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引き裂かれた姉弟と罪滅ぼしの邪神の話⑦

前回の続きです)


弟とおっかさんは疑っていますが、この世界には明らかに人外の力が働いています。特に弟は、ある時点から、ある神様によって、ずっと見守られていました。

それは大店の娘が願をかけた、人の寿命を半分奪う代わりに願いを叶える邪神でした。

今でこそ邪神と呼ばれていますが、もともとは人の気から生じた人のための神でした。

この世界の神は、全て自然界のものが発する気から生じた存在で、花の神は花に。山の神は山に。海の神は海に似た性質を持ちます。

願いを叶えて欲しい。努力に報いて欲しい。苦難から護って欲しいという人々の想いから生まれた人の神は、自然から生まれた他の神たちよりも、良くも悪くも人に似ていました。

ですから人に報い護り叶える者として自分を求めたくせに、嫌なことがあるとすぐに神を疑い憎み、しまいには「神など居ない」と存在を否定する人間を、許すことができませんでした。

さらに人の神は、自分よりも先に生まれた他の神たちにも

「お前はあまりに愚かで憐れで、とても見ていられない」
「お前を見ていると憎くなる。悲しくなる。どうか傍に寄らないでくれ」

と理由も分からず嫌われていました。

(なぜみんな俺を嫌うんだ? 俺が人に似て、愚かで憐れで救われないからか?)

自分を生んだ人間には都合よく利用され、応えられなければ否定され、仲間のはずの神たちには「見るのも嫌だ」と避けられる。

人の神は自分も人が嫌いでしたから、自分はあんなヤツラとは違うと証明するために、わざと人を嫌い苦しめました。

しかし人を嫌って突き放そうとするほど、他の神が自分を見る目は冷たくなっていきました。

当然ながら辛く当たられた人々も、我らの神は残酷だ。人の運命をもてあそび、あざ笑っているのだと憎むようになりました。

自業自得ではありますが、他の神や人々からたくさんの不満や憎悪や軽蔑の念を浴びた人の神はいっそう心を狂わせて、

(ああ、もういい。そんなに俺を憎むなら、お前たちの思うとおりの神になってやろう。お前たちの運命をもてあそび、愚かさを笑ってやろう)

そうして、わざと悲劇や争いに導いては破滅していく人間の姿を愉しむようになりました。人に似て醜く愚かな自分を見ていられないと嫌う他の神たちからは、すっかり距離を置いて。


しかしすっかり穢れた人の神に、忠告する神がありました。それは天と地が生まれると同時に現れた、この世で最も古い神の一つである時の神でした。

「なぜ人の神たる君が二百年ぽっちしか、この世に存在しないか分かるか? あのいつも不安で欲の深い人間たちが、君が生まれるまで一度も人のための神を望まなかったと思うか?」

「君は今のように、人と自分を嫌い呪い狂っては最後に自らの過ちを悔いて、滅びることを繰り返しているんだ」

「君が知らない他の君の消滅と再生を何度も見ているから、他の神は君を嫌うんだ。あまりにも愚かで憐れで救われなくて、とても見てはいられないと」

「僕も同じ気持ちだ。もう君が罪とともに滅びていく姿を見たくない。どうか人を救うための力で、人を苦しめるのはやめてくれ。その行いはいつか必ず、君自身を苦しめる」

今の自分の在り方を否定されて、不完全なものとして扱われた人の神は、猛然と反発して

「同じ神とは言え、俺より古くから在るとは言え、実際には何もせず、ただ寸分狂わず時を動かし続けているだけのアンタが、偉そうに指図するな。アンタなんて誰かの望みに応えて、時を止めることも戻すこともなく、淡々と動かしているだけじゃないか。この世に在る時間はアンタのほうが長くても、この世に与える影響は俺のほうがずっと大きい」

それこそ愚かで醜い物言いでした。しかしこの世に二百年しかおらず、ほとんどまともに他者と関わらない未熟な神にはそれすら分からず、時の神の忠告を無視して、悪意ある戯れを続けました。

当初の「俺も人にはほとほと呆れているんだ。あなた方と同じだ」と他の神に取り入るためでも、痛みを持って人の目を覚まさせるためでもなく、ただ神にも人にも認められない自身の憂さを晴らすために。


大店の娘の願いに応えたのも、その一環でした。

人の恋人を奪った報いとして、今度はその相手に復讐させるつもりでした。花の神が花の、獣の神が獣の姿をするのと同じで、人の神は人の姿でこの世に現れます。

実は泣いている姉さんに声をかけたおばあさんも、人に化けた邪神でした。姉さんの憎しみを煽って、大店の娘を呪うように仕向けるつもりだったのです。

しかし姉さんは邪神の目論見とは裏腹に、誰も恨んでいない。弟が幸せならいいんだと笑って、

「あの子が自由になれて良かった。おらも間違えずに済んで良かった。きっと神様が護ってくださったんじゃ。お互いにとって不幸な道を選ばんで済むように」

思いがけない反応に、邪神は密かに戸惑いながら、

(違う。俺はお前を不幸にしてやろうとして、大店の娘の願いを叶えたんだ。今この時までお前のことなんて、願いどころか存在すら知らなかった)

