわけじゃありません」

姉さんを思い出したのか、珍しく優しい表情で

「自分のために結婚したいんじゃ。俺はあの人の傍に居るんが、いちばん幸せで落ち着くんでの」
「そんなのただのすり込みだわ」

ムキになって否定する大店の娘に、弟は冷ややかな態度で

「否定するのは勝手じゃが、俺の気持ちは誰にも変えられん。アンタの理解は必要ないし、姉さんにはいずれ分からせる」

丁重に扱われることが当たり前だった大店の娘は、弟が最後まで少しも自分になびかなかったのが許せなくて

(子どもの頃の恩が無ければ、絶対に私が選ばれていたに違いないのに)

昔の恩によって弟を縛る、彼の姉をズルいと憎みました。

そんな時でした。街の娘たちの噂で、寿命の半分と引き換えに、願いを叶える神様が居ると知ったのは。

(仮に本当に願いを叶えてくれるとして、代償に寿命の半分を求めるなら、それは神は神でも人にあだなす邪神だわ)

寿命を半分取られるだけでも大変ですが、もっと恐ろしい罰を受けるかもしれないと、流石に少しは考えました。それでも

(このまま何もしないで、あの人を諦めるなんて嫌。女としての勝負ならともかく、恩なんかに負けるなんて納得できない)

そんな思いから大店の娘はダメで元々だと、噂の邪神に弟の記憶を奪って欲しいと願ったのでした。その直後に弟は、突然の高熱によって記憶を失いました。

けれど記憶を無くしても、染みついた性分は変わらないようです。記憶を無くした弟に、大店の娘が

「あなたは私の夫で、この店の跡継ぎなのよ」
「記憶を失う前のあなたは、それは熱烈に私を愛してくれていたのよ」

と、いくら嘘を吹き込んでも

「じゃあ、以前のとおりお前を愛そう」

とは決してならず、否定する材料も無い以上、若旦那の地位を受け入れて店の仕事はしていましたが

「悪いが、気安く触らないでくれ。そちらにとっては夫でも、俺にとっては初対面みたいなものなんだ」

記憶が戻るか情が湧かない限り、夫婦としての関係には応じられないと拒んでいました。

記憶を失っても自分を拒絶する弟に、大店の娘は業を煮やして

「いくら記憶を失っているとしても、あなたは私の夫なんだから、もっと愛する努力をしてよ」

と何度も愛情を求めました。しかし夫としての役割を望まれるほど、弟は大店の娘が疎ましくなり

(俺がこの女を好いていたなんてあり得ない。恐らく地位や財産を目当てに、好きでもない女と結婚したのだろう)

大店の娘は嫌いですが、仕事にはやりがいを感じていました。また義理の父である大店の主人は物知りで、話していて勉強になります。前の自分は、そこに価値を見出して、この家の婿になったのだろうと考えました。

しかし記憶を無くした自分には、前の自分が飲み込んだはずの『気に入らない女の夫』という義務があまりに重く煩わしくて、何もかも放り出したい気持ちでした。

ただ記憶に無いとは言え、確かに自分が選んだことなら、嫌だと放り出すわけにもいかないと耐えていました。

周囲や姉さんが思うほど、弟は幸せではありませんでした。ですから姉さんが自分を訪ねて来た時、この人なら自分を解放してくれるのではないかと無意識に期待しました。

ところが自分を訪ねて来た人は、ほとんど何も言わずに帰ってしまいました。それでも『あの人』がくれた数少ない言葉や、ほんの少し触れた空気は、綺麗に着飾った嫁と家族よりも、不思議と信じられる気がして

(できれば、ついて行きたかった。得よりも不自由のほうが大きい、この家の婿の身分など捨てて)

ただ自分にとって重荷であるほど、自分勝手に捨てるわけにはいかないと、『あの人』の後を追えませんでした。


けれど、どうしても『あの人』が誰だったのか気になり、弟は後日、改めて大店の娘に尋ねました。

「この間の人は、けっきょく誰だったんだ? 俺が記憶を失う前の知り合いじゃないのか?」

大店の娘は嫌な話題を早く終わらせたくて、あえて渋い顔をすると、

「私に聞かれても分からないわ。私だってあなたの知り合いか尋ねてみたけど、けっきょく何も言わないで帰ってしまったんだもの」
「……お前、俺に何か嘘を吐いてないだろうな?」
「な、なんで突然そんなことを言うの?」
「……さぁな、ただの勘だ」

