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【創作童話】ネモフィラの花言葉②

前回の続きです)


他の全ての花に見捨てられた青年に、ネモフィラだけが「良かったら私を植えて」と協力してくれました。

可憐な姿に反して『どこでも成功』という花言葉を持つほど丈夫で繁殖力の高いネモフィラは、剥き出しだった大地をたちまち青く染め上げました。


以前の華やかで賑やかな景色とは違い、一面にネモフィラが咲く様子は、気持ちを高揚させるのではなく、心を洗うような美しさがありました。


咲く花が変われば、求める人も変わります。以前は楽しい観光を求めて客が訪れましたが、今度はネモフィラの青に癒しを求めて、悲しい気持ちを抱えた人たちが訪れるようになりました。

もともと元気の無い人たちが来るのですから、花畑を踏み荒らされるようなことはありませんでしたが、

「床に臥せっている妻にも見せてやりたいから、ネモフィラを分けてくれないだろうか?」

など、前とは違う理由で花を求める人が居ました。

けれど青年は、今度こそしっかり友だちを護ろうと決めていたので

「申し訳ありませんが、花にも命があります。生きている花を手折ろうとしないで、この場に足を運んで愛でてやってください」

と以前の気弱さが嘘のように、キッパリと断りました。

しかし意外にもネモフィラのほうから「あの人と一緒に行かせて」と頼まれました。

「どうして他人の心の慰めに、君が自分の命を縮める必要がある。もう人間のために苦しまなくていい。今度こそ僕がちゃんと護るから」

けれどネモフィラを首を振るように、そよそよと花を揺らすと、

「人間に摘まれなくても花はやがて散るわ。一時の楽しみのために無造作に摘まれるのは嫌だけど、私の姿が誰かの安らぎになるなら、それはほんのちょっと長く咲いて居られるより、ずっと素晴らしいことだと思うの」

「人の悲しみに寄り添える花になりたいの。それがあなたのくれた私の意味だから」

青年は花にもネモフィラのように意志があり、人の役に立ちたいと思う子も居るのだと知りました。

(だからこそ皆だって、最初は僕に協力してくれた)

本当に嫌だったのは摘まれること自体ではなく、心の無いもののように、無造作に扱われたことだったのかもしれません。

しかし花の心を知る青年には、どうしても茎を切ることは躊躇われたので、花そのものではなく種を渡して

「あなたの庭に植えてあげてください。切り花よりも生花のほうが、より心の慰めになるはずですから」

と応じてくれる人にだけ無償で譲っていました。


けれど誰もが青年のように、手間をかけて花を育てられるわけではありません。お客さんの中には青年の態度を不親切だとして、村長に告げ口する人が居ました。

村長はお客さんが望むなら、花を切って与えるべきだし、需要があるならお金をもらって本格的に販売しようと青年に言いました。

無償で種だけ配っても、村にはなんの得もありません。それどころかよそでもネモフィラが見られるようになれば、希少価値が下がってしまいます。

しかし青年はネモフィラの優しさが、商売に使われることを嫌がって、

「以前、花畑が枯れたのは僕たちが、花たちの心と命を軽視したからです。また花たちを金稼ぎの道具として見れば、花はまた枯れてしまうでしょう」

もう二度と保身のために花を裏切るまいと、毅然とした態度で反対しました。ですが、青年は花畑の管理を任されているだけで、土地の所有権は村にあり、村の責任者は村長です。

村長は青年が生意気だと腹を立てて

「花畑を作ったからって良い気になるな。花に水や肥料をやって雑草を抜くくらい誰だってできるんだ」

自分に従わぬ青年を、クビにしてしまいました。


花畑を追われた青年は、自分が居なくなった後、ネモフィラが心無い人たちに酷い扱いをされるのではないかと心配して、

「ネモフィラ、二人でこの村を出よう。今度は小さくてもいいから、僕と君だけの花畑を作ろう。そこでなら君は、もう人間に酷い扱いをされなくて済むから」

しかし青年の誘いに、ネモフィラは

「いつもいちばんに私を思いやってくれてありがとう。でも私まで咲かなくなってしまったら、この村はずいぶん寂しい場所になってしまうわ。それに今は私の姿に慰めを求めて来てくれる人が大勢いるんだもの。私その人たちの期待を裏切りたくないわ」

「だから、ここに居たいの」と、やんわり断りました。あまりにも親切なネモフィラが、青年は余計に心配になりました。自分を含めて人間は、花のように優しくはないからです。


果たして青年の不安は的中しました。ネモフィラの人気が高まるとともに、悲しみを抱える人以外にも「有名だから」「綺麗だから」と、また無邪気な観光客が増えて来たのです。

ネモフィラの花をバラバラに砕いて「花の雨だ!」と恋人にかけてやる者。

楽しく駆け回って花を踏み荒らす子どもたち。

ネモフィラの美しさを描くために訪れて、絵の具で汚れた水を地面に流して帰る者。

切り花もたくさん売れて、数え切れないほどのネモフィラが茎を切られました。


見た目に反して強いネモフィラが、根をあげることはありませんでした。青年が何度、村長の目を盗んで花畑を訪れて

「もうがんばらなくていい。逃げよう、ネモフィラ」

「君が人間を想うほど、人間は君を想っちゃいない。君を粗末に扱う者のために、大事な命を費やさないで」

しかし泣きながら説得しても、ネモフィラは出会った頃と少しも変わらない優しい笑顔で

「でも私、あなたが私のために泣いてくれるほど、もっと人間が好きになるの」

「他の人にもあなたのように優しくて綺麗な気持ちがあるんだと思うと、他の花たちのように見放して置き去りにはできないの」

青年はかつて人や花どころか、自分にさえ見放された時、ネモフィラだけが寄り添ってくれたことを思い出しました。確かにあの時、青年は彼女の優しさに救われました。

(だけど、それは僕が君の心を感じられるからだ)