けれど、まさか自分がその神だと言うわけにもいかず、当初の目的も果たせぬまま、邪神は姉さんを見送りました。

なんの非も無いのに不幸にされたとも知らず、神に感謝する姉さんは、愚かと言えば愚かかもしれません。しかし、それは邪神の知る人の愚かさとは違いました。

人が怒り泣き叫ぶほど、邪神は愉悦を感じました。ですが、自分が老婆として顔を出すまで、声を殺して泣いていた姉さんの姿を思い出すと、邪神の胸には喜びよりも痛みが広がるのでした。


それでも時の神の忠告に逆らった手前、後悔を認めるわけにはいきません。頭を切り替えて、大店の娘の破滅を見守ることにしました。

不自然な方法を取れば、必ずしわ寄せが来ます。自分が画策しなくても、大店の娘には相応しい報いが訪れるはずです。


邪神が予見したとおり、大店の娘は記憶を奪われたことに気付いた弟に、こっぴどく振られました。

大店の娘は自分が加害者にも関わらず、

(私が寿命を半分も失ったと知っているのに、捨てるなんて酷い男)

と頭の中で弟をなじると、

(神様。確かにあの男は記憶を失いましたが、私のものにはなりませんでした。愛されるという願いは叶わなかったのですから、どうか寿命は奪わないで。それか、あの男が私を愛するようにして!)

と身勝手な願いをかけるのを聞いて

(いいぞ! それでこそ人間だ!)

姉さんのせいで揺らいだ価値観を戻してくれた大店の娘を密かに称えました。

ただ自分が叶えた願いは『記憶を奪うこと』ですから寿命は返しませんし、想いや感情は神にも左右できません。出会わせることはできても、愛させることは不可能なので、大店の娘の願いはどちらも聞き流しました。

大店の娘の報いを見届けた邪神は、自分が引き裂いてしまった姉弟の行く末が気になりました。

(普段は人に恩情などかけないが、あの娘が悲しいままではどうも気分が悪い。もし話がこじれるようなら弟の記憶を戻してやろう)

しかし弟とともに村に戻った邪神は、姉さんがまだ家に帰っていないことを知りました。

自死か事故か強盗かという村人の噂を聞いて不安になった邪神は、弟が村に留まっている間に姉さんの安否を確認しました。

人の神は人が思うほど万能ではありません。それでも一度認識した人間なら、この世のどこに居ても、意識を向ければ見通すことができます。

その能力によって邪神は、山道から遠く外れた場所で冷たくなっている姉さんを見つけたのでした。

(崖から足を滑らせて落ちたのか? でもどうして?)

ジッと目を凝らすと、姉さんが辿った運命が見えました。姉さんは山で金目当ての野盗に目を付けられました。

命のほうが大事だと、姉さんは大人しく有り金を渡しました。しかしそのやり取りで、姉さんが男装した女だと気づいた野盗は、別の欲を持ちました。怯えて逃げ出した姉さんは、デタラメに山中を走る途中で、足を滑らせて転落したのでした。

弱者が強者の餌食になって、惨めに死んでいくことは珍しくありません。ただ弱者は、別の場面では自分より弱い者を虐げる者に変わるので、か弱き者への憐れみを感じたことはありませんでした。

しかし姉さんとは少しですが、言葉を交わしました。自分の男を他の女に取られても、相手が幸せなら良かったと笑えるような、愚かなほどのお人よしでした。

(……俺のせいで、この娘は死んだのか)

邪神は流石に後悔しました。姉さんの安否を気にする弟とおっかさんにも、あの娘はもう死んでいると、なかなか告げられず、

(頼むから勝手に察して勝手に諦めてくれ)

とズルいことを思っていました。しかし弟が闇雲に姉さんを探しはじめるのを見て、このうえ徒労までさせられないと、今度は旅の僧侶に化けて、弟の前に現れたのでした。

弟の記憶を取り戻すことに、邪神は反対でした。どう考えても、余計に辛くなるだけだからです。しかし娘を死なせた罪悪感から、応じざるを得ませんでした。

弟が取り戻した記憶を、邪神もともに見ていました。

自分と同じように誰にも愛されず、独りぼっちだった弟を、姉さんだけが大事にしてくれたこと。そんな姉さんを、弟も心から愛していたこと。自分さえ邪魔しなければ、必ず結ばれて幸せになっていただろうこと。

弟とともに全てを知った邪神は、

「なんで!? なんで姉さんは死んでしまったんじゃ!? 俺には姉さんだけじゃったのに! 大切じゃったのに! なんで神は俺から記憶を奪った!? なんで!? なんでじゃ!?」