嫁とその家族への不信感を募らせつつも、自分は何を欺かれているのか、具体的な証拠は見つけられませんでした。

しかしいくら大店の娘が隠そうとしても、人の口に戸は立てられません。姉さんが訪ねて来たことがきっかけで、奉公人たちがこんな噂をしました。

「なぁ、この間、店を訪ねて来た旅の女は、もしかして記憶を失う前に若旦那が言っていた『姉さん』なんじゃないか?」
「俺もそう思った。若旦那の話では結婚の約束をしていたそうなのに、こんなことになっちまって可哀想に」

彼らのヒソヒソ話を、偶然通りかかって耳にした弟は

「今の話は俺のことか? 俺はあの人と婚約していたのか?」

弟の剣幕に押されて、奉公人たちは知っている限りを白状しました。

記憶を失う前の弟は、故郷に残して来た姉さんに楽をさせてやりたくて、ここで田畑を買うための金を稼いでいたこと。戻ったら結婚するからと、大店の娘との縁談を断ったこと。その過去について話すなと、大店の娘に口止めされていたこと。

真実を知った弟は、大店の娘を問い詰めました。すると嘘を吐いただけでなく、記憶喪失に関しても「記憶を奪って欲しい」と神頼みしたことが分かりました。

半信半疑で願ったことだが、本当に弟が記憶を失ったのを見て、つい魔が差して両親に頼み込んで結婚したことにしてもらったのだと。

自分が騙されていたことを知った弟は、

「俺が好きだと言いながら、なぜ俺の幸せを奪うような真似をする!?」

当然ながら激怒しましたが、大店の娘はそれ以上の大声で

「だってズルいんだもの、あなたの姉さん! 昔ちょっと親切にしたからって、なんの苦労もなくあなたに好かれて! 大事にされて!」

感情的に叫ぶと、今度は同情を誘うように弱弱しく泣きながら、

「寿命の半分を捧げてもいいほど、あなたが欲しかったの。それほど愛しているのよ。分かってよ」

(寿命を半分捨てでも、相手を欲することが愛……?)

愛がどういうものか、記憶を失った弟には分かりません。けれど、ふと

――お願いだから聞かないで。昔のことなんて思い出さんでください。せっかくまっさらな気持ちで、人を好きになれたんじゃから。

――どうか、そのまま自分の気持ちを大事にして。ずっと幸せでおってください。

あの人の言葉と出来損ないの笑顔が蘇って

「ど、どこに行くの?」

とつぜん背を向けて部屋を出ようとする弟を、大店の娘が呼び止めると、

「出て行くんだ。ここは俺の家じゃないからな」
「ひ、酷い。私はあなたのために寿命を半分失ったのよ? 少しは憐れだと思わないの?」
「少しどころか大いに憐れんでいるさ。でも憐れな女なんて好きじゃない」

弟は嫌悪も露に言い捨てると、大店の娘とは話にならないと、義理の両親と話を付けました。両親のほうは流石に娘よりは冷静で、バレてしまったからにはしょうがないと観念して、大人しく弟を解放しました。

大店の主人は店を出て行く弟に、給金と娘のせいで記憶を奪ってしまった慰謝料の他に、

「これは?」
「記憶を失う前のお前が、姉さんのために買ったものらしい。本を借りる以外には、ほとんど金を使わなかったお前が、女物の着物や小物を買い集めて、よほどその人が大事なのだろうと皆で噂していた」

綺麗な着物に帯に、かんざしに下駄。貝殻に入った紅に白粉。朱塗りのクシに手鏡。町の娘が持っていて、姉さんは持っていない思いつく限りのものを、弟は用意していました。

あの人との記憶は一つも思い出せません。それでも不思議と、それらの品々を見て、とても大事だったことは分かりました。

(あの人に会いたい。そして一から教えて欲しい。俺が忘れてしまった全てのことを。どうして、あなたを愛したのかを)

彼女を想うだけで空虚だった胸の中に、熱いものがこみ上げて来ました。その熱に突き動かされるように、弟は店の人に聞いた自分の故郷に急ぎました。


しかし故郷の村に戻り、おっかさんを見つけて話を聞くも、姉さんはまだ帰っていませんでした。

(途中で追い抜いてしまったのか? それとも帰る途中で何か遭ったのか?)