(花の心を感じない人たちには、君は綺麗なだけのモノにすぎない)

(慰めになると言ったって、君の命に釣り合うほどの効果は無いのに)

しかし青年は頭の中に湧いたいくつもの言葉を、口にはしませんでした。すでにこれほど人のために費やして来たネモフィラに

「君が居なくなっても誰も大して困らない」

と告げるのは、あまりに残酷だからです。


ネモフィラが最後の一輪になる頃には村の人たちは

「また花畑が枯れてしまった」

「こうも何度もダメになるのでは、観光資源として不安定だ」

「惜しいけど別のアイディアを考えよう」

と花畑を捨てて他の策を練っていました。

辺り一面のネモフィラならともかく、穢れた大地にポツンと一輪だけ咲いている小さな青い花を、わざわざ見に来る者もいません。青年は逆に、この隙にネモフィラを回復させられるのではないかと希望を持っていました。

しかし花の命は儚いもの。

最後のネモフィラは「美しいから」と人に摘まれるのではなく、ただグシャリと潰れていました。通りかかった誰かが踏んだのか。子どもが投げたボールにたまたま潰されたのか。どちらにしろ、そこに花があったことも知らなかったような無造作な散り方で。

青年はぺしゃんこになったネモフィラに触れましたが、そこにもう彼女の心は感じられませんでした。


それから青年は、全ての緑を失った土地を柔らかく耕して、肥料を与えて、水を撒くことを毎日のように繰り返しました。

また種を蒔いて、一から草花を育てようとしているのではありません。本当に何も無い土地を、ただひたすら手入れしているのです。そこに花たちが生きていた時と同じように。もうそこに花たちは居ないけど、もう何もしてやれないからこそ、こんな形でしかネモフィラに報いることができないと考えてのことでした。

村人たちにとって青年の行動はとても奇異で、あまりに不気味なので、かえって止める者もいませんでした。


ネモフィラが消えてから一月ほど経った頃。ある夫婦が花畑を訪ねて来ました。青年は最初、その人たちが誰か分かりませんでした。

しかし相手の方から声をかけてくれて、以前「臥せっている妻のために、ネモフィラを分けて欲しい」と頼んできたお客さんだと分かりました。

奥さんの具合が良くなったので、今度は夫婦でネモフィラ畑を見に来たのだそうです。

「そうですか。二度も足を運んでくれるほど、彼女を気に入ってくれたなら良かった」

「あんなに立派な花畑だったのに、どうして枯れてしまったんですか?」

夫婦の質問に、青年は花畑が枯れるまでの経緯を話しました。そして青年が何もない土地を手入れし続ける理由も。青年はただ聞かれたことに答えただけで、二人に理解も共感も求めていませんでした。花の鎮魂のために何も無い土地を手入れし続けるなど、普通の人には頭がおかしいとしか思えない話だからです。

けれど青年とネモフィラの物語を聞いて、夫婦は涙を流しました。青年はかえって、その反応に驚いて

「どうしてこんな話に泣くんですか? あなたがたには花に心や命があるなんて、分からないでしょうに」

「確かに私たちには、花の心は分かりません。あなたに会うまでは、花にも命があるなんて想像したこともありませんでした」

「しかし私たち夫婦は確かに、あの花の優しさに心を救われたのです」

夫婦の悲しみの理由は、まだ幼い我が子を流行り病で亡くしたことでした。夫もショックでしたが、妻の悲しみはより深く、食事もろくに取らずに一日中ベッドに横になっていました。

しかし青年に分けてもらった種を育て、咲いた花を見せると、今まで何を見せても無反応だった妻が、急にポロリと泣き出しました。ネモフィラの青さがかえって悲しみを深めたのかと焦りましたが、しばらくして泣きやんだ妻は

「とてもいじらしくて美しい花ですね」

と久しぶりに微笑んだそうです。

「私たちには、あなたのように花の声は聞こえません。しかし、あの花の姿があんなにも優しく清らかだったのは人の心に寄り添おうと、あの花が願っていたからだと聞いて、きっとそれが真実なのだと自然に信じられたのです」

夫婦の真剣な言葉に、青年は凍り付いていた心が溶けだすように、久しぶりに涙を流しました。自分以外には決してネモフィラの真心は伝わらないと思っていました。しかし実際は彼女が信じていたとおり、彼女の献身によって深い慰めを得られた人たちが居たのです。

「ネモフィラを大事にしてくれて、ありがとうございます。彼女もきっと喜んでいます」

泣きながら礼を言う青年に、夫婦は何かしてあげたいと思いました。そして自分たちの庭に咲いたネモフィラを、ここに植え替えられないかと提案しました。

青年は一輪残らず無くなったと思っていたネモフィラが、夫婦の庭で生き続けていると知り喜びました。しかしせっかくネモフィラをもらっても、ここに植えるのではまた同じことの繰り返しです。

青年はまたネモフィラに会いたいと思いつつ、もう彼女が利用されるところを見たくなくて、夫婦の申し出を丁重に断りました。

自分はもう彼女を見られないけど、あなたたちに愛されながら、平和に咲いていることが分かっただけで充分だと笑って。


🍀次回で完結します。今回もお付き合いくださり、ありがとうございました🍀