目の前で泣き狂う弟を見て、罪悪感に潰されそうになりました。

(取り返しのつかないことをしてしまった……。どうすれば償えるんだ……)

可能なら、すぐにでも死んだ姉さんを生き返らせてあげたい。しかし人の神は人の後に生じた存在です。人の生死には関与していません。まだ息があるなら、どんな重傷や病気も治せますが、肉体から離れた魂を戻すことは不可能でした。


邪神は一度、弟の傍を離れました。しかし姉弟の縁を引き裂いた罪の意識はいつまでも付きまとい、邪神を苦しめました。

(叶うなら、あの日の過ちを取り消したい)

けれど、邪神の力が及ぶ範囲は今この時だけ。過ぎ去った過去のことはどうしようもありません。ただこの世に唯一、別の時間に干渉できるものがいます。

(時の神なら時間を巻き戻して、娘を救えるかもしれない)

今まで反抗していた時の神に、頼みごとをするのは自分の非を認めることで、邪神は気が重くなりました。それでも今の邪神にとっては、胸を刺し続ける罪悪感のほうが耐えがたく、恥を忍んで時の神に会いに行きました。


邪神は以前、時の神の忠告に逆らった非礼をまず詫びると

「恥ずかしながら、あなたの忠告どおりのことが起きてとても後悔している。私の不徳のせいで、罪の無い男女を苦しめてしまった。難しい頼みなのは承知しているが、どうか時を戻して。姉の命を助けて、弟のもとに戻してやって欲しい」

しかし邪神の願いに、時の神は

「残念ながら例外は認められない。いざとなればやり直せるという慢心は、必ず新しい過ちを生み、お互いの命の軽視に繋がるから」

「しかし、あの二人は何も悪くないんだ! 私が邪魔しなければ、弟は何事も無く村に戻り、今頃結ばれていた! それが本来、あの二人が辿る運命だったんだ!」

邪神の必死の訴えを、時の神は冷たく笑って、

「神である君に引き裂かれ、娘が死んだのは本来の運命じゃないから、変えてもいいはずだって? 言っておくけど、神である君だって自然の一部さ。人間同士が悪気無くお互いの運命に干渉し合うように、君の干渉もまた運命のうち。神の悪戯に翻弄され、死ぬのが、あの二人の運命だったのさ。それに君が何もしなくたって、人は些細な理由で別れて死ぬ」

時の神はさらに言葉を続けて、

「重要なのはなるべく悪意によって、他者の人生を破壊しないということだけさ。今の君のように、自分の行いを後悔しないで済むようにね」

「俺は時から生じたアンタとは違う。他の神が嫌うとおり愚かで無様な人の神だ。簡単に諦めることなどできない。頼む。本当に一度だけでいい。この過ちだけ取り消させてくれ」

邪神が土下座しても、時の神の心は動かず、

「人間で言うところの『一生のお願い』というヤツだね。一生が続く限り、また新たな問題や必要が生じて、無限に増え続ける願いごと。しかも人間と比べて神の一生は、あまりに長い」

この一度で済むはずがないと否定すると、

「どうしてもやり直したいと望むなら、君の一生をかけて願ってごらん。時を戻して娘の死を取り消す代わりに、君が消滅してごらん」

驚いたように自分を見る邪神に、時の神はニッコリ笑い返して、

「君の再生と消滅をもう見たくないと言いながら、矛盾していると思うかな? でも僕の仕事は何があっても、寸分違わず時を動かし続けることなんだ。君が自分の行いを後悔しているように、僕の『特別な動き』がどんな災いを起こすか分からないからね」

また冷たい無表情に戻ると、

「分かったなら自分の償いのために、時を戻せなんて気安く頼まないで。君の罪滅ぼしに僕を巻き込まないで」

人の神は人と似た性質を持ちます。ですから消滅による自己の喪失に、激しい恐怖を感じました。加えて「協力して欲しければ消滅しろ」と求める無慈悲な相手に、これ以上すがることも躊躇われました。

(けれど、それは俺も同じだ。俺も人の弱みに付け込み、寿命を半分差し出すように求めた。必要だからじゃない。ただ愚かで醜い者を罰したいという、歪んだ正義感で)

時の神の言うとおり、神である自分でさえ大いなる自然の一部で、逃れられぬ世の理によって、過去の行いの報いを受けているのだと邪神は感じました。

(亡くなった姉を返してやることはできない。だが、残された弟にはなんとかして償いたい)

姉を失ってからチラとも笑わなくなったあの弟に笑顔を取り戻せたら、自分の罪の意識も少しは軽くなるはずだと考えました。


🍀長いお話にも関わらず、いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。次回で完結しますので、姉弟と邪神がどうなるか、見届けていただけましたら幸いです🍀