居ても立っても居られない気持ちでしたが、下手に動けば行き違いになるかもしれないと、しばらく待っていました。しかし一週間経っても、姉さんは帰って来ませんでした。普通ならとっくに、家についているはずなのに。

弟にフラれた悲しみに耐えかねて、自ら命を断ったんじゃないか?
それとも事故か強盗か?

村の人たちはさまざま噂しましたが、おっかさんは

「あの子はどれだけ辛くたって、母親を残して死んじまうような子じゃねぇ! きっと帰れないような何かがあったんじゃ! 可哀想に! 可哀想に!」

自死は否定したものの、娘の身に不幸が起きたと予期して、泣き狂いました。

(あの人が死んだ? 俺と別れて帰る途中で?)

弟は全身から血の気が引いて、その場に崩れ落ちそうになりました。しかしなんとか踏みとどまると、

(死体を見たわけじゃない。絶望するのは早い)

それからすぐに姉さんを探しに、村から街に続く道に出ました。手がかりも無しに、闇雲に探し続ける弟に、

「探し人のことは、もう諦めたほうがよろしい」

声をかけて来たのは旅の僧侶でした。

「なんだ、アンタは? 俺が探している人について何か知っているのか?」
「私には職業柄、亡くなった人の声が聞こえるのです。あなたの探し人は、もう亡くなっています。この世に居ない自分を、それ以上探さないでくれと言っています」

姉の霊に頼まれて来たと言う僧侶に、弟はカッとなって、

「いきなり出て来てふざけるな! 俺は神も仏も信じない! 死者の声など聞こえるものか!」
「ですが、あなたの記憶を奪ったのも、人知では説明できない力によるものでは?」
「なぜ俺が記憶喪失だと知っている?」

警戒する弟に、僧侶は沈痛な面持ちで、

「私はあなたを騙しに来たわけではありません。ただ事実を理解して、諦めて欲しいだけです。すでに、この世に居ない者のために、それ以上苦しまないように」
「それが真実だと言うなら、あの人の死体を見せてみろ。証拠が無ければ信じない」
「……分かりました。では案内しましょう」

弟は僧侶に連れられて、街と村の間にある山に入って行きました。整備された道を外れて、木々をかき分けて進んだ先に『それ』はありました。

僧侶によれば、野盗に襲われて山中をデタラメに逃げるうちに、崖から足を滑らせて転落死したとのことでした。

一週間以上も放置されている間に、姉さんの遺体は雨に打たれ、泥にまみれ、鳥獣についばまれ、変わり果てていました。

それでも確かにあの人だと、弟には分かりました。弟は震える手で穢れた亡骸を抱きかかえて、

「すまない。俺がアンタを一人で帰さなければ」
「ご自分を責めないでください。あなたは記憶を消されただけの被害者なのですから。悪いのはあなたの記憶を奪った女と、願いを叶えた邪神です」

僧侶の言葉に弟は顔を上げると、

「邪神というのは本当に居るのか? 寿命を半分やれば、どんな願いでも叶えられるのか?」
「もし彼女を生き返らせたいと言うのでしたら、残念ながら神にも死者を生き返らせることはできません」
「じゃあ、記憶なら? 奪われた記憶を戻すことならできるのか? 邪神に願えば」
「なぜそんなことを。もう会えない人間の記憶など思い出しても、余計に辛くなるだけでしょう」

しかし僧侶に止められても、

「知りたいんだ。この人が、あの時どんな想いを飲み込んで俺から去ったのか。知りたいんだ。この人が俺にとって、どんな存在だったのか」

弟は泣き出す寸前の追い詰められた表情で、

「知りたいんだ。なんで俺が今、記憶に無い人の死に、こんなに動揺しているのか」
「寿命を半分取られてもですか?」

僧侶の問いに、弟は無言で頷きました。

「……では奪われた記憶を、あなたに戻しましょう。邪神に願うまでもない。そのくらいのことでしたら、ただの僧侶にも可能ですから」

と持っていた錫杖をシャンと鳴らすと、弟の記憶を戻しました。


🍀次回は弟と姉さんの出会いのお話です。今回もお付き合いくださり、ありがとうございました🍀